第9話 灵西事変、スズラン初陣

 庚申寺で、戦いが始まっていた。


 先に仕掛けたのは四人の毒蛇ドゥーシュー。鈍器を手に、低い姿勢で砂を蹴る。繰り出された突きをアヤメは身を逸らして回避し、反動を付けた大太刀の重い一撃を返しで頭へ叩きつけた。

 同じ攻撃を前に京華は後方へ飛び、距離を取ってから相手と同じ低い構えを作る。

 彼女に、二人の敵が迫ろうとしていた。その時、京華の目にある景色が重なった。


『いいかアヤメ、集団で向かってくる敵には集団であるが故の驕りがある。それが奴らの最大の弱点だ。一人ずつ確実に倒せ。事を一つずつ高速でこなし、一度に多くのことを為しているように見せろ。そうしたら連中に心理面で圧倒的な優位を取れる』


 数日前、カンナが京華に与えた、過去の記憶。

 アヤメに柳葉刀の指導をしている光景、そこでかけられた言葉が一瞬のうちに京華の脳裏に蘇る。今までの知識と経験が身体中を流れる血となって力を与えてくれているようだ。


『京華、刀は腕で操るな。身体全体を使えば、力のないお前でも十分に威力が出せる』

『アヤメ、躊躇は己を殺すぞ! 後悔は刀を振るった後だ!』


 眠っていた戦いの遺伝子が咆える。深く考えるよりも先に飛び出した京華は低い位置で身体を捻り、弾丸のように回りながら刀を振り回した。切っ先は敵を下から捲り上げ、続けざまにもう一人の刺客の首元を撫で斬りにする。京華が地面に膝をついた直後、二人は後方で同時に崩れ落ちて音を立てた。

 それを見ていたアヤメは慣れたように四体目の屍を作り、呆然とした京華に手を伸ばす。京華は、倒れて動かなくなった敵を見て口をわなわなと震わせていた。


「や、やっちゃった、ごめんなさい……!」

「ああ、初めて殺したのか」「当たり前じゃん!」

「後で沢山話は聞く、ほら、まだ来るぞ!」


 境内の門の向こうに躍り出た先程の倍はある蛇分隊。京華が顔を引きつらせていると、本堂から錫杖しゃくじょうを持った僧侶が六人現れて二人に加勢した。どうやら初動は乗り越えたようだ。


「いいかスズ、一人に集中するんだ。目の前の一人を確実に倒せ!」


 寺院の内と外を区切る巨大な正門。戦いの様子はそこから一望できる。

 敵が次々と繰り出す型の無い剣技を僧たちは棒で受け流し、隙を見て打突を繰り出す。彼らの真ん中で京華とアヤメは刀を振るい、各々の敵を押し返していた。


 アヤメが力押しの鍔迫り合いを持ち込む隣で、京華は相手に刃を向けて間合いを取る。敵が京華に大ぶりの攻撃を仕掛けた直後、彼女は空いた懐に自ら飛び込んで刀の一刺しを決める。

 身体が勝手に動くような奇妙な感覚。これまでの倫理に反する光景を自分の手が作ってしまう様子を前に、京華は半ば泣き声のように声を上ずらせる。


「ひいいっ! 変な感じ!」

「大丈夫だ、こっちも今終わらせる!」


 アヤメは足腰を使って刀を押し込み、相手の体幹を崩す。続けざまに足元を払って転倒させると、首元に足をかけて躊躇いなく踏み抜いてみせた。僧たちが毒蛇ドゥーシューを門の外へ追いやる中、アヤメは京華を連れて戦線から離脱し、シャオの立つ本堂へ避難する。


「二人とも、時間をありがとうございます。後はお任せください」

「こ、殺しちゃった、沢山……どうしよう……」

「スズ、お前は本当によくやった、大丈夫だ」


 ぎいい、と重い音と共に庚申寺の門が閉ざされる。すぐさま僧たちが閂をかけ、入り口を塞ぐように横に並んだ。シャオは僧たちの待つ境内へ歩みながら、しゃくを手に、地鳴りのように低い声できょうを唱え始める。


「――青龍せいりゅう白虎びゃっこ朱雀すじゃく玄武げんぶ空陳くうちん南儒なんじゅ北斗ほくと三態さんたい玉如ぎょくにょ


 鼻の下をくぐり抜けるは灰の香り。

 京華はアヤメの腕の中から境内の様子を窺おうとして目を丸くした。


「青龍、白虎、朱雀、玄武、空陳、南儒、北斗、三態、玉如」


 僧たちがシャオに合わせるように経を唱え始める。彼らの声が、境内と本堂で幾重にも跳ね返る。何処からともなく揺れが起こり、辺りを一陣の風が抜けていく。

 青白い焔が、庚申寺の外で上がり始めた。

 寺院の門壁がその輪郭を白焼けさせる。光は幽灵の低い「空」まで届き、錆びついた鉄骨で閉ざされた空間全体を光らせた。門の外から、敵の叫ぶ声と扉を叩く音が響くが、僧たちはそれに背を向けたままシャオと一つの経を唱え続ける。


「青龍、白虎、朱雀、玄武、空陳、南儒、北斗、三態、玉如――」


 境内の中を風が回る。敷地の外ではそれ以上の渦が作られていた。巻風の内側では雷が轟き、蒼の光を辺り一帯を煌々と照らす。シャオは境内の真ん中に立つと、笏の陰に置いていた手――人差し指と中指を立てたものをそらへ打ち込んだ。


「――けん守護しゅごにょ明王みょうおう


 頭上を飲み込む蒼い炎。あまりの輝きに、二人は目を閉じる。瞼の裏まで届くような、暖かい光――それが止んだ後、辺りは水を打ったように静まりかえっていた。


 京華が恐る恐る目を開ける。暗い境内で、蝋燭の炎が静かに燃え続けていた。門の外は火が弾ける音が聞こえるのみで人の気配はない。

 シャオは二人の方を向くと、一つ大きな仕事を終えたように静かに一礼をした。


「シャオさん、終わりましたか?」


 京華からその質問を貰ったシャオは、僅かに首を捻って……


「いえ、まだ一人いらっしゃいます」

「おお、流石は二十四にじゅうしざんの一角を率いる者だ。やはり、私の存在に気付いたか」


 低い男の声が、庚申寺正門の上から降ってきた。

 聞き覚えのある声に京華とアヤメの二人は緊張を取り戻す。

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