第24話 一騎当千

 灵西女人街への、深淵の襲撃。

 その一報を聞いたカンナは数秒黙ってから、まずこの言葉を口にした。


「……ツキミは無事か」

「既に待避しました。門を固く閉ざした後、民衆の避難と店の閉店を促しています」

「良かった……よし、後は私が出るから任せておけ」


 不安そうなナデシコの頭を撫でてカンナは立ち上がる。後に続こうとしたアカネを右手で制すると柔らかい口調で語りかけた。


「大丈夫さ。たまには、皆にいいところ見せたいんだ」

「お言葉ですが、それは無謀です! あれは、とても一人で抑えきれる数では――」

「落ち着け……代わりに、君にはとっても大事な仕事を任せるよ。よく聞いてね」


 カンナの言葉には魔力があった。先程まで一緒に戦いかねない様子だったアカネがその一言で命令された犬のようにおとなしくなる。彼女は一歩引いて頭を下げた。


「これから、街は少しだけ賑やかになる。だが、私たちの大切ななお客さんを退屈させるわけにはいかないだろう? 皆が外に出られない間、胡椒餅フージャオピンを振る舞うよう伝えてくれ」

「……承知しました。でも、どうか、お気を付けて」

「分かってるよ。頑張ったいい子ちゃんたちにご褒美あげないといけないからね」


 アカネの後ろ姿を見届け、カンナも女人街の通りへ出る。人々の避難は終わっていた。道の先にある門は、反対側からの突進を受け、その閂を何度も軋ませている。

 カンナは目を閉じ、左手を太刀の鍔へ掛けた。

 すると「風」が吹く。幽灵城塞の人々が忘れた、頬を撫でていく涼しい感覚。彼女が練り上げた「気」の流れだった。深呼吸一つで大気中の「気」が取り込まれ、体内でより高い純度へ圧縮されていく。それは左手を伝い、鞘の中の刀身へ流れ込み――


塗有所不由みちによらざるところあり軍有所不擊ぐんにうたざるところあり城有所不攻しろにせめざるところあり地有所不爭ちにあらそわざるところあり――」


「――最近の若者は、学がないね」


 鯉口が静かに切られた。

 時を同じくして、女人街を守っていた古き門が役目を終える。横木が張り裂け、鋼鉄の長球が扉に僅かな隙間を作る。そこから蛇の仮面を被った者が侵入してくる。

 まるで蟻の軍勢だ。彼らが全員の狙いはカンナただ一人。常人であればまともに相手できる数ではなかった。多勢に無勢、細く狭い女人街には退く場所もない。


(相変わらず、つまらん連中だ……)


 カンナは、心の中で失望の笑みを浮かべていた。

 戦いを語るにおいて「奇策による勝利」は格好のテーマである。だが実のところ、相手を実力や人数で圧倒している場合は策を用いずとも進軍一つで押し切れてしまう。戦局を打開するために知恵を絞るのは常に戦力の劣る側がすることだ。しかしそれは今の状況には当てはまらない。数で勝る相手の方が、策を練らねばならなかったのだ。

 人数差で蹴散らせる――その思い込みが「この女カンナ」の前では命取りとなる。


「――散れ」


 僅か三間の距離で繰り出される居合――白い扇状の軌跡を描く、横一文字の薙ぎ払い。すると、最も前の寄せ手の足がよろめき、腹から上が「落ちた」。身体の半分はカンナの足先まで転がると、煙となって消えていく。


 彼らには何が起きたかを理解する時間もない。続いて、その後ろを走った者が半身を失って地面へ崩れ落ちた。

 断面には陽気で白く焼けた跡が残っていた。陰気で作られた蛇仮面の身体は高い陽気を浴びて煙を上げ、女人街の混沌へ還っていく。一瞬で崩れた同胞に躓いた毒蛇たちは、広くない街の中で将棋倒しを起こしてしまった。


「なんだ、もう終わりかァ? 地を這ってでも死に花咲かせてみろ!」


 最初、アカネが止めるほどだった敵襲の第一波。それをカンナはたった一振りで完封した。顔には余裕が残っている。むしろ、簡単に終わってしまったことを惜しんでいるようでもあった。

 鎧袖一触、一騎当千、戦場の例外、挑むべからずアンタッチャブル……どんな言葉を並べても、足りない。


「……それで、今いるのは腑抜けだけか?」


 後方にいた蛇仮面らは白煌の刃を受けずに済んでいたが、その誰もが足を止め、カンナへ近寄ろうとはしない。それもそうだ、今から一人二人が戦って勝負になるはずもない。


 互いに遠くで見合っているうち、何者かの突進を受けて女人街の門が弾け散った。

 現れたのは、全身をプレートアーマーで覆った蜥蜴の巨体。背中には鞍が敷かれ、この怪物を操る蛇仮面の術士が跨がっている。門を破って侵入を果たしたそれは、後方で怖気付いた同胞たちを踏み潰しながらカンナへ歩を進めていった。

 重鎧には陰陽効果を遮断する絶気加工が施されている。先程のようにはいかない。


「へえ、顕現アドベントを使ってきたか……いいね、こうでなくちゃ!」


 陰陽の気を動物の形へ実体化させて使役する術「顕現アドベント」。高度な操気力が要求される代わりに、一度呼び出すことができれば人間同士の戦いでは圧倒的優位を取れる。人間より遙かに大きいそれは、対陰陽術の防御に優れているなら尚更対応が難しい。


 一方、術士の持つ長い杖の先では、紫色の宝石が妖しい光を放っている。足りない操気力を補っている呪具だ。あれを破壊できれば……というのは素人でも思いつけるが、命令一つで建物を粉砕できる大蜥蜴を前に、実現は簡単ではない。

 それらを目の前にカンナは――笑っていた。歯を剥き出しにした、獰猛な笑みだ!


「ようし、ひとつ、宣言をしよう……てめぇの首を、一発で落とす」


 近付いてくる巨体を前に、カンナは、得物の先を鞍の上の毒蛇ドゥーシューへ向ける。太刀の峰が、燃える炎のように白く揺らめいていた。凝縮された陽気がそう見せるのだ。


「冥土の土産にいいもの拝ませてやるよ……『顕現アドベント』!」


 白炎が、彼女の肩からも上がる。それは「天」を突いて形を作る。

 不死鳥フェニツクス――空で形となった光は瞬く間に受肉を果たし、迫る最後の刺客を威嚇した。進軍が止まる。術士が明らかに動揺した様子でカンナのことを見ていた。

 カンナは呪具を持っていない。しかし頭上では陽気で練り上げられた鳥が鳴き、全身を纏う焔を大蜥蜴の眼に映していた。少しでも陰陽術を囓っていれば、目の前で涼しい顔をしているこの女が、卓越した操気力の持ち主だと分かってしまう。


終わりゲームセットだ」


 白炎鳥に気を取られているうち、術士のすぐ目の前までカンナが迫っていた。

 満面の笑みを浮かべたカンナは太刀を煌めかせ、瞬き一つの内に相手の首を落とす。杖が床へ叩きつけられると呪具の宝石が砕け、大蜥蜴の動きが止まった。陰気の供給が失われたのだ。操者がいなくなれば、巨体は姿形を維持できずに消えていく。


 格好つけるように血振りと納刀を済ませたカンナは、懐刀で大蜥蜴の口の内側を僅かに削る。そこから漏れた血を手のひらに塗り、囁きかけるように術を唱えた。

 ……その直後、浴衣の中に入っていたスマートフォンがぶるぶると震え出す。


「えっと、これか。通話に出る、はこれで……」『カンナさん! 終わりましたのね!』

「ああ、今済ませたところだけど……」

『カンナさんの勝ちですわ!』『やったー! カンナ勝ったー!』『ナデシコ、早く胡椒餅フージャオピン作る! カシワに負けてる!』『ふふ、なかなか楽しい仕事場ですね……!』


 電話の向こうはいつも通り騒がしい。カンナは苦い顔でスマホを二度見する。


「この距離だろ、話があるなら直接来てもいいのに」

『カンナさん、今回の連絡はテストですの。これから出先に居る時も、この形で度々連絡させていただきますわ。徐々に使い慣れていってくださいまし!』


 無事を知った電話相手らは皆それぞれうるさいが、その声には安堵の色が滲んでいた。死屍累々の景色が塵となって街から消え去ると、破壊された門と大量の武器が残される。そして――カンナの手のひらで、先程の血から作った小さな蜥蜴が這い回っていた。


「逆探知の準備ができた。すぐ反撃に向かう。門の修復に人手を回しといてくれ」

『承知しましたわ! 前よりも豪華に、美しくして差し上げます!』

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