第30話 アヤメの矜持

 ……アヤメの視界に映ったのは、暗い部屋の中で、本棚が天井から生えている光景だった。身体には糸状のものが巻き付き、脚と腕から自由を奪っている。


(スズはどうなった?)


 アヤメはここまでの経緯を顧みる。

 禁書庫で京華と別れた後、アヤメは、階段を下りてきた自立機械らを相手するために大太刀を抜いた。だが、降りてきた彼らは既に機能停止していた。代わりに、身体のあちこちに繋がった糸で操られていたのだった。

 襲いかかってくる連中自体は、身体から伸びる糸を切っていくだけで片が付く。異常事態の原因を探ろうと一階へ上ると、図書館の入り口に「シェン・ウー」が立っていた。その横には、黒のゴスロリドレスを纏った少女もいる。対峙しようとした時、アヤメは、後ろから何かに殴られて意識を失ったのだった――


(そうか、二人は、神話を処分しに……)


 視界の天井を小さな蜘蛛の集団が這っていった。アヤメは我に返ると、今、自分が逆さ吊りにされていることを把握する。近くでは、図書館の自立機械が何台か、アヤメと同じように白い糸で縛られて吊られていた。さながら屠畜場のような光景だ。

 機械のうち、一体がまだ目に光を灯していた。アヤメが身体を僅かに動かすと、それを認識したのだろう、前よりノイズの混ざった機械音声で声を掛けてくる。


『おはよう、ございます、区民』


 遠くから、重い足音が響いてきた。事態を察したアヤメは「視線だけ」を動かす。

 逆さに映ったのは、薄汚れた軍服に身を包んだ巨大な西洋人形だ――


『区民、助けてください。私は、助けが、必要です』


 人形は、カチャカチャ音を立てる機械の元へやってくると足を掴み、糸ごと天井から引きちぎった。そして、そのまま部屋の奥へと引きずっていった。


「助けてください、区民、助けてくだ――」


 機械はアヤメからは見えない場所へ運ばれていく。

 やがて、がりっ、と潰される音と共に、何の言葉も聞こえなくなった。


(……スズが心配だ!)


 脳裏に浮かぶのは、彼女が暗闇の中で怯える姿だった。アヤメは自分の身体を縛る糸を確認する。幸いにも「がんじがらめ」ではなかった。身体を曲げ、届く糸を口に含んで噛みちぎる。僅かな粘り気ととゴムの味が広がった。

 そうして両腕が自由になるが……気絶する前に持っていた大太刀はなかった。


(駄目だ、こんな状況じゃ奴とは戦えない……)


 人形が背を向け、部屋の入り口へ向かっていく。すぐさまアヤメは脚を縛る糸を解いて地に足つける。そのまま、音を立てずに近くの本棚の陰へ身を隠した。

 本棚が動かされたり倒れたりして、部屋の構造は変わっていた。館内地図には「5階」の文字があるが、本棚の配置図は役に立ちそうにない。逆さ吊りだったせいで感覚の薄い指先へ息を吐き、物陰で屈伸と回し運動を済ませる。


(よし、今なら)


 出口への道が人形の死角となった瞬間、アヤメは軽やかな身のこなしで人形の背後を抜けてみせた。しかしその時、図書館の床に落ちていた「何か」を踏みつけてしまう。部屋を出てすぐに確認すると、靴の踵には蜘蛛の身体の一部が張り付いていた。

 時を同じく、部屋を這っていた小さな蜘蛛たちが、アヤメの方へ集まり始める。


(誰かが蜘蛛を操ってる……)


 小蜘蛛の動きに合わせ、あの重い足音も階段の方へ迫ってくる。

 アヤメはすぐさま階段を駆け下りた。窓からは、まるで街全体が蜘蛛の巣に囚われたような光景が広がっている。異常事態の黒幕を探しながら図書館の出口へ戻ってくると、待合室に並ぶ一人掛けソファにローブを着た男が座っていた。

 フードの下にある包帯を巻いた顔。武装勢力「深淵」のトップ、シェン・ウー。


「私の部下が手荒なことをして失礼したな、宵鬼シャオグィの少女」

「……貴様が何故ここに居る」

「それは筋書きを書いた神へ問うべき質問だ。我々はここで出会う、そう決められていた」

「理由がないなら、今は貴様に構っている暇はない」

「ああ、その通りだ。君も急いだ方がいい」

「……何を知っている?」


 立ち上がったシェン・ウーは、図書館の外を見るように手で示す。

 電気街の真ん中に「繭」を中心とした白い糸のドームが建っていた。繭の横では黒のゴスロリドレスを纏った少女が立ち、中を覗き込んでいる。近くには大太刀が刺さっていた。


「幽灵を救う救世主が現れたなら、悪は物語の最後に滅ぼされなければならない……だが、考えてもみたまえ。昨日までが予言の通りだとしても、今日や明日はその限りではない。我々の手で、予言にない新しい未来を紡ぎ出すことができる」

「滅ぼされたくないからと、都合の良いことばかり……」

「これは君にとってもいい話だと思うがね」

「交渉でもするつもりか」

「そんなことに興味はないが……私が傀儡術を教えたあの娘は、今まさに明花の救世主の物語を終わらせようとしている。我々が立つこの舞台の章題を知っているか?」


 はっとしたアヤメが電気街の繭をもう一度見る。

 その中には誰かが囚われていた。姿までは見えないが、繭の大きさから考えて……


「救世主の死、だ。それでも君は『結末を変えたい』と思わないかね。それとも、アドリブの一つさえも許さないつもりか?」

「……スズ!」


 死神の気まぐれを察するや、アヤメは考えるよりも先に駆け出していた。

 電気街を縦横無尽に走る細く白い糸。それらを躱しながら繭へほぼ一直線に向かう。そして、大蜘蛛が見下ろしている中、ドームの内側へ飛び込んだ。中に居たマリーはアヤメが来ることに気付くと地を蹴り、ドームを構成する糸の一本にふんわりと腰掛ける。


「スズ、待ってろ、今出すからな」

「よく見えてるんだね。貴女は『ねずみ取り』に引っかからなかった」

「黙れ……くそっ、時間が経つと硬くなるのか……」


 近くに刺さっていた大太刀を回収し、繭を切断していく。上半分を外すと意識を失った京華の姿が出てきた。まだ微かに息はあるが、彼女の身体からは大量の煙が上がっていた。

 京華の右腕の中には目当てと思われる古書が一冊。彼女はやり遂げたのだ。


「そんなことしても無駄だよ」

「いいや、助ける。助けてみせる!」

「なんでそんなに頑張るの? その子を助けても、二人とも殺されちゃうのに……」


 繭の中から京華を引っ張り出した直後、図書館の方から黒い生き物が地を這ってこちらへ迫ってくるのが見えた。小さな蜘蛛の集団だ。それらは白いドームの内の一カ所に集まると、他の蜘蛛の上に覆い被さるようにして一つの巨塊を作っていく。


 塊が歪み、人の形を象る。表面の蜘蛛たちが力尽きたように剥がれ落ちた。次いで、身体を纏う泥のようなものが落ちると、剣を持った西洋人形の姿が現れる。

 殺人鬼「ペーター」の再来だ。


「スズが、たった一人で、こんなに……埃だらけになるまで頑張ってくれたんだ」


 アヤメはそう呟くと、大太刀を手に静かに立ち上がる。

 そして、そのまま目を伏せながら、霞の構えを作った。これまで散々二人を追い回した悪夢の人形を前にしても、決意を固めたアヤメが怖気付くことはない。


「私には、それに応える、義務がある……!」

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