第7話:断り切れない厚意
目の前に割と大きい二階建ての家がある。庭も広くて芝生もあるようだ。これで犬でもいたら、庭で戯れることができそうな広さだ。
そう、五十嵐家だった。厚かましくも着いてきてしまった。断り切れなかったと言ってもいい。
「さあ、あがってあがって!自分の家だと思っていいから」
鉄平氏に促されて家の玄関まで来てしまった。
「やっぱり、もう遅いですし……」
「いいから、いいから!泊っていきなよ」
最後の抵抗も虚しく家に連れ込まれてしまった。鉄平氏の満面の笑顔に対して天乃さんの
「笑顔量保存の法則」があるとしたら、笑顔成分は全部鉄平氏の方に全振りしていて、天乃さんの方は笑顔成分が枯渇しているのだろう。
先に家に入ってしまった鉄平氏の後で靴を脱いでいると、真後ろに天乃さんが立った。
「あ、すいません。すぐ退くので……」
「……」
わざわざ背後に立って、何も言わない、と。これほど腕組みが似合う女性をこれまで見たことがあっただろうか、いやない(反語)。
僕が玄関にあがると黙って彼女は靴を脱ぎ始めた。僕が靴下のままで家にあがろうと歩き始めると……
「ん!」
天乃さんが声をかけてきた。声か、咳払いか。とにかく、音を立てた。振り返るとスリッパが準備されていた。僕に……という事だろうか。ここまでしていて、自分のだ、とか言わないよな。
「使っていいんですか?」
「ん」
彼女は澄ました顔で家の中に入って行った。僕はそのスリッパを使わせてもらった。
鉄平氏がリビングに行ったみたいなので、僕もそこに進むしかなかった。広そうな家だけど、僕に進むことが許された道は1本しかないのだ。
「お邪魔します……」
リビングはかなり広かった。僕の家など風呂やトイレを足してもこのリビングだけで十分広さで負けているだろう。
驚いたのは、リビングに天乃さんもいたこと。僕は勝手に、家に帰れば天乃さんは自分の部屋に引きこもり、その後二度と姿を見ることはないだろうと思っていたのだ。僕も、今日お邪魔したのが特別で後は二度と来ることはないと思っていたし。
「まあ、かけて流星くん。天乃、コーヒー淹れてくれるか」
「……」
リビングのテーブルについていた鉄平氏が僕をテーブルに招いた。天乃さんはキッチンに入ってしまったのでコーヒーを淹れてくれているのかもしれない。そうなると、テーブルにつかない方が不義理と言うもの。
「どうだい、広いだろう。部屋も余っているからね。うちに越してこないか?天乃もいるし、楽しいぞ」
あー、分かった。この人はデリカシーが無い人なんだ。同じくらいの若い人がいっぱいいたら楽しいに違いないと思ってしまう人なんだ。僕と天音さんが一緒の家に住んだらニコニコ楽しいハッピーライフが送れると思っているんだ!
「お気持ちは嬉しいんですが……」
大丈夫です。天乃さん!僕は空気が読める方なので、何とかかんとか言って帰ります。
「でも、どうするんだい?今後。保護者がいないと学校も続けられないんじゃないかな?」
そうか。考えもしなかった。日本は未成年だと何もできない。生きていくには成人する必要がある。成人年齢である18歳になるまで誰かに世話にならないと僕は普通の生活すら送ることができないのだ。
「とりあえず、バタバタが収まるまでうちにいたらどうだろう?部屋と食事と洗濯くらいは確保できるぞ?」
なるほど。これから僕は食事も自分で準備しないといけないし、洗濯や風呂の掃除だってしないといけないのか。
「お風呂くらい入って行きなさいよね。あんたちょっと臭うわよ」
キッチンからトレイにコーヒーを2個載せて出てきた天乃さんに言われた。そういえば、着替えたのはいつ以来だっけ。ちゃんと風呂には入ったけど、それは昨日だったか、一昨日だったか……
「すいません、一晩お世話になります」
自分が気付かなかっただけで、既に僕は誰かの助けが必要な状態だったらしい。誰かに見られてどう思われるとか、考えがすっぽり抜けていた。
「はい、どーぞ」
僕の前にコーヒーが置かれた。コップは2つ。鉄平氏の分と僕の分ってことだろう。天乃さんは一緒にテーブルにはつかない。嫌われたな。
まあ、気持ちは分かる。自分のお父さんの浮気相手の子供だ。天乃さんが僕を快く思うはずがない。
僕を肯定するという事はお父さんの浮気を肯定することになる。そんな子どもがいるはずがない。
コーヒーを出してくれただけ譲歩していると思う。さすが、学校でも名高い3スターズ。人間もできているらしい。
***
僕は常識がおかしくなってきているのかもしれない。本当に風呂に入れさせてもらうことになった。
風呂に入るからには下着など着替えも必要だ。最近ではコンビニで売っているというし、手持ちはあまりないけれど、下着くらいは買えるだろう、と思っていた。
「ん!」
天乃さんが包装された状態のパンツを渡してきた。僕は思わず彼女の顔を見た。
「お父さんの。まだ開けてないから」
視線こそ合わせてくれないけれど、いわれて持ってきた感じじゃない。やっぱり根がいい人なのだろう。
「ありがとうございます」
「パジャマもお父さんの使って。ちゃんと洗ってるから」
「ありがとうございます」
「脱いだ服はかごに入れといて、明日洗うから」
「ありがとうございます」
「こんなの普通よ。いちいちお礼を言っていたら住めないわよ?」
「え?」
パジャマとパンツを僕に押し付けて天乃さんが去って行った。え?僕はここに住んでいいの?そんな簡単に受け入れられる訳がない。
***
とりあえず、風呂に入った。湯船が広い。五十嵐家はお金持ちだ。お金持ちの家の風呂はデカい。僕の勝手な決めつけだ。
ただ、庭も広いし、二人で住むには広すぎるくらい家もデカい。鉄平氏は何の仕事をしているのだろうか。
『ねえ!』
風呂で色々と考え事をしていると、ドアの向こうから天乃さんの声が聞こえた。シルエットからドアの前に座っているようだ。しまった。考え事しすぎて長風呂しすぎたのだろうか。
「すいません。もう、あがりますから」
『いいわよ。別にゆっくりで』
じゃあ、なぜそこに……こっちは裸だから、ドア越しとはいえ、可愛い女の子が目の前にいると思うとすごく恥ずかしいんですけど……
『お母さん亡くなったの?』
「はい」
『いつ?』
「先週です」
『そう……』
「……」
『うちも私が小さい時にお母さんが亡くなったわ』
そうか。天乃さんもお母さんを亡くしていたのか。さすがにお揃いねとは言わないだろうけど。
『他に親戚は?』
「いえ、いません」
そうだ。口にして分かった。僕は一人なのだ。親戚も誰もいない。この世界で一人なのだ。
『何月生まれ?』
今度はなんだ。何かのパスワードを忘れた時の質問か?
「7月です」
『何日?』
「31日です」
『私の誕生日は7月3日よ。トム・クルーズと同じ誕生日』
なにそのトリビアみたいなの。知らんがな。
『私が「お姉ちゃん」だから!』
「は?」
『先に生まれたから、私がお姉ちゃんだからね!』
「それって……」
『あと、エッチなことしたら追い出すから!』
何をどう考えたのか、しばらくいていいってことか。
「ありがとうございます」
『嫌いな食べ物は?』
「特にないですけど」
『毎日それにしてやろうと思ったのに』
「じゃあ、『カレー』で」
『「饅頭怖い」じゃないんだから!』
さすが、3スターズ様は落語もお分かりになる。
「しばらくお世話になります」
そう言った時には、ドアに彼女の影はなかった。僕の声は彼女に届いたのかどうか……
これが、僕と天乃さんとの出会いだった。
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