第33話 おお、死んでしまうとは情けない

 すき焼きを食べ終えた一真達は料亭を後にする。帰りも一真はリムジンに乗せてもらい、寮に戻るまでアリシアと楽しそうに談笑していた。

 その光景を見ていたスティーブンは、アリシアならば一真を口説き落とせるのではないかと考えたが、先程釘を刺されたばかりなので何も言わずに見守っていた。


 しばらくしてリムジンが目的地についた。一真が暮らしている寮の前についたリムジンから、一真とアリシアが降りてくる。


「一真、これ!」

「ん? なにこれ?」

「私のID! プライベート用だから!」

「おお……! マジか」

「大マジだよ! 何かあったら遠慮なく電話してもいいし、メッセージ飛ばしてもいいから! むしろ、こっちからもするから! 絶対に登録しておいてね!」

「わかった。今日はありがとう。ご馳走様でしたってスティーブンさんにも伝えておいて」

「うん。わかった!」


 ほんの少しの沈黙。一真は踵を返して寮へ帰ろうとしたが、アリシアのとても寂しそうにしている表情を見て動けない。


「あー……。アリシア、いつかアメリカに行ったとき、観光スポットとか教えてくれ」


 子犬のような表情をされたら何も言わずに去れないではないかと一真は、かゆくもない後頭部をかきながら提案を出した。

 このまま別れると思っていたアリシアは一真の言葉を聞いて、目を丸くしながらも返事をする。


「え、あ、うん! 待ってるね!」

「いつになるかは分からんけどな」

「じゃあ、指切りしよ! 約束!」

「おけ。約束な」


 そう言って一真とアリシアは小指を絡ませる。そして、紡ぐのは過去から現代にまで語り継がれる魔法の言葉。


「「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます! 指切った!」」


 パッとお互いに指を離し、ニマッと笑みを浮かべる。これで約束は交わされた。一真はいずれ必ずアリシアを訪ねにアメリカへ行こうと決めるのであった。


「じゃあね、一真! また会おうね!」

「おう。またな」


 今度こそお別れである。一真は手を振ってアリシアと別れる。彼女はリムジンに乗り込み、ドアが閉まる前に一真へ向かって最後の挨拶をする。


「チュッ! バーイ、一真!」

「お、おう……」


 最後の最後に投げキッスである。金髪美女からの投げキッスの威力は凄まじかった。一真は狼狽えてしまい、後ずさってしまう。異世界で何度か娼婦のお姉様方にされたことはあるが、アレは商売であり、リップサービスのようなものだ。

 アリシアのように純粋な好意でされたことは一度もない。一緒に戦場を駆け抜け、何度も死線を潜り抜けた女戦士からもされたことはないのだ。


 もっとも、その時の女戦士がそのようなことをすれば天変地異の前触れかと茶化して、ぶん殴られているだろう。


 アリシアたちを乗せたリムジンが走り去っていく。一真はリムジンが見えなくなるまで見詰めていたが、リムジンの姿がなくなると寮へ戻っていく。その道中、一真は口元を押さえて顔を赤くしていた。


「最後の反則すぎるだろ……。俺、アメリカ行ってもいいかもしれん」


 一真の意思はブレブレであった。異世界でハニトラに何度も騙され、その度にショックを受けてきたはずなのに、相変わらず騙されやすい男である。


 だが、今回ばかりは違う。アリシアは一真を騙すような真似はしていない。打算はあるだろうが、純粋に一真を思ってのことであった。


 ◇◇◇◇


 一真を寮へ送り届けたアリシアたちは、今回の一件について話していた。


「なあ、アリシアよ。なんで、邪魔をしたんだ?」

「多分、私があそこで邪魔してなかったら一真はアメリカと敵対してたよ?」

「なんで、そんなことが分かる? こっちは法的手続きだって済ませてるんだ。いざとなったら――」

「スティーブン。私達、上位の異能者がどれだけ理不尽な存在か知らないわけじゃないでしょ?」

「う……む。まあ、そうだな」

「一真は紅蓮の騎士だと私達は断定して動いてる。あの『キング』すら上回る数の異能を持ってる相手に法的手段なんて意味があるわけないでしょ?」

「……しかし、相手はまだガキだ。いくら強力な異能を持っているからといって、全てを思うままに出来るはずがないだろ」

「出来ないと思ってるの? 人型イビノムの時に見せた異能を忘れた? あれだけの力があれば、世界すら相手に出来るわ」

「それは言いすぎだろ。アメリカにはキング。中華には覇王、エジプトには太陽王がいるんだ。彼等全員を相手に出来るはずがない」


 今、スティーブンが挙げた名前はこの世界で最強と称されている三人である。三人とも、ずば抜けた実力を持っており、何者にも縛られない力の持ち主である。


「その三人以上なんだよ? どれだけ危険か分かってる? 相手が子供? バカを言わないで。彼はキングたち以上の傑物よ。私達がどうこうできる相手じゃない」

「だから、さっき止めたのか?」

「ええ、そう。彼と敵対するくらいなら私は死んだほうがマシよ」

「そこまで言うか……」

「それに――私のこと知っても変わらない態度にちょっと惚れちゃった」


 喉を潤すためにワインを飲んでいたスティーブンはとんでもない爆弾発言を聞いてしまい、盛大にむせた。


「ぶふぅ!」

「キャッ! ちょっと、汚いじゃん!」

「いや、すまん。てか、惚れたって冗談だよな?」


 ボタボタと口から零れるワインを腕で拭きながらスティーブンはアリシアを問い質す。すると、彼女は恥ずかしそうに股を擦りながら、年頃の女の子の様に指をツンツンし始めた。


「じょ、冗談じゃないし……。あんな風に男の子と話したことなくて、すっごく楽しかったし、私のこと一切怖がらなかったもん。私がついつい念力で意地悪しても顔色一つ変えなかったのも好感度高いし……」

Oh my Godなんてこった……!」


 恐ろしい悪夢でも見ているのではないかと頭を抱えるスティーブン。しかし、言われてみれば彼女は幼少のころから異能が使えたせいで、同年代の友達が少なく、特に異性は彼女に近付こうとしなかった。

 彼女の異能があまりにも強力だったせいである。迂闊に近づけば、間違いなく怪我をする。比喩ではなく本当に怪我をするのだ。


 誰が好き好んでそのような危ない女に近付こうと言うのか。よっぽどの変人か、特殊な性癖を持つ者以外は彼女に近付くことすら恐れただろう。

 現にスティーブンもアリシアに睨まれると、恐怖に固まったりする。彼女が無闇に攻撃することはないと分かっていても、簡単に人を殺せる力を持っているのだから誰だって怯えるだろう。


「で、でも、確かキングとは仲良さげだったじゃないか」

「あー、うん。彼も私と普通に話してくれる貴重な男なんだけど……性格がねー」

「あ~~~……確かに無理だな」

「でしょ? だって、自己顕示欲の塊だもん。絶対、奥さんとか大切にしないわよ、アイツ」

「ん~……。まあ、家庭は蔑ろにしそうではある」


 散々な評価である。世界最強と言われている人間もやはり全員が完璧人間とはいかない。キングは自己顕示欲の塊、覇王は戦闘狂バトルジャンキー。はっきり言って不安要素しかない者達である。


「ま、そういうことだから、普通そうな価値観を持ってる一真がいいかなーって」

「……そう言われると、そこまで否定できんかもしれん」

「ただ……」

「ただ? なんだ? まだ何かあるのか?」

「勘だけど、一真とはお友達のまま終わりそうなんだよね~」

「……あっそ」


 正直、どうでもよくなっていたスティーブンはアリシアの悩みなど興味もなく軽く聞き流すのであった。


 ◇◇◇◇


 一真が私室に戻り、ドアを開けてリビングへ足を踏み入れると、桃子達が監視モニターを覗き込んだ。桃子達は上司から一真がアメリカ政府の関係者と接触することを知らされていたおかげで、手持ち無沙汰であった。

 その為、今日は監視の任務はないだろうと思っていたのだが、一真が帰って来たので急遽監視モニターの前に座った。


「ベッドに倒れ込んだまま、特に反応はなし……。このまま寝てくれれば今日の任務は終わりなんですが……」


 監視カメラの向こう側にいる一真は服も着替えず、そのままの格好でベッドに倒れている。微動だにしないので、眠っているように見えるが盗聴器からはくぐもった声が聞こえてくるので起きていることが確認できた。


「……よく聞こえませんね」


 耳を傾けるが一真は枕に顔を埋めて、ぼそぼそと喋っている。そのせいで何を言っているか上手く聞き取れない。しかし、途切れ途切れではあるが単語は聞き取れた。


「好き……? アメリカ……? 日本……?」


 どういう意味なのだろうかと考える桃子だが全く思い浮かばない。もっと、情報が必要だとヘッドフォンの音を大きくしたら、突然一真が起き上がり、大きく息を吸い込んで叫び声をあげた。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”、好きぃぃぃぃッ!!!」

「――――」


 桃子は死んだ。雅文はタイミング良くシャワーを浴びている最中で監視すらしておらず、麻奈美はココアを作っている最中でヘッドフォンを外していたので助かった。尊い犠牲が一人出てしまったが、今日も世界は平和である。

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