第39話 遅咲き

 灵南第三高級中学、裏路地。長らく放置されていたごみ袋の山が微かに動く。

 中から這い出た京華は、少しでも楽になろうと仰向けに転がる。だが、身体中に染みついた悪臭と喀血、胸を内から突く自己嫌悪が京華の心と体を蝕んでいた。


「なんで……」


 死んだ姉と同じ容姿、同じように自分を想ってくれたアヤメ。彼女は、シェン・ウーを倒す最大の機会を放棄してまで京華を助けてくれた。彼女はまた、最愛の人と引き換えに生き長らえたのだ。


「なんで、私が……死んだ方がいいのは、私の方だったのに……!」


 咳が出る。血を吹く。京華は横になったままゆっくりと息を吐いた。だが、何の気なしに地面へ耳を当てると遠くの不穏な物音を拾ってしまった。大通りの車の音に紛れて何かの集団が迫ってくる。

 一人や二人ではない。少なくとも、味方ではないことは確かだ。強くなれ、とアヤメの残した言葉が胸を突く。選択肢はなかった。二人分の命を背負った少女はもう、自分の人生を選ぶことができなくなっていた。


「強く、ならなくちゃ……」


 内臓の損傷が、京華の身体を徐々に蝕んでいく。

 そこへ、一瞬の頭痛を経て、誰かの記憶の映像が流れ込んできた。



『ったく、あいつら、よくもここまでやってくれたな……いてて』

(カンナさん?)


 目に映ったのは、辺り一帯が死体で埋め尽くされた「公園」の様子だった。幽灵城塞の中に作られた箱庭だが、ため池や植物といった自然環境はうまく再現されている。積まれた死体の山に紛れ、カンナは今の京華と同じように息を荒くしていた。

 左腕は折れ、太刀も真ん中で欠けている。激闘の末に押し切られたのだろう。


『調子の悪い時は、基本に戻るんだ……深呼吸で気を巡らせて、身体を治して……』


 記憶の中のカンナを真似て、京華も深呼吸をする。

 気の循環による、身体の再生――それを理解するまでに時間はかからなかった。時間と共に京華の呼吸は楽になり、腹の内を焼くような痛みも消えていく。

 ボロボロのセーラー服もその形を取り戻していた。だが、色はもとの白ではなく黒に染まっている。幽灵の闇に溶け込む、底の見えない色だった。


「……できた」


 立てるまで回復した京華は、迫り来る足音がいよいよ近くまで来たことを察知する。そこへまた、カンナの記憶が呼びかけてきた。記憶の中のカンナは左腕を治したようだが、敵の集団が接近していたようだ。


『武器は……ちっ、駄目になったか。しょうがない、たまには拳でやるかねぇ』

『ここを乗り切れば、女の花園計画がぐっと近付くんだ。何度も死ねる価値はある……』


 迫り来る敵をカンナは我流の動きで捌き、鼻や耳、鳩尾といった人体の急所を的確に突いていく。その様子を「視た」京華は我に返った。

 裏路地の向こうから毒蛇がやってくる。京華は、カンナと同じ姿勢で両拳を構えた。連中の動きは脅威ではあるが、全体としてはっきりと統率は取られていない。今の彼女は、彼らが意志を持った兵士でなくただの「操り人形」であると看破する。


「もっと、強く!」


 両手両足に陽気を巡らせた京華は敵集団へ単身で突っ込んだ。向けられる大量の刃を殺気を読む力で躱し、攻撃を食らう代わりに鋭い突きと蹴りを入れていった。

 もはや何の感情も抱いていなかった。ただ一心不乱に目の前の敵を殴り、陰気で作られた身体へ陽気を叩き込む。彼女の背後に作られた死体は煙となって消えていく。


(全部見える……相手の動きが読める)


 敵は倒れ、ひとまずの平穏が訪れるが、京華の足は高級中学の門へ向かっていた。

 道を回り、大通りへもう一度出る。そしてまた校舎の玄関に立つ。アヤメと来た時よりも禍々しい雰囲気を放っていたが、今の京華はそれに一切怯む様子がない。


(アヤメちゃん……今、行くからね)


 京華の心は朝露のように澄み渡っていた。そこには修羅の道だけが映っている。

 因縁の場所へ。京華の侵入に気付いた毒蛇らは角材や鉄パイプで一斉に襲いかかる。最前列の者が大きく振り上げた時、京華は素早く懐へ忍び込んでその顎を打ち上げ、奪い取った鉄パイプに気を纏わせると、相手のこめかみを横から殴りつけた。

 遠くから火炎瓶が投げられるが、今の京華はそれを手で受け止めてしまった。一騎当千、という言葉のまま、京華は迫り来る部隊を相手に前進し続ける。


 彼女の攻撃に慈悲といったものはない。一人が挑めば一人が死に、幽灵の混沌へ還っていく。両手の鉄パイプが赤黒く染まりきった頃、玄関には、大量の死体が積み上がっていた。


「……やった」


 身体から流れてくる情報量が増えている。思案することに面倒を覚えた京華は先程は訪れなかった体育館を覗いた。

 そこではいくつもの「蛇仮面」が横になっていた。京華が一歩足を踏み入れると、彼らはゆっくり身体を起こして武器を取り、人海戦術でバラバラに向かってきた。


『うわぁ、灵西区の職員も容赦ないねぇ。大群って相手するのめんどいんだよ……』

(気を練り上げて、武器に流し込んで、貫通させる――)


 鉄パイプへ陽気を纏わせて鋭い突きを入れる。陽気は一筋の刃に変わり、敵の体を貫通しながら一直線に伸びていった。最早、敵を倒すことに躊躇していた彼女はいない。体育館の蛇退治は五分もしないうちに終わった。


 京華が少し疲れた様子で膝を折ると、背中にひどく禍々しい気配が現れる。これまでの蛇仮面とは違う、そう思った彼女が振り向いた先には……


「み、みつけた、おねえちゃん、みつけたよ、やっとみつけた!」


 無残にも変わり果てた、マリーの姿があった。

 長く肥大した両腕は身長の二倍に伸び、ぶくぶくに膨れた手が地面で身体を支えている。その真ん中に、胴体と銃で撃ち抜かれた両脚がぷらぷら揺れていた。黒のゴスロリドレスに彼女の特徴は残っているが、大部分は腐食した蜘蛛の糸が纏わり付いていて見る影もない。

 嬉しくない再会だ。だが、あの時のように頭が恐怖に支配されることはない。


「いい加減にして……!」


 京華は先程まで毒蛇たちが操っていた柳葉刀を拾い、マリーの腕を通り抜けるように、一瞬で横一直線に切りつけた。も鈍器のように太い腕で殴りつけようと試みるが、そのために片手立ちになったところを狙われ、あっけなく転倒させられてしまう。


 うつ伏せの怪物「マリー」の背中を、京華の足が踏みつける。すぐさま彼女の首に刃を当て、一切躊躇うことなく脊髄を切断した。半端に生かすのは殺すよりも惨たらしい、かもしれない。京華は去ろうとするが……


「いだぁぁぁい! いだいのやだ! おねえちゃん! もっとあそんで!」


 澄み渡っていた意識の中に、ほんの少し「怒り」の感情が蘇った。京華は足元に転がっていた火炎瓶を二種類拾い、うつ伏せのまま動けなくなったマリーへ振り返る。


「マリーちゃん」

「死んだ人は、戻ってきちゃ駄目なんだよ」


 そう言って、その二本とも、マリーへ向かって投げつけた。

 程なくして、中に入っていた二種類の薬品が混ざって発火する。マリーの身体が炎に包まれた。京華はそれだけでは飽き足らず、側に何本か落ちていた同様の火炎瓶を拾ってマリーへ投げ続ける。炎から悲鳴が上がる中、京華は、瞳を赤色に濁らせていった。


「おねえちゃん、あついっ、やめてっ……! あづいよおっ!」


 近くの火炎瓶がなくなった頃、声は聞こえなくなっていた。周囲に焦げ臭い匂いが蔓延する。学校に備えられていた火災報知器がジリリリと音を鳴らした。


『火事です。生徒の皆さんは、先生の指示に従って行動してください。火事です……』


 鳴り響く緊急放送。そんな中、炎を前にした京華の後ろ姿を誰かが見つけた。気配からしてシェン・ウーではない。京華は振り返らず、燃え上がる炎を眺めながら語りかける。



「……お久しぶりです。カンナさんですね?」

「……ああ、よく分かったね、スズちゃん」


 カンナの後ろには、切り揃えた黒髪をいじるナデシコの姿もあった。


「遅いですよ。アヤメちゃんはもう……」

「こうなるかもしれないから来たんだ。どこでやられた?」

「屋上ですよ。でも、今更何になるんです?」


 炎を背に立った京華は、以前では考えられないほど不気味な笑みを浮かべていた。その表情に優しさは欠片も残っていない。今の彼女は、人の皮を被った死神となっていた。

 カンナはナデシコに場を離れさせ、変わり果てた彼女を前に舌打ちを飛ばす。


「こりゃあ、予想以上だ……スズちゃんは、本当に、変わっちゃったんだね」

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