灵南図書館

第28話 禁書庫

 アヤメとスザクの戦闘を終えて時間が経ち、灵南電気街にはかつての活気が戻っていた。一部の人はアヤメの姿を見るや距離を取っていたが、それでも二人は騒ぎを起こすことなく灵南図書館に辿り着く。避難していた人たちは既に帰ったようで、入り口の辺りは京華たちが最初に訪れた時と同じ、静かな雰囲気となっていた。

 玄関では自立機械が何体も集まり、騒ぎで押し寄せた人たちが残していったゴミや埃を掃除して回っている。それもあり、折良く館内の警備が薄くなっていた。


『おはようございます、区民。精が出ますね』

「また歴史の本を探しているんだが……何階だったかな」

『歴史、の本は……五階、奥のエリア、でございます』


 掃除をする機械たちの背をこっそり抜けて階段を降り、禁書庫がある地下へやってくる。豪華だった一階と異なり、地下はコンクリートが打ちっぱなしの冷たい空間が広がっていた。

 奥には電子錠付きの戸が一枚。横では「施錠」を示す赤いランプが光っている。京華はスマートフォンのメモを確認し、ゲンブが割り出したパスワードを横に入力していく。すると、赤いランプが緑色に変わり、カチャリと鍵の開く音がした。


「よし、これで入れるな……よいしょ」

「うわ、埃っぽい」

「随分と長い間放置されていたんだろう。目当ての本を探すぞ――」


 その時、階段の方から何かが降りてくる音がした。先程掃除に勤しんでいた機械たちが、禁書庫のロックが解除されたのを知ってチェックしに来たのだろうか。


「中から開けられるパネルはあるな?」

「うん。アヤメちゃんは来ないの?」

「外で連中を『説得』する。探し物はスズの得意分野だから任せるよ」

「わかった。なるべく早く終わらせるね」


 京華は、戸の隙間から身体を滑り込ませて禁書質の闇へ忍び込んだ。

 辺り一面闇。スマートフォンの明かりで周囲を照らすと、入り口近くのテーブルに電気ランタンが置いてあった。電灯はない。元から電気も通っていないようだ。


「早くしなきゃ……」


 一人になっても口数は減らない。京華は自分を急かしながら本棚を一つ一つ調べる。独裁者による獄中日記、現在では一部から強く否定された歴史本、当時の差別意識をそのままに残していた小説、少数民族の虐殺を綴ったレポート……一冊ずつ見てはきりがない。京華は古い装丁の見た目を思い出し、古書を扱う本棚を探し始める。


 そして――目当ての本棚は、部屋の一番奥にあった。

 ランプを近づけると、鍵のかかったガラス窓越しに何冊もの糸綴じの本が並んでいた。中には背表紙に「神示」と書かれたものが見える。アヤメから奪った読み書きの複製記憶も馴染んできたようで、図書館での本探しも元の世界とほとんど同じように行えていた。


「鍵は……う」


 ふと思い出すのは、前にスザクがメーターの数値を誤魔化すためにカバーをこじ開けていた光景。それを起点として京華の頭で「記憶」が呼び起こされ、一瞬の痛みが走る。



 脳裏に映ったのは、かつて咄嗟の判断で唇を重ねてくれたスザクの過去だった。おそらくゲンブと会ったばかりの頃だろうか。二人は、例の「管理人室」の前に立っていた。


『まったく、人使いの荒い奴だ……』

『本当にお願いだよスザク、最近ネットやりすぎて電気代払えないんだ……』

『静かにしてろ、声でバレる。ヘアピンは用意したな?』

『うん。ちゃんと二本持ってきた』

『それじゃあこいつを……ああ、いいぞ……よし』


 ヘアピンを曲げて簡単な工具を作り、カバーを留める鍵を外してみせたのだった。



 一通りの操作を追体験した京華は現実へ戻ってくると、予備で持っていたヘアピンを二本、セーラー服のポケットから取り出す。そのうちの片方をL字に、もう片方をI字に曲げると、目を細めながら本棚の鍵穴をいじくり始めた。


「ここを……あれ? ああっ、できた。ごめんなさい、失礼します……」


 何度か試行錯誤した末に鍵が開き、ガラス戸を開けて目当ての本を探す。カンナが写真で送ってくれたものと同じ本が二種類とも――こちらで保存されているものには「救世主誕生」「明花再起」と副題が追記されている――それぞれ何冊も保管されていた。

 そして、その二冊とは背表紙の色が異なる古書があった。抜いて確認する。表紙には「神示」の文字が見え、これまでの二冊の続きだと分かった。表紙には……


「……え」


 書かれていた副題は『救世主の死』だった。

 固まった京華の心に黒い影が忍び寄り、本能的な恐怖があっという間にあばら全体を冷たく濡らしていく。手が震え、電気ランタンを落としてしまった。我に返った京華は目当ての本を抱えながら転がるランタンを追いかける。するとそれは誰かの足に当たって――


「――こんなところにいちゃ、いけないんだ」


 悪事を働いている京華を糾弾しようとする、幼い少女の純粋な声色。

 自分の他に誰かいたこと、そして、聞き覚えのある声に京華の思考が止まった。


「マリー、ちゃん……?」


 足元のランタンが見せたのは黒のゴスロリドレス。

 以前京華と出会った少女、マリーの口元はにっこりとしていた。だが、京華を見据える目は笑っていない。下から照らされたことも相まって、あまりに不気味な笑みだった。


「なんで、ここにいるの」

「おねえちゃんが開けてくれたんでしょ?」

「……じゃあ、早く出よう。私はもう、用事、終わったからっ」

「ううん、私はまだお役目が残ってる」


 そう言って、マリーは京華の抱えている古書をゆっくりと指さした。京華の足が一歩後ろへ引く。背後は、本が無造作に積まれた作業台で塞がれていた。


「その本、ちゃんと返さないといけないの。あとね……」


 周囲の暗がりに紛れるように、マリーの後ろに人の形をした巨影がある。彼女が振り返りながら頷くと、頭二つ高いところに赤い光の点が二つ現れた。


 マリーがランタンを拾い上げる。


 照らされたのは、固まった血糊を纏う「西洋兵士くるみ割り人形」。

 関節が軋む音と共に腕がひとりでに動き始め、赤黒い汚れと錆に塗れた剣が京華へ向けられた。怪物の足元には小さな蜘蛛が何体も蠢き、さながら黒いカーペットを敷いているようであった。


「悪い子は殺さなきゃ。ね、ペーター?」

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