第8話:他人の家のルール

枕に大量の涎を垂れ流して目が覚めた。うつ伏せな上に口が開いていたらしい。いつ以来だろう、本当にぐっすり寝た。目が覚めて思ったけど、ここはうちではない。


はーーーーーーっ。起き上がって腹の底からのため息をついた。


母さんが死んだんだった。ここは五十嵐家。ホントに泊めてもらったんだ。結局、僕は2階の一部屋を使わせてもらった。


「空いている」と言っても二人はこの家で生活しているんだ。マンガやアニメのように何もない部屋などない。部屋はちょっとした物置になっていて、そこに布団を敷いてもらった。


首をコキコキとならす。母さんからは骨が太くなるからやめなさいと言われていたなぁ。本当かどうかは調べたことが無いけれど。楽になるのだから、言いつけは守れそうもない。


1階では生活音が聞こえる。天乃さんだろうか、鉄平氏だろうか。その両方だろうか。僕も顔を洗わないといけないし、挨拶もしないといけない。重たい身体を起こして階段を下りた。



「おはようございます」



できるだけ寝ぼけた声にならないようにして挨拶をした。



「やっと起きたわね!学校は?」



リビングにいたのは天乃さんだけだった。



「まだ忌引き中で……」


「そ。じゃあ、ご飯置いとくから適当に食べて」



どうやら、僕の分の朝食も作ってくれたらしい。キッチンに制服で、なんだか「高校生妻」みたいでぞくぞくする。「高校生妻」ってなんだ?謎の言葉を作ってしまった。


高校生妻は、そそくさと準備をして家を出てしまった。鉄平氏もいないし、本格的に僕は世の中から取り残された気分だった。


テーブルの上には朝ごはん。焼き魚をメインに、ご飯に味噌汁。漬物もあって豆腐に玉子焼き、味付け海苔まである。まるで旅館の朝ごはんだった。



「いただきます」



誰もいないけれど、一人でご飯を食べた。ちゃんと食べた食事はいつ以来だろう。


もちろん、昨日の夜はたらふく焼肉を食べさせてもらったはずなのだが、全然記憶に残っていない。気まずさだけが記憶に残っている。


ご飯を食べ終わると、食器をキッチンに持って行き洗ってみた。食器はいつも母さんが洗ってくれていたので、違和感しか感じなかった。僕はこの家のルールを何一つ知らない。


洗った食器をどこに置いたらいいのかも分からない。ふきんだってどれを使ったらいいのか分からない。洗いはしたけど、結局シンクに重ねて置くに留まった。


さて、家に帰ろうと思ったら服がない。昨日の服は確かに汚れていたし、それを着るのも変だ。洗濯しようにも勝手に洗濯機を使っていいものか……


そもそも家を出ようにも鍵がない。かといって、誰かが帰ってくるまでパジャマで過ごすのはあんまりすぎる。


とりあえず、ソファに寝そべって、テレビを見てみた。そういえば、昔やたらテレビを見ていた時があった……ああ、僕は他人ひとの家で何やっているんだろう……そんなことを考えているとそのまま寝落ちしていたようだ。



***


ガチャ、と玄関の方で聞こえた。泥棒だろうか。それなら一思いに僕を刺してくれと目を瞑ったままソファに寝転がっていた。


ダダダと廊下を走る音。足音の大きさと間隔から身長160センチ以下だな。体重も50キロ以下。女性か。


バンッ、とリビングのドアが勢いよく開けられた。泥棒が身長160センチ以下で、体重が50キロ以下の女性なら、包丁で刺されても致命傷になる程は刺せないな。


僕が無抵抗な上に包丁を持った手に覆いかぶさるくらいでないと……どれ、泥棒の顔を見てやろうと上半身を起き上がらせた。



「あ!いた!」



僕はどうもポケモンのような扱いになっているみたいだけど、そこにいた泥棒……もとい、少女は天乃さんだった。まあ、そうだろうとは思ったけど。



「ども……」



こういう時のあいさつは何が正しいのだろう。「こんにちは」には敬語が無い。「こんにちはございます」では逆にバカにしているようだ。



「こんな時間まで寝ているなんて、良いご身分ね」


「面目ないです」


「こっちは学校行ってきたわよ」


「お勤めご苦労様です」


「刑務所から出てきたみたいに言わないで」



僕は適度に佇まいを直して質問した。



「あの……洗濯機使っていいですか?」


「え?」


「着替えを洗いたくて……」


「そんなのいくらでも使っていいわよ」



そうか。使ってよかったのか。僕だったら他人が勝手に使ってたら嫌だと思っただろう。家に自分が不在の間に他人がいる。どんなサイコホラーだろうか。


たしか、五十嵐家の洗濯機は乾燥機能も付いていたみたいだった。一気に乾燥までさせてしまえばすぐに服が着れる。



「服ってどれくらいで乾きますか?」



冷蔵庫の中に買ってきたものを仕舞っていく天乃さん。帰りに買い物までしてきたみたいだ。いよいよ高校生妻みたいだ。



「服1着だけだったら1時間もあれば洗って乾燥できるわよ」



そんなにかかるんんだ……ところで今何時だ!?きょろきょろして時計を探すけど見当たらない。スマホは布団の横に置いたままだ。



「どうしたの?時間?」


「あ、はい」


「今、午後5時17分よ」



ついに現実がバグり始めた。今日は昼がなかった!朝ごはんを食べたら夕方とか……



「他のもあるから一緒に洗ってあげるわよ。今日はそのまま新しいパジャマに着替えたら?」


「そうは言っても、もう帰ろうと思います」


「はぁ?」



ソファでダラダラモード全開の僕のところに天乃さんが近づいてくる。顔近い!近いから!



「もう、夕飯の材料と朝ごはんの材料買っちゃったんだけど!」



人差し指で僕の胸を指さす。



「余ったら誰が食べるの!」


「すいません」


「それに今日、お父さん夜勤だから帰らないわよ。お父さんがいないうちに帰られたら私が追い出したみたいじゃない!」


「すいません」


「帰れないように鍵渡さなかった作戦が水の泡じゃない」


「すいませ……ん?」



なんか最後変なのが聞こえたけど……再び天乃さんはキッチンに入って行ってしまった。僕はよく考えたら今日は顔すら洗っていない。食後に歯も磨いてなければ、学校にも行ってない。人生の落後者ってこんな生活だろうか。


せめて何かしなければと洗面所を借りて顔は洗った。タオルはどれを使ったらいいのか……やっぱり他人の家は色々と都合がよくない。しかも、鉄平さんがいないのに同じ年の女子が家にいるとかダメすぎる。


やっぱり帰ろう。服は……どうせ帰るまでだ。そのまま着よう。


風呂前の洗濯物かごから自分の服を引っ張り出す。鉄平さんの洗濯物もあるみたいだけど、天乃さんのはないみたい。探したわけじゃなくて、結果的に気づいただけだから。


パジャマを脱ごうとしていた時、バン、と扉が外から叩かれた。



『ごめん……嫌な態度とって……あなたが悪い訳じゃないって分かってるの。でも、なんかどうしていいか分からなくて……』



多分、ドアの向こう側でドアを背にして言っているんだろう。彼女は僕と同じ17歳。突然、同じ学校の男子が家に来たら引くよなぁ。しかも、父親の浮気相手の子供とか、受け入れられる訳がない。


自分も母親を亡くした痛みを知っているから、今の僕を慰めようと思ってくれている。その一方で、飲み込めない部分もある……すごくいい人じゃないか。さすが3スターズ。優しさが心に染みる気がした。



「ありがとうございます……でも、ここは僕の家じゃないから……」


『でも、お父さんがしばらくいなさいって……』


「確かに助けは必要だと分かりました。とりあえず数日だけお願いします。あと、服は一回帰って持ってきます。毎回借りる訳にもいかないから」


『…分かった』



天乃さんの気配が消えたのを感じたので、僕はそのまま着替えを続けた。



「夕飯は何時からですか?」



僕はキッチンに顔を出して聞いた。服を着替えた僕を見て理解したのだろう。天乃さんは何も聞かなかった。



りゅうくんが帰ってきてからだよ」



さりげなく下の名前呼び。ああ、ダッシュで家に帰る必要ができてしまった。


ここからだとドアツードアで往復30分くらい。服などを準備するのに20~30分くらい。合計で小一時間はかかるだろう。天乃さんが空腹で倒れる前に帰りつく必要がありそうだ。



「駅に着いたらLINEして。準備とかあるから」


「はい」



こうして天乃さんのアカウントを自然にゲットしたのだった。

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