被害妄想


「律は良いよ。外で羽目を外せるんだから。私はずっと家にいて、いつも義母さんと一緒。こんなの軟禁されて、監視されているのと一緒でしょ!」

「大袈裟に言うなよ! 軟禁とか監視とか。人聞きの悪い。こっちはそれが当たり前なんだよ」


人聞き。そうだ。ここは他人の評価をいちいち気にしすぎている。体裁が第一で、人間の人権なんて、体裁の前では無視されて当然なのだ。私はこらえきれず、大粒の涙をこぼした。夫はそれを見て、顔をしかめた。お隣の奥様の顔と、夫の顔が重なった。


「守ってくれるって、約束したじゃない。嘘つき!」


私は自分の枕を夫に投げつけた。夫はそれを受け止めて、枕を床に投げつけた。


「疲れてんだよ、こっちは。ここに慣れるように頑張るって言ってたの、お前じゃん。だったら、慣れろよ。大体、被害妄想が酷いんだよ、お前。まだ、中に守ってもらってる身分で、なに文句垂れてんだよ。一回集会とか会議に出てみろよ。意味がない割に長ったらしい会議とか、押し付けられる役員とか、強制加入の消防団とか。その上に仕事してんだぜ? 信じられないよな。それなのに、お前の面倒まで見んのかよ?」


夫はそう言って立ち上がると、私の髪の毛を引っ張って、ベッドに顔を押し付けた。私は布団に顔をうずめる格好となり、息ができなくなった。それでも、私の頭を鷲掴みにした夫は、私を押さえつけるのをやめてくれなかった。長かったのか短かったのか、私は窒息寸前で解放され、夫は床に座り込んだ私の頭を叩いてからトイレに行った。襖一枚隔てた隣の部屋は、夫の祖父母の寝室だと思うと、絶望感があった。


 やがて私は妊娠し、男児をもうけた。この時は幸せだったのに、夫は人が変わってしまったかのように、暴力を振るうようになっていた。私はその暴力が、子供に向かないように、自分の身を挺して守った。そんな暴言と暴力にまみれた日々が日常化しつつあった頃、ついに事件が起こった。もう、気づけば夏になっていた。


 いつものように、私が床に転がって呻いているところに、翔が入って来てしまった。私と夫は、翔の前では仲の良い夫婦を演じていたが、この時には対応できなかった。私の体はすでに傷や痣だらけで、この時は立ち上がる気力さえなかった。翔はそんな私の状態を見るなり、階段を駆け下りていった。夫が制止の声を上げたが、翔は聞かなった。そして階段を降りてすぐにある固定電話から、翔は迷わず警察に電話をかけてしまった。母が父に殺されるかもしれない。すでに母は大怪我をしていると。このことで、救急車と警察車両が家の前に駆けつけ、閑静というよりは、沈黙していた地区は、大騒ぎとなった。赤い赤色灯が辺りを照らし、サイレンが鳴り響いた。近所の人々が野次馬と化し、夜にもかかわらず大勢の人が集まった。私は担架で病院へ連れられて行き、夫は暴行の容疑で逮捕された。このことで、夫の実家の体裁は地に落ちた。夫の名声も名誉も、失われた。もう少しで、我慢していた笑い声が漏れるところだった。


 こんな辺鄙な田舎の小さな暴力事件が、地方紙に掲載されるとは思ってもみなかったので、私の実家から連絡が来た時には驚いた。本当は実の両親や妹がいる家に早く帰って、私が受けていた仕打ちの数々を全て掃き出したかったが、それはできなかった。私一人で戦っているわけではない。今は翔という守るべき存在がいる。翔は小野家に残ると言っているから、私もそうすべきだろう。離婚についても、翔のことを考えながら話を進めるつもりだ。


 夫は私を守ってくれなかった。

 

 翔は私が守るしかない。




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