閑話 外れ者
灵西区最大の「深淵」拠点が、一人の女剣士によって陥落したところだった。
場所は灵南区との連絡路が近い廃ビルで、その中が丸々武装勢力の根城となっていたようだった。死体の山ができている休憩室ではテレビが点けっぱなしで、画面ではバーチャルの肉体を持った女性アナウンサーが今日何人死んだかを淡々と喋り続けている。
『灵西区の辻斬りで五人が死亡しています。区民の皆様は気をつけてください』
「古いニュースだな、新記録作っちゃったよ」
窓一つない、建物の中でも奥まったところにある部屋。
カンナは組織のトップが座るデスクについていた。柔らかい革の椅子に深く寄りかかりながら、冷蔵庫に入っていたレモン味の合成酒を片手に手元の資料を読み込む。そこには、これまで「神話」が翻訳されてきたかの記録があった。
「ここまではうちでも同じだ……へえ、そんなことが……」
彼女の他には誰もいない。誰にも邪魔されずに読み進めていたカンナは、興味深いものを見つけてはそれを写真に撮って仲間へと送る作業をしていた。
壁に掛けられた「通報記録」には、一部の灵西区民から寄せられた明花の目撃情報が残されている。よく見れば中には、カンナの家を訪れるアヤメと京華のことを記したものもあったのだが、彼女はそれに気付いてもなお興味を示さなかった。
「……ん」
一際気になる記述を見つけたカンナは写真を撮ろうとするが、スマートフォンを取り出している内にその書類は炎を上げ始めた。慌てて近くの灰皿へ避難させていると、カンナの背後に空気が震える音と共に人影が現れる。
「久しいな、カンナ……今は、救世主を導く者、か」
「ったく、アンタの方から来るのは予想外だよ」
振り返らずとも、カンナは自分の後ろに誰がいるかを察していた。
シェン・ウー。今まさにカンナが制圧した組織らをまとめあげる闇の存在。
「喧嘩なら店仕舞いだ。今は酒も入って良い気分なんでね」
「お前の喧嘩を買ったことはないな。十年振りの再会だというのに、変わらん奴だ」
「そっちは十年でどうしたんだ。今じゃ幽灵屈指の大悪党じゃねぇかよ」
「ほう……私と"同類"なら分かってくれると思ったが」
それを聞いたカンナは神妙な顔になると、深いため息を吐いた。
「望んだ覚えはないね」
「死なずのカンナ、というのはいつの名前だ? 二十年前か? それとも――」
「デリカシーがない奴は嫌われんぞ。貴様にそんな概念はないだろうけどな」
「知ったことではない。お前がどのような言葉を並べようと私には分かる」
手にしていた酒缶を握りつぶした時、机の上には同じものがもう一つ置かれていた。カンナは手の中で潰れた缶を、遠くのゴミ箱へ放物線を描くように投げ捨てる。
「カンナ……お前は『一人』が怖いんだろう?」
「友達なら沢山いるよ」
「そこに、二百年先も生きてる奴はいるのか?」
酒で濡れた唇が力んだ。
「過去にお前の悲しみに触れた奴の何人が今も生きている?」
「……何が言いたい?」
「私だけ、だろう? 違うか、カンナ」
「お前のことを友と呼べと? 冗談じゃない」
「悪い話ではないはずだ。幽灵の陽気を我が手中に収めれば不死の術が完成する。そうしたら、お前は永遠に繰り返される別離の悲しみから解放される……」
机の縁がガンと強く蹴られた。シェン・ウーはそれに全く動じない。彼女に背を向けたまま乾いた笑いを浮かべている。
「……二度とそんな口を利くな。それに、男はもう懲りてんだよ」
「残念だよ……最後に一つ、警告しよう」「まだ何かあるのか」
「例の救世主のことだ」
脳裏に蘇るのは、まるで姉妹のように仲のいい京華とアヤメの姿。
「……私の仲間が一人、死んだ。程度に差はあれ、あの二人は成長している。そろそろ、物語を大きく動かしても良い頃合いだと思わないか」
「お前は……何が起こるか、知っているんだな」
「そうだ。そして私は神話を超える――『救世主の死』をもたらした後に」
はっとして振り返った時には、既にシェン・ウーの姿はなかった。意味深なことを言い残されたカンナはデスクの上にあった酒を手に取ったが、しばらくして、それを開けることなく部屋のゴミ箱へ放り投げた。
救世主誕生、明花覚醒――これまでの「筋書き」に付けられていた文言。そして、それに続く「救世主の死」。カンナの心が平穏でいられるはずがなかった。
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