三章 夫婦喧嘩

雪国


 

 短いトンネルを抜けると、そこは雪国だった。これは有名な小説の書き出しではなく、私にとっての事実だった。電車に乗る前に全くと言っていいほどなかった雪が、北上するたびに増えてきていた。白さが増していく風景を見ながら、本当に遠くまで来たのだと実感していた。ところがそれは甘い認識だった。夫の実家の最寄り駅の手前で、短いトンネルに入った。電車内が暗闇に映し出され、耳が詰まったような感覚を覚えた。耳抜きをする前にトンネルは終わり、一面の真っ白な世界が始まった。モノトーンの世界で、全て雪に閉じ込められているような場所で、カラスだけが生き生きと飛び回っていた。電車は最寄り駅に到着し、私と数人の高校生だけが電車から吐き出される。夫の実家には、何度か来たことがあったが、冬場に訪れたことはなかった。もしかしたら、夫はこの世界を秘密にしておきたかったのかもしれない。駅から出ると、人々が深い側溝に雪を投げ込んでいるのが見えた。側溝には水が流れ、雪をそのまま押し流すのだ。同じ県内だとは思えない暮らしぶりだ。こんなところで、私はやっていけるのかと、自信を無くしそうになる。


 そこに、夫が車で駆けつけてくれた。名は体を表すというが、夫の場合は名前が律儀という言葉以外受け付けないほどだ。電車の時間ぴったりに迎えに来てくれた時は、私だけのヒーローに見えた。そして、この人と一緒なら、この先も安泰だと思えた。外は雪が降っていたが、車の中は暖房がきいていた。車の中から見えるのは、やはりモノトーンの世界で、その割合は圧倒的に白が多い。白鳥の鳴き声が聞こえたが、その姿は見えなかった。


 夫の実家に着くと、もう私たち夫婦の部屋が出来上がっていた。開梱された私の荷物は、全て夫が部屋にレイアウトしてくれた。もし、不自由があれば、私の好みに合わせて配置換えをしても良いと言う。夫の家は古く、全て和室だった。対して私の実家はほとんどが洋間だった。そんな私の家具は、和室にそぐわない物もあったが、それはおいおい考えることにした。義母と義父が、荷物を置いた私にさっそく温かい茶を出してくれた。夫は「彩はもうお客さんじゃないだろ」と、あきれていたが、寒さに震えっていた私には嬉しかった。


 他人の家が、今日から私の家になる。そう思うと不思議な感覚と共に、寂しさがこみあげてきた。ホームシックというのは、こんな風に突然襲ってくるものらしい。大学の時も、友達が出来るまで、ホームシックに罹っていたことを懐かしく思い出す。そしてきっと、ここでも人間関係が築ければ、ホームシックはなくなるだろうと思った。


 義母は一緒に台所に立ってくれたし、義父はこの地区のことを何でも教えてくれた。そして義弟のとおるさんは、力仕事は何でも手伝ってくれたり、冗談を言って笑わせてくれたりした。夫はそれを見つけては通さんを注意してばかりいた。私にも仲のいい妹がいたが、じゃれている時はこんな感じで、とても楽しかった。夫も通さんも仲がいい兄弟なのだと安心できた。


 しかし、そんな幸せは長くは続かなかった。

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