第44話 大成の時
熱風吹き荒ぶ灼熱の地獄。焼けるように熱い砂の上を京華はふらつきながら走り続けている。身体は、火傷跡と
しばらく進み続けると、人間が一人が入るのに丁度良い大きさの岩があった。京華は無我夢中で隙間に身を隠し、近付いてくる人形をやり過ごそうとする。
「おねえちゃん、どこにいるの?」
何もいらない。このままここでじっと隠れていられればそれでいい。
本当に何もいらない。一人にしてほしい。関わらないで、放っておいて……
(……)
疲労は限界だった。遂に京華の思考が止まり、身体はぴくりとも動かなくなる。後からマリーとペーターが京華を見つけるが、彼女はもう何の反応も示さなかった。逃げることも、罪を受け入れることもなく、置物のようにうずくまるだけ。
「……つまんないの。ペーター、次のおもちゃを探そう?」
廃人になった京華に興味を失ったのか、マリーは人形とどこかへ歩き去ってしまった。辺りでは、彼女と同じような人たちが何人も座り込んだり、倒れたり……その中の一つに混ざった京華は、地獄で永遠とも知れない時間を過ごそうとしていた。
誰も、自分を虐げることはない。代わりに、誰が手を差し伸べることもない。遠いところから聞こえる悲鳴と、身を焦がす灼熱に包まれた、静止した世界――
その中を、軽やかな足取りで歩く者がいた。
京華がただ背中を丸めていると「彼女」は前に立ち、その顔を覗き込んだ。
「やっと見つけた。こんなところにいたんだ」
「……え?」
恐る恐る、顔を上げる。
そこにいたのは、京華が心の底で求め続けていた姉――亜理沙の姿だった。
「お姉、ちゃん」
かすれた声が震える。
「ひどい傷……ごめんね、探すのに時間掛かっちゃった」
「なんで、こんな、ところに」
「うーん、なんでだろう。お姉ちゃんだから?」
亜理沙は京華の肩に触れ、そっと抱き寄せる。身体の感触は、京華が覚えていた記憶そのままだ。強ばっていた身体を動かし、願っていた再会を喜ぶ京華。その顔に感情の色が戻る。白くなりつつあった瞳は黒を取り戻し、眼も次第に潤んでいく。
「お姉ちゃん……お姉ちゃんっ!」
「アヤメからいろいろ聞いたよ。本当に、今までよく頑張ったね。京華」
姉を抱きしめる腕に力が籠もる。目から溢れた涙が滝のように流れていく。
京華は、姉を失ってはじめて、子供のように大きな声で泣いたのだった。
「お姉ちゃんが、いなくなって、ずっと、寂しくて……うわああああああああ!」
「うんうん……」
「良かった、あああっ、会えて、良かったあっ……!」
京華の目から、滝のように溢れる涙。それは京華自身の地獄を塗り替えていく。
亜理沙の腕の中で泣きじゃくる彼女を中心に、地獄の光景は姉の部屋の様子に変わっていった。セーラー服はもとの純粋な白色を取り戻し、身体に刻まれた傷は薄れて消えていく。
「なんでっ、一人で、死んじゃったの……!」
「……ごめん」
「馬鹿っ! お姉ちゃんのこと、大好きだから、ぐす、死ぬ時も、一緒って! お姉ちゃんとやりたいこと、沢山、あったのに!」
半年間、京華の心を支配していた黒い靄が吐き出されていく。亜理沙は何も言わず、京華がかつて思い描いていた夢を一つ一つ受け止めていた。やがて、彼女が腕の中でおとなしくなった後、亜理沙は京華を部屋のベッドへ運び、二人で横になる。
姉妹の目が合った。二人は指を絡め、優しく触れ合うようなキスを交わす。
「ん……京華、ちょっとだけ上手くなった?」
「変なこと言わないでよ、お姉ちゃん。んっ……」
「……ごめんね。でも、懐かしい。いつもこうして二人で寝てたの思い出すな」
戦いの果てに荒んでいた心は、もとの清らかな透明さを取り戻していた。
安心しきった京華。だが、誰かが自分のことを呼んでいる気がして顔を上げる。
「アヤメちゃんの声だ」
「……ああ、そっか、京華も戻らなきゃいけないんだね」
身体を起こした亜理沙は京華ときつく抱き合ってぬくもりを分ける。そして、不安な表情の妹の頬を撫で、にっこりと微笑んで励ました。
「大丈夫だよ。今の京華なら、次は上手くやれるから」
「嫌だ、お姉ちゃんと、離れたくない……」
「離れないよ。これからはずっと一緒。私はいつも、京華の傍に居る」
呼び声は徐々に強くなる。部屋のドアを開いた。その先は暖かい光に満ちている。
「アヤメのことも好きになってあげてね。私も、あの子に負けないつもりだから」
「うん。分かったよ、お姉ちゃん」
「じゃあ、行こっか。案内は任せたよ」
姉妹は、手を繋ぎながら、光の中へ歩みを進めて消えていった――
目を覚ました京華は、身体全体に温かみを覚えながら身体を起こす。
京華は、学校の保健室のベッドで眠っていたようだった。横では、京華の覚醒に気付いたアヤメがほっと胸をなで下ろしている。
「おかえり、スズ」
「ただいま」
「……彼女には、会えたか?」
「うん。久しぶりに色々話して……すっきりした」
ベッドから降りようとした時、京華は自分の足下が揺らめいているような感覚に陥る。それが何なのかを探っているうち、自分の周りに漂っている気の流れが、特別なことを考えなくても肌で感じられることに気が付いた。
そして、これをどう操るかも身体が理解していた。京華はアヤメの見ている前で柳葉刀を一本生成すると、向かいの部屋から聞こえてきた歓喜の声に振り返った。
「……今はどうなってるの?」
「シェン・ウーが、南東大門路に何体もの巨大蜥蜴を顕現して、幽灵中心へパレードを始めている。師匠はその進行を少しでも遅らせるべく先に向かった」
「そっか、カンナさん……」
「師匠から二つ伝言がある。一つ目は『気にするな、死ぬのは慣れてる』って」
それを聞いた京華は目をぱちくりとさせた。
「もう一つは、『神話の最終巻が見つかった。副題は救世主再臨』。今まで、神話に書かれた歴史が変わるのが怖くてこのことを話せなかった、とも聞いた」
カンナを恨む理由は残っていなかった。
京華はアヤメの手を取る。そして、視線を合わせ、真っ直ぐ見つめ合った。
「アヤメちゃん」
かつて闇に沈んでいた少女。
彼女は、もとの輝く太陽のような明るい笑みを浮かべ、大好きな人へ――
「一緒に、世界を救ってくれる?」
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