「深淵」本部

第36話 南東大門路

 灵南スクエアで休息を取っていた京華とアヤメは、スマートフォンに届いたカンナからのメールによって戦いの世界へ戻ることとなる。それまで、京華はアヤメから剣の指導を受け、戦いに関する勘と自信を取り戻していた。


 カンナから与えられた指令は、旅の目的であった「深淵」の討伐。

 決戦の場所は灵南区の東端にある。京華たちはそこへ向かっていた。


「ねえ、ずっと階段上ってるんだけど……」

「もうすぐだ、辛抱しろ」


 幽灵城塞の内部を縦方向に貫く細い空間。そこにある、錆び付いた鉄骨階段を上っていた。高度が増すにつれ、幽灵の街を覆う湿り気は少なくなり、呼吸がしやすくなっていく。

 上から、建物が唸るような低い音が響いた。京華にはどこか聞き慣れた音だ。


「よし、ここだ。少し休んでから行こう」

「うん……ここって、どこ?」


 階段の先にあったのは「区営鉄道 南東大門路四丁目」と書かれた古い看板だった。見渡せば、今は使われていない案内所や券売機、額に入れられたままの昔の広告ポスター、曲線ついたベンチがそのままに残されている。場所によっては天井が剥がれ、中を走る配線が剥き出しになっていた。建物全体のコンクリートにはひびが入り、それを隠すように後から新しいものが上塗りされていた。完全に放棄されてはいないようだ。

 点けっぱなしの蛍光灯が不規則なリズムで明滅し、構内を不安げに照らす。


「昔、駅だった場所だ。私も当時の姿は知らない」

「なんでこんなところに……」

「今通ったのは、もとは拡張工事の時に作られた仮設階段……ここが寂れてからは本当の通り道に変わったんだろう。幽灵の人たちは、使えるものは何でも使うからな」


 鉄道駅の出入口に突き当たる。シャッターが閉ざされて進めないが、隣にある防火扉がドアとして機能しているようだった。半円状の取っ手に手を掛け、重い扉を全身で引く。

 外から、眩しい光が構内に漏れてくる。そこは――。


「わっ……!」


 ――街灯の白い光と車のエンジン音が、京華の五感を飲み込んだ。

 開けた空間に作られている八車線道路。そこを何台ものトラックが往来している。車道の両端には幅の広い歩道が伸び、道に沿うように数々の高層ビルが生えていた。まさに、大都会と呼ぶに相応しい光景である。

 そして、この場所には「そら」があった。幽灵城塞の中を探検し続けていた京華は、久しぶりに空を見上げる。彼女の瞳に映った世界は、黒と灰色で無個性に塗り潰されていた。


「灵南区と灵東区の間に跨がる幹線道路『南東なんとう大門だいもん』――幽灵城塞の最上部だ」

「星は見えないね」

「星……ああ、星か」


 しばらく上を見ていた二人は、程なくして、いよいよ前を向いて歩き始めた。急ぐ旅ではないが、ゆっくりもできない。京華とアヤメの「深淵」襲撃の話が察知されれば反撃に遭うリスクもある。連中がどこから襲ってくるかは分からない。

 旅の最終目的地は、かつて「灵南第三高級中学」だった廃ビル。二人が歩いている「南東大門路」に面する巨大廃墟だ。そこが、シェン・ウーの拠点になっている。


「学校かぁ……」


 京華の表情はどこか芳しくない。アヤメは、後ろに続く彼女が遅れていることを悟ると、手を後ろにそっと伸ばした。京華はその手を取った。

 遠くに、ビルを建てている巨大クレーンがあった。京華の手が力んだ。


「……この辺りだ」


 アヤメが足を止めるよう言う。その先に、明らかに他と年代の違う構造物が建っていた。まるで触れることが許されないかのように放置されている。全体に入ったヒビはから赤黒い錆汁が漏れ出て。窓も多くが割られている。

 入り口には「灵南第三高級中学」の看板。横に、崩れ落ちた人影があった。


「蛇の仮面、ってことは」

「深淵の手先だが……意識がないのか?」


 深緑色のタクティカルジャケット、フードの中の蛇を模した仮面、二人が何度か相手した連中と姿は同じだ。ただ「それ」からは動き出しそうな気配が全く感じられない。まるで、人形を操る糸がぷつりと切れてしまったようだ。


「アヤメちゃん……」

「分かってる。油断はできんな」


 用心しながら近付いたアヤメは蛇仮面の首元にそっと手を当てる。

 脈はなかった。アヤメは目を伏せると、自分を確かめるように深呼吸を一つする。


「……少なくとも、生きてはいない」

「そっか」

「行くぞ。ここで何があったか知らんが、戻ることはできん」


 学校が入っていたビルの扉はひどく重かった。京華とアヤメの二人で体重を掛け、空いた隙間から一人ずつ忍び込む。建物の入り口に並ぶ大量の下駄箱を見た時、京華はほんの少しだけ頭痛を覚えて頭を手で押さえる。

 薄暗い中、アヤメがそれらしき壁スイッチを倒す。

 天井に嵌まった蛍光灯でまだ生きているものが白く光ってくれた。


「スズ、大丈夫か」

「うん、大丈夫……」


 京華は、アヤメの首元から漂う甘い匂いに、どこか不穏な気配を察していた。

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