第25話 虎の巣

 ――京華は、夢の中で思い出を辿っていた。

 それはかつて、家族旅行である動物園を訪れていた時の出来事。荘厳な佇まいをした展示舎へ入っていくと、一枚のガラス越しに二匹の白い虎が歩き回っていた。駆け出す京華を追いかけるように、彼女とそっくりのポニーテールの少女が後に続く。

 二人の目当ては、綺麗な毛並みのホワイトタイガー。コンクリートの上で身を休めるだけでも綺麗な一枚絵となっている。京華はガラスに顔をくっつけんばかりにその整った姿を凝視していた。


「わあ」

「あんまり先に行っちゃダメ」

「わかってる……ねえねえ、お姉ちゃん」

「なに?」

「いちばんつよい動物って、何だと思う?」


 澄んだ目で見つめられた京華の姉はしばらく考え込む。

 やがて、中のトラが欠伸をした頃、うんうんと唸っていた彼女はこう答えた。


「やっぱり、トラさんじゃない?」


 ぺたり、と窓に貼り付く姉に倣って京華も同じようにトラを観察する。すると、視線に気がついた一匹がゆっくりと立ち上がり、ガラス越しの姉妹の方へのそのそ迫ってきた。

 そうして二人の目の前まで来ると、少し間を置いてから、がおーっ……




 京華が目を覚ますと、暗い部屋の中で眠るアヤメの姿が薄らと見えた。

 スザクとゲンブが、昔使っていたコットを引っ張り出し、京華とアヤメが一緒の部屋で並んで眠れるよう工面してくれていたのだ。不思議な目覚めを味わっていると、京華の隣でアヤメが苦しそうな声を上げる。彼女はまだ起きていないが……


「う……」

「アヤメちゃん?」


 京華の目が暗闇に慣れてきた。身体を捩って寝返りを打つと、すぐ横でアヤメが眉間に皺を寄せている。京華はそっと頬に触れ、ひんやりとした肌を優しく撫でた。


「……スズ?」


 アヤメは目を覚ますが、普段の凜とした様子はない。どこか怯えた顔で京華の差し出した手を包み、柄になく不安な様子で彼女のことを見つめていた。


「おはよう、アヤメちゃん」

「ああ……おはよう」

「大丈夫? 具合悪くない?」

「問題ない。少し、気分が優れないだけだ……なあに、すぐよくなるよ」


 そう言ってアヤメはコットから立ち上がると、身体を伸ばしながらゲンブの点けっぱなしのディスプレイを覗き込んで時刻を確認する。あまり深く眠れなかったのか、普段彼女たちが起きる時間より早い時間だった。

 京華も身を起こし、部屋の電気を点ける。開きっぱなしの「神話」のファイルを軽く読み直した後、ゲンブが収納していた本棚へ戻し、髪を整えていたアヤメと目を合わせた。


「ゲンブさんのまとめたものを見てたんだけど」

「何かわかったか」

「うん。どこから話したらいいかな……」


 ネットに流れていた話の中には、印象を強めるための誇張はあれど、多くの話にある程度共通している要素があった。


 まず、神話とは、神学者ユーイェンが自動筆記の形で書き記したものである。内容はいくつかの章に分けられて存在しているが、現在確認されているのは第三章までだと言うのが大体の話の核となっている。

 肝心の中身はというと、いずれ訪れるとされる幽灵城塞の危機に、同じ顔を持つ二人の救世主が現れ、仲間に助けられながら巨悪へ立ち向かっていく、というものだった。詳細な部分については不明な箇所も多いが、噂では、図書館の奥に写本が残されているらしい。


「……その救世主というのは、私たちを指しているのか」

「アヤメちゃんは、私を呼ぶ時にカンナさんから何も聞いてなかった?」

「いや、全く。棚の本は剣術書と詩集くらいしかなかった」

「そっかぁ。でも、他人事な気がしないよね、こんな話されちゃうと」


 気まずい。同じ顔を持つ二人、と書かれてしまうと言い逃れすることもできない。


「……図書館に行けば、まだ何かわかるかな?」

「闇雲に探してもないだろうが……あそこには確か、禁書庫があったはずだ」

「禁書庫って、え、聞き間違いじゃなくて……」

「合ってるぞ。そこでは、色々な事情で表に出せない本を回収している」


 京華のいた表の世界でも、かつては時の権力者たちが都合の悪い本を「禁書」として登録して回収・焚書していた。仮に、神話についての書物が禁書庫に残っているとしたら、幽灵の何者かが知られてはまずい内容が書いてあることとなる。

 とは言え、目的の書物を見つけられる保証がない今は、まだ二人が禁書庫に向かうわけにはいかない。もともと自由に出入りできないからこそ禁書庫なのであり、そこの書物に触れるということは灵南区で一騒動を起こすのと同義だ。


「情報がもう少しだけ欲しいな……せめて、本の場所だけでも分かれば」

「あ、それじゃあ、ゲンブさんにお願いしたら?」

「何か考えがあるのか」

「ゲンブさんなら、なんかいい感じにハッキングしてくれそうな――」


 こつん、とアヤメが京華の頭に優しくげんこつを落とす。


「簡単に言うんじゃない。そもそもお願い事の態度じゃないだろ……」


 呆れた様子のアヤメ。京華は背を向けて奥の部屋の戸を僅かに開く。すると、中の様子を見た京華の背中がかちこりと氷のように固まってしまった。


「……スズ、どうした?」


 問いかけに返事はない。

 京華は扉をゆっくりと閉め、ひどく赤面しながらアヤメのもとへ戻る。


「すごかった……」


 彼女はそれだけを言ってコットの上に座り、俯いてしまった。続いたアヤメも奥の部屋の前に立ち、京華がそうしたように扉をほんの少しだけ開けて中の様子を覗く。

 戸の隙間からは暖かく湿った空気が漏れてきていた。

 そして、ほのかに、アヤメの肌をピリピリとした感覚が撫でていく。


「二人とも、起きてる、か……」


 部屋の隅に置いてあるセミダブルのベッドの上で、薄い掛け布団が山を作っている。酷く消耗した様子のゲンブにスザクが覆い被さっているようだ。アヤメの足元から差す光が、床に落ちていた小瓶のラベルにある「オキシトシン」を光らせる。

 次にアヤメが覚えたのは息がしづらい感覚。頭の中が徐々に熱くなっていき、身体から妙な力が湧き出て行き場を探している。そこまで至って初めて、アヤメはこの状況を以前も経験したことがあるのを思い出した。


「失礼した……」


 かつて、師であったカンナがどこかへ遊びに行く時につけていた匂いだった。彼女のひどく上機嫌な様子からおそらく「そういうもの」だったのだろう。アヤメはそのような結論に至ると、部屋に戻って戸に隙間ができないようにしっかりと閉めた。


 だが――

 すぐ背後に、口を半開きにした京華が立っていた。

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