第31話 電気街の怪物

 古びた関節をきちきちと鳴らし、刃が欠けた赤錆の剣を携えた巨人。その「鈍器」が振り上げられると同時にアヤメは敵の股下へ滑り込む。背後で電気街のコンクリート床が砕け散った。一歩間違えれば下の階層まで抜けるほどの一撃だ。


(予想通りだ、まともに攻撃を受ければ、もたない……)


 人形の内股を撫でるように切りつける。肉を切ったように柔らかかった。刃には黒く粘性の強い液体がヘドロのようにへばりつき、蜘蛛の脚の一部も付着している。


「ペーター、うるさい鼠を殺しちゃって!」


 大振りの薙ぎ払いが来る――見切ったアヤメは後ろへ飛び下がる。

 今のアヤメにとって、攻撃を入れること自体は難しくはない。だが、巨体の中から染み出た黒い液体を見て、斬撃では「ペーター」を機能停止させることはできないと悟っていた。これでは、彼女の剣捌きは何の意味も持たない。

 身体の一部が欠けても、蜘蛛――すなわち陰気の供給が行われる限り巨人は再生できる。持久戦に持ち込まれれば、体力の限界があるアヤメが不利なのは、言うまでもなかった。


(何か、決定的な一手がなければ――)


 奴を倒すには、陰気の供給による自己再生機構を破壊するしかない。アヤメは頭を回しながらペーターに対して弧を描くように距離を取る。思案する彼女の視界に倒れた京華の姿が入った。既に関節一本分の指が消失している。


(意識があればヤオで応急処置ができたが……ん、待て、それだ!)


 閃いたアヤメは京華のもとへ駆け寄った。マリーがクスクスと笑う。


「なあに、やっぱりお友達のことが心配なの?」

「勝手に言ってろ……」

「そんなんじゃ殺されちゃうよ? それとも、早くお友達のところに行きたい?」


 アヤメの頭は冷たく冴え渡っていた。

 必要な「もの」を手にした彼女は大太刀を右手だけで構える。ゆらりと立ち、蛇のよう低く、速く襲いかかった。敵のサーベルが振り下ろされるが、そんなものはは当たらない。

 機動力に欠ける巨大人形に、アヤメの動きは見切れなかった。大太刀の先が腹を真っ直ぐに捉える。そのまま貫通し、背中から黒色の飛沫が弾け飛んだ。


「ついでだ! これでも食らってみろ!」


 ふらついた巨体に脚を引っかける。全身でしがみつきながら傷口を広げていく。

 流れ出す濁流がアヤメの顔を黒く汚した。それに怯むことなく、アヤメは左手で作った拳を傷口の中へ捻じ込んだ。生暖かい泥に手を突っ込んだ感覚――そこへ、腕へチクチク刺さるような痛みが走る。


「――っ!?」

「お人形さんのコアを探してるの? でも残念、中には蜘蛛さんがたっぷり……」


 力の入らなくなった左腕を引き抜く。足に力を込め、ペーターから離脱したアヤメは勢いでコンクリートの上を転がった。見れば、左腕に小さな蜘蛛が何匹も噛みついている。蜘蛛を振り落とすが、負傷した部分は既に紫に変色していた。


「毒か……くっ、小癪なことをする……」

「あーあ、噛まれちゃった。毒が回れば動けなくなるし……」


 アヤメは起き上がれない。右手で左腕を抑えながら苦悶の声を上げる。それを見たマリーは勝ち誇った顔になった。だが、次の瞬間、ペーターがふらついて体勢を崩し――


「……ペーター? どうしたの?」


 人形が、片膝立ちのまま動かなくなっていた。

 その身体が末端から崩れ落ちていく。身体を組織していた蜘蛛もスイッチが切れたように動かなくなり、地面へ落ちては煙となって消えていった。


「待って、ペーター! ちょっと、何をしたの!」

「そんなに、聞きたいか……ぐうっ、はあっ……!」


 倒れていたアヤメは、右手で圧を掛けて毒を押し出しながら、不敵な笑みを浮かべていた。彼女の左手には、何粒かの「カプセル錠剤」がこびりついている。


「約だよ。陰気で作った化け物に、をぶっ込んだ。陰陽術者の端くれなら、この後どうなるか分かるよな!」

「――なんてことを! ペーター!」


 マリーが作り出した人形は、その身体を陰の気によって構成していた。

 そこへ、アヤメは京華の持っていた葯――本来、明花が飲むための物――を放り込んだ。いわば、陽気の爆弾だ。マリーが卓越した操気力の持ち主だとしても、莫大な陽気を一度に流し込まれてはとてもではないが陰陽バランスを維持できない。体内で陰陽が拮抗した人形は「混沌」へ還るしかないのだ。


「私のお友達をよくも……絶対に許さない!」

「ああ、悪いとは思ってる……だが、そうだな」


 疲労が一気に押し寄せたアヤメは、仰向けのまま白い糸のドームを眺めていた。その向こうには、電気街全体を「巣」に変えた巨大な蜘蛛がまだ鎮座している。


「これだけのことをしたんだ、ゲンブがジャンクを集めるのは面倒になるかもな……」


 怒り狂ったマリー。彼女はドレスのフリルに隠れた仕込みナイフを取り出すと、肩肘張ってアヤメの元へ歩き始める。少女の目には狂気が宿り、忙しなく首を横に振っていた。


「スズと生きて帰る約束もしてたがな……これじゃあ、ゲンブは悲しむに違いない」

「うるさいうるさいうるさい! 死ぬ時は黙って死んで……!」

「ゲンブには助けられたんだが、恩返しする前に死ぬのか……」

「ゲンブゲンブうるさい! 一体誰なのよそいつ!」


 遂に、マリーのナイフが振り上げられる。刃先がアヤメの顔面へ下ろされようとした瞬間――彼女の腕が、何者かに止められた。


「えっ」


 呆然としたマリーが、ゆっくりと振り返る。

 そこには、燃えるような赤髪を伸ばした長身の女性が立っていた。


「――?」


 赤髪の女はマリーの腕を捻り、そのまま蹴り飛ばす。彼女が全身にコンクリートの白い粉を纏っている間、アヤメは自分の危機を救ってくれた女に笑いかけた。


「相変わらずの地獄耳だな、スザク」

「随分頭が切れるじゃないか、アヤメ。ようやく二人の居場所が分かったよ」

「あいつもいるのか」

「ああ。一帯にある蜘蛛の巣の処理が終わってから来る。スズランからのメールを見て、それで二人ですっ飛んで来たんだ……本当に、お前らはよく頑張ったよ」


 地面を転がさせられたマリーは憎しみの籠もった目でスザクを見るが、彼女がそれに動じるはずがなかった。逆に睨み返すことでマリーは気圧されてドームの外へ出て行く。


 だが、彼女はまたドームの中へ戻ってきた。

 続いて入ってきたのは、全身を強化外骨格に包んだ緑色の重装備兵。背中からはガトリング砲と火炎放射器のアームが計四本伸び、両手にはそれぞれ自動小銃が握られている。


『ねえスザク、こいつ誰? 撃っちゃっていいの?』

「やめてっ! 撃たないで……」

「だってよ、アヤメ。どうする?」


 フェイスシールドに取り付けられたスピーカーからはゲンブの声が流れていた。アヤメは、腕の毒をあらかた押し出して立て膝になると、未だに倒れたままの京華を見て……


「奴はまだ子供だ、スズは、撃ち殺すことまでは望まないだろう」

『じゃあどうするの?』

「――足ならいいんじゃないか?」

『オーケイ!』


 銃声が響く。薬莢が二発転がった後、マリーの悲鳴が街をつんざいた。

 仕事を終えたゲンブはドームの外へ向かう。アヤメはふらつく身体で京華の元へ戻り、優しく唇を重ねた。ずずず、と京華の身体を蝕んでいた陰気を吸い出すと、彼女の身体から上る煙は止み、安定状態に入る。


「アヤメ、ひとまずこのドームを出よう。スズランは私が担いでいく」

「ああ、頼む。ところで、あの大蜘蛛は――」

『二人ともこっち! 早くあれ撃ちたいんだよ!』


 マリーの悲痛な声が響く中、京華を抱えたスザクとアヤメもドームの外へ脱出する。既に、ゲンブはガトリング砲の照準を天井の大蜘蛛へ向けていた。向こうも狙われていることを悟ったのか、ビルの壁を伝って逃げようと試みる。

『ボクの秘密兵器グングニルを舐めて貰っちゃ困るよ、こいつはロックオン機能付きだ! あっそうだ、二人とも下がってて。できれば耳塞いでて……』


 二人が耳に指を入れた瞬間、アームに取り付けられていたガトリング砲が火を噴いた。周囲にバリバリ音を響かせながら放たれる銃弾が、全て大蜘蛛に襲いかかる。


『ああああっ! オートエイム、最っ高おおおお!』


 暴力的なフルオート射撃。打ち込まれる鉛の雨は天井の巣をボロボロにしていく。巨大な身体を持つとはいえ、周りの建物ごと破壊する連続射撃に耐えられるわけがない。やがて自重を支えきれなくなった蜘蛛は落下し、ひっくり返ったまま地面へ叩きつけられた。


「なんて威力だ……」

「部屋の明かりがないと思ったら、裏であんなもの作ってるからな……」


 大蜘蛛は、もはやぴくりとも動いていない。

 辺りを薬莢だらけにしたゲンブは射撃をやめると、街をこのように変えた元凶へ近付いて火炎放射器を使い始めた。その間、彼女は何の一言も発さずに黙々と作業していた。


『はぁ……』

「……ゲンブ?」


 禍々しい巨体が炎の中へ消えていく。それにつれ、街を覆っていた白い糸も劣化し、ぽろぽろと剥がれ始めていた。あのドームもマリーを中に残したまま崩落し始めている。

 ゲンブには、そんな光景は一切目に入っていなかった。


『……銃弾って、コスト高いんだよ。なんで撃った弾はなくなっちゃうんだろ?』

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