二章 事件欄
小さな記事
地方紙の小さな事件欄に、DVの記事が掲載されていた。そこに加害者として名前が載っていたのは、偶然にも姉の夫と同じ名前の男だった。しかし、よく読みこんでみると、住所も男の年齢も、まさしく姉の夫のものだった。私はあまりに驚いて心臓に手を当てた。心音が激しくなっていることが分かる。夏だったが手足の先が冷たく感じた。もう一度、記事をゆっくりと読んだ。その記事は、見間違いではなかった。結婚して家を離れた姉が、夫から嫁ぎ先で暴力を受けたのだ。そして、夫は昨日の夜に警察に捕まった。
私はまだ眠っている両親の寝室に駆け込んだ。ドアが乱暴に開けられて目覚めたという風に、母と父も目を擦りながら体を起こした。
「朝からどうしたの? 騒々しい」
母は明らかに迷惑がっていたが、私がその膝の上に新聞を広げると、表情を一変させた。きっとここまでは、母は知人が亡くなったという勘違いをしていただろう。地方紙には「お悔やみ欄」という葬儀を報せる記事も掲載されるからだ。しかし、私が開いているのは「お悔やみ欄」ではなかった。私が指さしていたのは、「地方報道ファイル」の記事だった。父も横から新聞を見ている。二人の表情がみるみる強張り、母は蒼褪め、父は紅潮させた。早朝の涼しさと静けさは、失われていた。父も母も、私を質問攻めにしたが、私だってこんな事態は初めてで、姉に電話もメールも出来ていなかった。それに、私はこれから仕事がある。母はスマホで姉の嫁ぎ先に電話をかけ、父は姉と連絡を取ろうとしていた。私は後ろ髪を引かれる思いで、職場に向かった。
車で職場に向かう中でも、心音は激しかった。姉の夫はとても優しくて、自律に長けた人だと思っていた。顔は平凡だったが、笑顔になると目を細めて、顔をくしゃくしゃにして笑うところに好感が持てた。少しだけ姉を羨んだほど、良い人だった。それなのに、姉に対して暴力を振るった。姉と夫との間には子供がいる。それなのに、姉に手を挙げたのだ。見掛け倒しの最低男だ。女性という自分よりも力の弱い相手に、暴行を働くなんて、軽蔑はもちろん、吐き気がする。しかも、警察沙汰になるくらいだから、姉は独りで夫からの暴力に耐えて来たのではないかと思えた。きっと子供のために、自分を押し殺して、子供を庇い、離婚も出来ずに一人で苦しんできたに違いない。姉は子供の頃から我慢強い人だった。転んでも泣かずに、奥歯をかみしめるような人だ。そこを夫につけいられたに違いない。私は車の中で、あらゆる罵詈雑言を吐いて、職場に向かった。
車から降りると、夏の日差しが肌を刺し、その光の強さに眩暈がした。蝉の声がわんわん鳴っている。勤め先の塾の門扉の前には虫の死骸が大量に落ちていた。出勤のカードスキャンを終えて荷物を置いてから、玄関や裏口の虫の死骸をごみと共に掃きだし、ビニール袋にいれておく。塾は学校が終わった夜からがメインなので、こうした虫の死骸は毎日溜まっている。この分なら教室も酷い有様に違いない。教室の机を拭いて、掃除機をかける。トイレ掃除の後に、夏期講習の資料を作る。今どきは生徒の分だけでなく、その保護者の分も資料を用意しなければならず、手間が増えた。その頃には先生たちが続々と出勤してくる。今日は土曜日なので、朝から授業が入っている先生もいる。午後からは大学生のアルバとの先生もやってくるだろう。先生たちから、授業で使うワークのコピーを頼まれ、付箋がついている部分を次々にコピーする。その中の国語のプリントに、「カッコウの巣」という教材が混じっていた。カッコウって、巣をつくるんだったっけ? と考えているとエアコンを入ながら女の先生がため息を吐いた。
「その教材、ちょっと悪趣味よね」
そう聞いて、カッコウは托卵をする鳥だと思い出す。
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