第21話 東雲亜理沙
「なあゲンブ、この電話、後でかけ直すってことはできるのか?」
「あり得ない。今は
「ああ、どうしてスズが居ない時に。クソ、なんとか話を付けるしかないか……」
アヤメは、震えそうになる手を伸ばす。そして、ゲンブと見つめ合いながら頷くと、通話に応答する緑色のボタンをそっとタッチした。
通話開始――二人が黙っていると、電話の向こうから一人の女性の声がした。
『……ねえ、京華。いるの?』
少し年を取ったような、落ち着きのある声だった。しかし、それには今にも壊れてしまいそうな危うさ、何か自分の欲しいものが手に入るかもしれない期待感が入り交じり、抑揚の付け方が安定していない。
ここにしゃべれ、とゲンブが手で合図した。アヤメは恐る恐る、ゆっくりと話し始める。
「失礼します。いつも、京華さんの世話になっています、アヤメです。彼女は今、買い物に出かけているので、私が代わりに出ました」
『……まあ』
電話相手はヒステリーを起こさず、アヤメの言ったことを受け止めた。
通信に一瞬だけノイズが混ざる。それでも通話は切断されなかった。
『あの子は、生きているのね?』
「はい。生きています」
『良かった……本当に、良かった……』
電話の向こうからの声が嗚咽で曇る。それを聞いていたアヤメはどこか懐かしい感覚を覚えていた。同時に、電話相手と敵対する事態にはならず、ほっとする。
「京華さんのお母さんですか?」
『ええ。あなたは、アヤメさんは、京華のお友達?』
「……そんなところです。長くなるので詳しい説明は省きますが、色々あって」
『そう、京華にお友達……ふふ、ごめんなさい、こんな状況なのに、そのことが嬉しくて』
気に掛かる言葉を聞いたアヤメがゲンブの方を見ると、彼女はメモを取りながら信じられないような顔をしていた。電話は続けられ、京華の母親からは次の発言が繰り出される。
『京華は、わけもなく家出をするような性格ではありません。だから、何かしらの理由で外に出たと思っています。彼女は……家に、戻ってこられますか?』
これは、アヤメには苦しい質問だった。
深淵討伐という目的を果たせば京華がこの世界に留まる理由はなくなるが、決して命の保証ができるものではない。たとえ最善を尽くしても、旅の果てにどちらか片割れが、もしくはどちらも命を落とす未来も十分にあり得る。
京華は必ず戻ってくる。たった一言が喉元でつっかえて出てこない。
「京華さんは」
激化することが予測される戦いを生き延び、京華を守り抜くという覚悟。アヤメは、灵西区を出発してから微かに覚えていた気持ちを取り出して見つめ直し、改めて一つの形にした。この言葉を口にしたらもう、自分でそれに背けなくなると分かった上で。
「――必ず、戻ってきます。安心してください」
『そう。そうなのね……ありがとう。その言葉で、まだ待てるわ』
アヤメの腹の底に、重い鉛のような物がずんと居座り始めた。
しばらく、二人の会話が途切れる。それを最初に破ったのは京華の母親だ。
『アヤメさん、もう少しだけ、あなたの声を聞かせて』
「え? ああ、私でよければ」
『貴女の声は、
「え」
それを聞いたアヤメの頭に、ほんの些細な、虫のような違和感が住み着いた。
気になる? 知りたい? 虫がケラケラと笑い始めた。アヤメは雑念を振り払う。
『亜里砂は、あの陥没事故で亡くなってしまって……京華は、彼女のことが大好きだったの。もしかしたら、貴女を姉のように思っているのかも。京華を、これからもよろしく』
「……分かりました。任せてください」
『今度は、あの子の声も聞かせてくださいね。また話せますか?』
「勿論です。回線は安定しませんが、次話せる時にまた」
通話は向こうの手によって切られた。
呆然としていたアヤメはふらつく身体をコットへ預け、自分の頭の中に住み着いた破滅的な好奇心を抑えようとする。突き詰めればとんでもない事実が明らかにされる、そんな不安から逃れようと、視線を慌ただしく天井で動かしていた。
「アヤメ、大丈夫?」
「大丈夫、だと思う。少し気になることができただけだ」
「考え過ぎちゃダメだよ。結論を急ぎすぎると簡単にハマるから」
「……ありがとう、ゲンブ」
アヤメの頭の中で、こちらへ振り返って微笑む京華に大きな影が取り憑いていた。それが放つ不気味さに呑まれないよう、アヤメは逸る自分をなだめることしかできなかった。
「履歴は消しといてやるよ。だけど、この話はちゃんとスズランにしとくんだぞ」
「……ああ、分かってる」
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