第42話 ええっ!? ハニトラですかぁッ!

 国防軍は切り札を出すことにした。


 一旦、休憩という名目で一真に質問していた男が退室する。残された一真は周囲の壁を見詰めたり、天井を見たりと、キョロキョロしていた。

 ちなみに携帯は入室する前に没収されたので持っていない。もし、持っていたのなら間違いなく、友人へ尋問中とふざけた通知をしている頃だっただろう。


「(ふむ。周囲の動きは変化なし。多分、疑ってるんだろうけど、確証がないからどうしようって感じかな)」


 それから、しばらくして部屋の扉が開かれる。一真はやっと再開するのかと憂鬱そうに顔を向けると、衝撃的な光景に思わず固まってしまう。

 そこにいたのはドラマや映画でしか見たことのないような白衣を羽織っている女医がいたのだ。


 しかも、妙に艶めかしい服装をしており、視線が吸い込まれてしまいそうなほどに刺激的である。


「(え、え、えッ!? まさかのハニトラですか! 国防軍がそんな安易な方法を!? いや、確かに、まあ、古今東西、男を篭絡するには美女っていうか悪女っていうか、そうなんだけどさ! いいの? 天下の国防軍が一介の学生相手にハニトラ仕掛けるって!)」


 これには流石の一真も動揺してしまい、壁の向こうにいる者達へ伝わってしまう。


「脈拍、心拍数、脳波に乱れあり! 動揺しています!」

「まあ、そうだろうな……」

「やっと普通の反応を見せてくれましたね」

「これで平然としていられたら、それこそ別の意味で拘束していたかもしれん」


 普通の学生というよりかは一般男性と同じ反応を示した一真に安心する大人たちであった。


 それはそうと、新たにやってきた女医はモデルのような歩き方で一真の方へと近づき、挨拶をしていた。


「初めまして。私、初音はつね輝夜かぐやって言うの。よろしくね」


 とんでもない美女である輝夜から握手を求められる一真は、ゾワリと背筋が震えた。


「(こ、この女! あっちの世界にもいた類の女だ! 一番近寄っちゃいけない奴! 人を手玉に取るのが得意なんじゃない。勝手に男が転がっていくのを見て愉悦に浸るタイプだ……)」


 異世界で勇者をしていた一真は数多くの苦難を乗り越えてきた。勿論、その中にはハニトラも含まれている。

 そして、目の前の輝夜が異世界にいた怪物に近い存在だと察した。絶対に近づきたくない相手に一真は必死に平常心を保つ。


「ど、どうも~」

「うふふ。緊張してるのかしら? 声が少し震えてるわ」

「ははは~。まあ、その~」

「あ、そうそう。喉渇いてると思って水を持ってきたの。これ飲んで」


 とりあえず、一真は年頃の男性らしく振舞って見せる。緊張したようにではなく、あくまでも輝夜に見惚れてしまい、照れてるような素振りで顔を背けている。


「心拍数、脈拍、脳波、共に乱れたままです。恐らくは彼女に照れているのかと」

「普通だな……」

「まあ、これは想定内の反応ですよ。問題はこれからです」


 握手を終えた輝夜は一真の前に座り、レポートを捲ってしばらく黙り込んだ。一真は輝夜が持っているレポートが自身に関連するものだと気が付いていたが、声を掛けると面倒になりそうだと黙っている。


 しかし、その僅かな視線の動きに気が付いた輝夜が一真に微笑みを浮かべてレポートを机の上に置いた。


「これが気になるの?」

「え、いや、まあ」

「ふふ。大丈夫よ。これは貴方に関する資料なの。事前にどういう子か知るために渡されたものよ」

「あ、そうっすか」

「それよりも、もしかして、喉は渇いてなかったのかしら? さっき渡した水に口をつけてないみたいだけど」


 輝夜は先程渡したペットボトルを指差す。机の上に置いてあるペットボトルは蓋すら開けられていない。


「すんません。ちょっと、緊張しちゃって」

「リラックス、リラックス。ほら、水でも飲んで、深呼吸して」


 言われるように一真はペットボトルの蓋を開けて、ゴクゴクと豪快に喉を鳴らして、水を飲んだ。


「(んんッ!? これ毒か? いや、違う。なんかの薬か。自白剤か? それとも睡眠薬とか? 分からないけど、やっぱり水に仕込んでたか~。まあ、俺は毒耐性というか状態異常は効かないんだけどな)」


 一真の思っている通り、水には薬が仕込まれていた。

 とはいっても、別に人体に害があるような代物ではない。少しだけ思考能力が低下するようなものだ。


「よっぽど、喉が渇いてたのね。でも、もう大丈夫。私は前の人みたいに貴方を虐めたりしないから」


 蕩けるような声で喋る輝夜に一真は警戒心マックスである。もはや、目の前の女性は人間ではなく、人の皮を被った悪魔としか思っていない。


「(前の人の方がよっぽど親切じゃい! くそ~! まさか、国防軍がここまでしてくるとは!)」


 ここが異世界だったなら、即座に周囲の人間を斬り裂いてる頃だろう。なにせ、毒を盛られたも同然なのだから敵に違いない。ならば、容赦など必要あるはずもないだろう。


「水を飲んだな」

「はい。あとは、彼女の土俵です」


 壁の向こう側で見ていた者達は満足そうに頷いている。もはや、落ちたも同然だと思い込んでいるのだ。

 その理由は彼女、初音輝夜の異能ゆえにだ。


「うふふ。それじゃ、まずは少しお話しましょうか」


 そう言って輝夜は一真の目をしっかりと見据える。当然、一真も輝夜の目を見るのだが、ここで異変に気が付く。


「(げえッ!? 精神に干渉してきやがった! こいつ、もしかして、精神干渉系の異能者か! 支配か? それとも催眠? もしかして魅了か? いや、違う。これは洗脳だ……ッ! うっそだろ、おい! なりふり構わずかよぉッ!)」


 全ての状態異常に耐性のある一真は彼女が精神になんらかの干渉をしてきたことを察知したのだった。


 これは不味い。非常に不味い。何が不味いって一真は洗脳、催眠、魅了など一切効かない。

 しかし、国防軍側はそのような事を知らないのだ。つまり、輝夜の洗脳が一真に効いていないことが判明すれば、間違いなく国防軍は彼を拘束、もしくはその辺りを不審に思って追及してくるだろう。


「(やっべー……。適当に掛かった振りするか)」


 掛かった振りと言っても洗脳状態の人間など一真は知らない。いや、正確に言えば知ってはいるのだが、彼女が洗脳した人間がどのような状態になるのかを知らないのだ。つまり、正解を知らないのである。

 それはどのような状態なのか、目に生気がなく、ぼんやりとした状態なのか、それとも、意思がはっきりしているが彼女の言う事に忠実な状態なのか。


 どれが正解なのかも分からない一真はかなり焦っていた。


「(しまった。彼女に洗脳された人間ってどんな状態になるか知らないんだった! やばい、やばい、やばいッ!!!)」


 一真の心情など知らず輝夜は洗脳されているだろうと決め付けて彼に質問をしたのだった。


「ねえ、貴方は紅蓮の騎士なの?」

「……いいえ、違います」


 無感情、無機質、無表情で一真は答えた。果たして、これが正しかったのだろうかと内心冷や汗をかきながら、一真はこれで合っていてくれと祈る。


「…………ちょっと、右手をあげてみてくれる?」

「(なんだよ、その間は! やっぱり、無理があったか!)」


 やはり、洗脳にかかってないのがバレたのだろうと判断する一真は、一応、輝夜の洗脳にかかった振りを続ける。言われたとおりに手を上げて見せる一真に彼女はどう思うのか。


「(う~ん。洗脳に掛かってるようにも見えるけど……こんな人形みたい感じじゃないわ。もしかして、掛かった振りをしてるのかしら?)」


 輝夜は一真のおかしな反応を怪しんでいた。彼女がこれまでに洗脳してきた人間は彼がしたような人形みたいに無感情ではない。もっと、人間らしく普通なのだ。


「もういいわ。手を下ろして」

「はい」


 言われたとおりに手を下ろす一真を見て輝夜は妖艶に微笑む。


「(うふふふ……。とっても面白い子。私の洗脳が効かないなんて)」


 彼女は一真に洗脳が効いていない事を確信する。その後、輝夜は適当に質問をしてから指示に従って部屋を後にするのであった。

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