第37話 灵南第三高級中学

 学校は、外からの見た目も酷かったが、内装の荒み具合も随分と進んでいる。玄関を抜けた先には、職員室と体育館に繋がる長い廊下が伸びていた。職員室を興味本位で覗いてみるが、中には教師用のデスクと椅子、学校にまつわる書類が散らばって残されているだけだった。

 そして、二人の足元では「蛇仮面」たちが事切れたように倒れている。これもアヤメが念のため脈を取ったが、どれも既にこの世界での生を終えていた。


 見るものを見た二人は、探索の場所を教室へ移す。正面には真四角の教壇が置かれ、そこへ向かうように生徒用の机と椅子が並べられている。京華の見慣れていたものだった。彼女は、暗い微笑みを浮かべながらとある席へ歩く。

 窓際の、一番後ろの席。埃を落とした京華はそこへ座り、右手で頬杖をついた。


「電気のスイッチがあったぞ、京華」

「つけても変わらないよ」

「いや、私が見えないんだ。ごめんよ」


 教室の入り口のスイッチをアヤメが切り替えると、少し経ってから蛍光灯がぱっと点いた。だがいくつかは壊れていたようで、京華の真上は暗いままだった。


「私、ここの席だったの」

「……向こうの世界は、どうなんだ」

「どうかな、楽しいんじゃない?」


 京華は笑ってみせるが、アヤメにはそれが作り笑いにしか見えない。ふと頭の中に記憶の風景が蘇る。いつかの口づけで共有された「教室」の景色だった。


『ごめん京華、怖い先輩に呼ばれちゃったから掃除頼めない?』

『うん、やっておくね』

『ありがとう! それじゃ!』

『ねえねえ、今日これからどうする?』『シー、まだその話はしないで……』


 それが終われば、今度は教室の入り口から幻聴が聞こえてくる。


『亜理沙の妹ってこのクラスだよね?』

『うん、教室の隅でじっとしてる子。さっさと封筒渡してきてよ』

『えー、挨拶はしたことあるけど、どう接したら良いか分かんない……』

『亜理沙がいなくなってから、なんか、不気味じゃない?』

『あんまり悪く言ったらダメだと思う……でも、何考えてるかは、分からないよね』


 アヤメは高校という場所でどのような暮らしが行われるかを理解してはいなかったが、京華にとって幸せな場所でないのは肌で感じていた。記憶の中で愛想笑いを浮かべる京華と目の前で黄昏れる彼女の姿が一致する。

 身体に寒気が走った。ずっと、京華は一人で戦い続けていたのだ。


「アヤメちゃん。隣で机くっつけない? やってみたくて……!」


 笑顔が眩しければ眩しいほど、その影は色濃く表れる。アヤメは何の言葉も返すことができず、言われた通りに京華の隣の席に座った。机を移動させて横に並べると、二人の距離も自然と縮まる。京華はアヤメへ身を寄せ、少しだけもたれかかる。


 たまらず、アヤメは目の前の少女を優しく抱きしめていた。何もしないままでいたら、自分まで、彼女の抱える闇に引きずられてしまうから――


「今まで、よく頑張ったな」

「……アヤメちゃん」

「すまない。私には、こんなことしかできない」


 魂が欠けた文字通りの半人前でも、アヤメは京華を想わずにいられない。

 不思議な香りに包まれる中、京華は目を閉じ、お互いの額をくっつける。


「アヤメちゃんって――死んだお姉ちゃんの生まれ変わり、だったりしないかな?」


 濁った色の目をした京華は、藁にもすがるような想いを声に託しながら問いかける。アヤメは、申し訳なさそうに目を伏せ、言葉を濁す。


「……もしかしたら、そうかもしれないな」

「今までの辛いことが全部なかったことになって、朝起きたら隣にアヤメちゃんがいるの。家族みんなでご飯を食べて、昼は二人でデートに行って……」

「……終わったら、いろいろなところに行こう」

「うん。アヤメちゃんを連れて行きたいところって沢山あるんだ」


 使命を思い出し、名残惜しそうに離れる京華。

 互いに長い息を吐く。そろそろここを出よう、と立ち上がった時――




「ご苦労だったな、救世主」




 空気の震える音。黒影が教壇に現れる。

 声の主を、二人が聞き違えるはずがなかった。


「シェン・ウー」

「そっちから来たか……」

「待つことには慣れているが……このままでは観客が飽きてしまうな」


 腰の柳葉刀を取る京華。大太刀に手を掛けるアヤメ。シェン・ウーは二人を手で制した。


「急ぐな、まだ決戦フィナーレには進めない……まずは、我々の因果を明らかにしなければな」

「神話の他に、私たちが知らないことがあるとでも?」


 身構える二人を前に、シェン・ウーは一呼吸置いてから包帯の下の口を動かす。


「折角だ、簡単な『授業』を始めよう。深淵は明花の者を狙う組織だという話は、この街にいれば耳にするだろう。今や、戦いと無縁の者も我々に恐怖を抱いている」

「自分でこんなことしておいて……」

「幽灵の街では、気を操る力が最も尊ばれ、それが強い者が上に立てる。貴様らを匿ったシャオや、あの神話を書くための依代となったユーイェンもそうだ……だがその中でも、陰の地で数少ない陽気を操れる明花は、希少性も生物的価値も高い」


 アヤメは、場の主導権がこちらへ戻ってくるのをじっと待っていた。京華との間に会話はないが、彼女もアヤメと同じように焦りを抑えている。


「同じ程度の力なら、宵鬼よりも明花の方が影響力は大きい。陽気を操れる者が少ない故だ。ならば、更に明花の数が減れば、一人辺りの価値も高まると思わないか」

「……なんて」

「貴様も明花だと言うのか?」

「筋は悪くないが、そうではない。神の作った世界には『外れ値』が存在する」


 シェン・ウーは被っていたフードをゆっくりと外してみせた。

 丸い頭は目の部分以外が全て包帯に覆われ、瞳もガラスじみて人間味がない。次いで、その顔を包んでいる包帯の端に触れると、端を引っ張って解いてしまった。


「きゃっ!」「なっ……」


 驚く二人の視線の先に立っていたのは――蛇の顔を持つ「半人半妖」だった。


 頭の頂点から首まで並ぶ鱗はまさに爬虫類のそれで、蛍光灯の光を受けて不気味な波の光沢を作っている。口から漏れる長い舌が、場のひりついた空気を舐めとった。


「幽灵では希に、陰陽どちらの気をも操れる存在が生まれることがある。才能か呪いか、生き物としての理からも外れてしまうがな。私はヒトの姿を得られなかった」

「貴様は、明花にも宵鬼にもなれるのか……」

「お前が師と崇めるあの女も同類だ。信じないとは言わせんぞ」


 それを聞いたアヤメは、ほぼ無意識のままに鯉口を切っていた。彼女の顔から余裕がなくなっていくことに気が付いた京華は左手にそっと手をかぶせて制止する。


「……師匠を化け物とでも言いたいのか」

「行っちゃダメ」

「あの女は何も話してなかったようだな……まあいい。つまるところ、陽を操る者が少なくなれば、私一人でも幽灵の行く末を左右するには十分な影響力が手に入る」


 アヤメは、腹の底から湧き上がる感情を抑えようと必死の形相で歯を食いしばっている。シェン・ウーは教壇から降り、教室の出口で二人へ背を向けた。


「何を、するつもりですか」

「『上洛』だ。幽灵城塞の真ん中で胡座をかいてる連中を攻め滅ぼし、この街を一から作り替える。我々を顧みず、権力闘争に明け暮れる三流役者には消えてもらう」

「そのために、この世界の、何の罪もない人たちが……」

「ああそうだ、一つ言い忘れていたことがあったな」


 去り際に、シェン・ウーはわざとらしく、今思い出したような口調でこう言った。


「私とて、無策でない……救世主に対抗する力を得るため、陽の地より転移させた物質から、莫大な陽気を吸収したことがあった。だがどうも、向こうの世界で大きな事故が起きたらしい。危うく我々の世界を知られ、余計な邪魔が入るところだった」

「事故って……」


 シェン・ウーは、なんとも面白そうな声色で囁いた。


「知らぬはずがあるまい……これは、何の因果だろうな?」

「……え」

「つい話し込んでしまった。これ以上のアドリブは顰蹙顰蹙を買う……では、大いなる神話の最後は屋上で決着、といこう。相応しい舞台だと思うだろう?」


 彼はそう言い残すと、愕然とした二人を置いて、教室から去っていった。

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