第7話 "東雲京華"
しばらく、京華は泥のように眠っていた。それから飛び跳ねるように目を覚ました彼女は周りが薄暗いことに驚くが、その後アヤメがいないことに気が付いて下を向いた。どれくらい横になっていたかもわからず、京華は瞼を擦りながら本堂へ出る。
本堂の僧侶たちは寝ることを知らないかのように経を唱え続けていた。中には力尽きて首を傾げる者もいるが……境内では、二人を迎えてくれた住職、シャオが掃除していた。
「おはようございます。よく眠れましたか」
「はい、とても疲れていたみたいです。あの、もう一人はどこに行ったか見ましたか?」
「ああ、あの宵鬼の子なら近くの
「夜市……そっか、私がお腹空いたって言ったから」
「お二人は姉妹でしょうか? 二人のご縁はとても有り難いものに思えます」
京華は目をぱちくりとさせた後、ほんの少し俯いて笑みを作った。蝋燭の光のみが照らす境内であるためか、彼女の見せた陰りがシャオに悟られることはない。
「はい、そうです」
「心から信頼できる
シャオはゆっくりと身を屈めて京華と視線を合わせ、彼女の腰に下がっている柳葉刀の方を手で示す。清掃会社でアヤメから貰って以降、それは一度も使われていなかった。
「その刀は、とても綺麗に保たれています。失礼かもしれませんが……貴女の顔は穢れを知らず、戦う者の相をしていないように見受けられる。剣を振るったことはございますか」
京華は柳葉刀の持ち手にそっと触れたが、自分が持ち方すら分かっていないことに気付き、首を横に振った。
「戦いのことは、何も……」
「気に病む必要はありません。誰もがかつては初心者でした。それに、貴女には類い希な操気の才が視てとれる。磨けば、それは貴女の願いを叶える光となりましょう」
「ありがとうございます。でも、何をしたらいいんでしょうか。今の私には何も……」
不安げに京華が呟くと、シャオは境内の端の蝋燭の灯りを示す。
「まずは刀と、自分自身と向き合いましょう。スズランさんはまだ、自身に眠る力のことをご存じないはずです。それに気が付いてあげてください。焦る必要はありませんよ」
「……やって、みます」
「応援していますよ。では、私は掃除に戻りましょう」
京華はシャオに示されたように蝋燭の明かりの近くに向かい、腰の柳葉刀を取り出した。炎が揺らめき、己を映す鋼の刀身に黄金色の波が作られていた。
ふと、京華は何か思いついたように刀を持つ方の手をくるりと回す。膨らんで重みのある刀先はぐるりと一回転し、同じ高さへ戻る。それを意味もなく繰り返す。何かを考えるわけでもなく、子供が好きなおもちゃで遊ぶように夢中で回し続ける――
「ああ、起きてたのか」
「ふぇっ? あ、きゃっ!」
寺の門からアヤメの声が聞こえて京華は振り返った時、柳葉刀の刃先が揺らぎ、蝋燭の先端を弾き飛ばした。途端に周囲は真っ暗になり、腰を抜かした京華は尻もちをつく。
「スズ! 火傷してないか?」
「大丈夫……あんまり慣れないことしちゃダメだね。お寺の人に迷惑かけちゃった」
「怪我がないなら良かった。刀の練習をしていたのか」
「うん。早く、アヤメちゃんの助けになりたくて……でも、まだまだみたい」
二人が会話している横に一人の僧侶がやって来る。彼は消えた蝋燭を取り換えると、新たに火をつけて一礼をしてから姿をくらました。近くには切られた蝋燭の先端が転がったままだった。京華の視界に、カンナが蛇仮面の手首を弾き飛ばした光景が重なった。
「……アヤメちゃんのお師匠さん、大丈夫かな?」
「師匠は灵西最強の剣豪だ。退くべき時に退き、命を繋ぐ術を心得ている」
不安が残る京華だが、ふと、会話の間で主張するようにお腹を鳴らしてしまう。
「うう、お腹も空いてたんだっけ……」
「さっき夜市でご飯を買ってきた。腹ごしらえをしよう」
アヤメが箸と共に差し出したのは金具の持ち手が付いた逆台形の箱。中にはニラと豚肉を使った焼きそば、
「アヤメちゃんは普段何してるの? お師匠さんと刀の練習?」
「そうだな、師匠の家に住み込みで、刀の訓練に精を出していた。こっちで他にすることと言えば、夜市を回ったり、賭け事をしたり、女を買ったり……」
「えっ……アヤメちゃん、そういうことしてるの……?」
「待てっ、あくまで一般論だ。私は鍛錬と食べ歩きしかやってないぞ!」
「ほんとかなぁ……」
いかにも信じていなさそうな反応をしながら京華は焼きそばを啜る。やり込められた様子のアヤメは唸るような声を上げ、居づらそうな風に食事していた。
「……スズは、あっちではどんな暮らしだった?」
質問を受けた京華は黙り込み、光の通らない目でどこか遠いところを見つめる。
しばらく魂が抜けた後、彼女は言葉を一つ一つ選ぶように答え始めた。
「私の年の人は大体が『学校』というところに通って、そこで世の中のことを勉強したり、気の合う人を見つけて友達になったりしてた」
アヤメは京華の表情から何かに気付き、顔に影を落とす。
「皆とは、うまくいってなかったのか?」
「ほら、私、怖がりだから。いつもびくびくしてて、傷つきやすくて」
京華は、あはは、と笑ってからアヤメの顔を見る。
「だから、アヤメちゃんと出会えて、とっても安心したんだ。こっちでも友達ができなかったら、すぐに死んじゃってたかも」
「スズ……」
「そんな顔しなくてもいいよ。ね、食べたら特訓しない? 刀の練習したいし!」
当の本人の京華は自身の過去など意に介さぬ様子だった。しばらく手が止まっていたアヤメは我に返ると、慌てて残っていた焼きそばを口へ詰め、既に食事を終えていた京華の後へ続くように立ち上がる。
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