第40話 散華
施設内に火災警報が鳴り響く中、炎を背にした京華とカンナが向かい合っていた。普段ならそのまま駆け寄ってもいい仲の二人だったが、今は十メートルの間が開いている。
「シェン・ウーは、どうなった」
「……アヤメちゃんが、死の直前まで粘って、私を逃がしてくれて……カンナさんは、私たちがこうなるのを知ってたんですか?」
その質問に、カンナは何の言葉も返すことができなかった。京華は失望の溜め息を吐く。そして、後から、全てがどうでもよくなったように笑い始めた。
「何も話してくれませんよね。私は、貴女を何にも知らないんです」
「それは――」
「カンナさんに言われた通りに世界を救って、もう、それに何の価値があるんですか。アヤメちゃんのいない世界なんて、あってもなくても何も変わらないのに」
「結論を急がないでくれ! 今のスズちゃんはおかしいんだ!」
「おかしい? じゃあ、カンナさんは、彼女を失って正気でいられるんですか!? アヤメちゃんはいつも『師匠』って貴女を慕ってくれていたじゃないですか!」
カンナはただ黙り続けている。
京華は、数多くの死体によって満ちた気から二本目の柳葉刀を「生成」していた。そしてそれを目の前の女剣士へ向ける。カンナは、事態が相当深刻なことを痛感させられていた。
「駄目だよ……スズちゃんが、二人目のシェン・ウーになったら、どうするんだ」
「世界に興味なんてありません。私は、
「……本当に、手が付けられないところまで来ちまったんだな」
カンナへ向けられた刃は、背後の炎を受け、光沢は妖しく揺らめいていた。
「邪魔をするなら、カンナさんでも、斬ります」
無言のまま、カンナは腰の太刀へ左手を掛ける。
京華は残念そうな顔で腰を落とした。
「武を教えた者の責任として、スズちゃんを止めさせてもらうよ。いいね」
「やれるものなら、やってみてください。できるんですか?」
「ああ……こんな、変わり果てた友を斬るのは、何度だってあったよ」
体育館の真ん中で、炎が広がっていく。それが周りを赤の世界へ塗り替えていった。最初に飛び込んだのは京華だ。京華はたったの一蹴りで十メートルの距離を詰めてみせ、見切ったカンナが太刀を抜いて牽制する。
そこへ二刀流による乱撃が叩き込まれた。反撃のタイミングを掴めないカンナは受け止めるだけだ。刃が欠ける。
少女が繰り出していい重みではない。食らえば最後、骨まで破壊される。
「カンナさんには、一つだけ、感謝してるんです」
「こんな状況で、言われたくないねっ!」
「貴女の記憶に、何度も、助けられました。貴女のお陰で、強くなれました。だから……」
連撃に混ぜられた体幹を崩す一撃。
それを受けてしまったカンナはついに守りをこじ開けられた。そこへ京華の蹴りが腹めがけて入っていく。続けて太腿を狙った突きが繰り出されるも、それは寸でのタイミングで躱された。
後退するカンナは隣接する生徒玄関前の廊下まで追いやられる。
「私は貴女を超えて、強くなる! そして、絶対に生き返らせてみせる!」
「あ……?」
笑いながら追撃をかけようとした京華の眼前にカンナの刃が現れた。二本目の太刀だ。京華が周囲の気で生成したように、カンナも得物を作り出していた。
「お前、今、『私を超える』と言ったのか?」
カンナの太刀の背には、黒炎が静かに揺らめいていた。
陰気を集め、纏わせた刃――明花である京華を殺すには、最も適した武器だ。
「一人二人喪失した程度で、この私より、強くなれるとでも勘違いしたか! 思い上がるんじゃねえ、スズラン――!!!」
それを肌で感じ取った京華は、今度はカンナに押され始める。戦いの舞台が体育館へ戻った。彼女の背後には炎が燃え上がり、カンナからの逃げ場を塞いでいる。
「くっ、想像通りの実力……文字通りの化け物……」
「まだ引き返せる。アヤメだって、アンタが修羅になることは望んでいないはずだ!」
「アヤメちゃんを語らないで! 貴女のせいで、アヤメちゃんはっ!」
「アンタはいつか爆発すると思ってた。でも、こんなことになるなんて……」
ほんの数歩下がった先に炎の海が迫る。それでも京華は物怖じ一つしない。
カンナは状況こそ有利であるが、太刀を握る手には僅かな迷いが残っていた。彼女自身それは分かっていた。最後の決断が下せず、決定的な一撃を食らわせることができない。京華から睨まれる中、カンナの頭を、顔も覚えていない誰かの言葉が掠めていった。
『お前、何者なんだよ! なんでこの間の戦いを生き伸びてるんだ!』
『貴女のせいで父さんは死んだ! ここで僕が決着をつける!』
『化け物は俺が倒す! この街は俺が守る!』
『死にたくないっ! 誰か、誰か助けてくれ!』
思い出したくもない記憶ばかりを集めたアルバム。一つ一つには、色あせた喪失感が残されている。その一番新しいページに、変わり果てた京華の姿が収まれようとしていた。
「本当に残念だよ。スズちゃんとは、戦いたくなかった」
慣れたことだった。いつもこんな風に、悲しみを腹の底へしまっていた。カンナは腹を決め、陰気を孕んだ刃を京華へ向かって振り上げる。
京華は手にしていた柳葉刀を投げて牽制するが、そんなものをカンナが避けられないはずがない。首を少し傾けただけで、刃は彼女の顔を掠ることもなく抜けていく。
「さよならだ――」
「……カンナさん、私の勝ちです」
投げられた柳葉刀が何かに当たった。
直後、爆発。
カンナの背中にいくつもの金属片が突き刺さった。その一瞬のタイミングを逃さずに京華の持っていたもう一本の柳葉刀が、彼女の腹部を貫いた――
「っ……?」
両膝をついたカンナは、辺りを舞う白い粉を見て何が起きたかを悟った。
加圧式消火器。京華の投げた一本目の柳葉刀はもとからカンナへ向けられたものではなかった。その背後にある、時間で劣化した消火器が本当の狙いだったのだ。それがほんの少しの衝撃で爆発し、百戦錬磨のカンナにほんの一瞬の隙を作らせるに至った。それで十分だと分かった上で。
(スズちゃんは、本当に、私を殺すつもりだったんだな……)
カンナが床に伏す。京華は何も言わず、体育館から姿を消していた。
体育館では、また新しい火種が生まれていた。残っていた火炎瓶を巻き込むにつれ、その勢いはより激しさを増し、カンナのいるところが飲まれるのも時間の問題となる。
(どっかで引いてくれると思ったが、私の見通しが甘かったんだ)
懐からスマートフォンを取り出したカンナは、ホテル桃源郷で帰りを待っている者――リンドウ、インファ、カシワ、アカネ、ツキミを始めとした街の女たちの顔を思い浮かべながら、力の入らなくなった指でメールを打ち始めた。画面が見辛くて舌打ちを飛ばす。
少し帰りが遅くなる……深呼吸で気を巡らせて回復しようとするが、京華の残していった傷はそれを許さなかった。錆のように身体を侵食するいくそれはカンナの想像を超えた速度でエネルギーを奪っていく。
そして思い至る。京華は明花だったが、今の彼女は僅かながら陰気も操れていた。陰と陽が練られた一撃は、カンナと始めとした「外れ値」も蝕む凶悪なものになっていた。
「やっぱ、才能あったよ……コレを、あの馬鹿にかませば、終わりだったのに……」
立ち上がろうとするが、体内の陰陽バランスが崩れ始めているせいか、下半身が既に機能不全に陥っていた。今の彼女ならシェン・ウーを消滅させることができるかもしれない……と、カンナは淡い期待を抱く。
「ナデシコ、あとは、頼んだぞ……」
徐々に顔が明るく照らされていく。そして、カンナの姿は燃え盛る炎の中へ消えた。体育館の入り口では、カンナが投げ捨てたスマートフォンの画面が未だに光っていた。
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