第2話 弱肉強食の異界
複雑に入り組んだ廊下を逃げる二人。後ろからは大蜥蜴が備品を薙ぎ倒しながら迫り、未だ落ち着けていない京華の精神を少しずつ発狂へ追い込んでいく。
「この先を抜ければ通りに出られる! そうしたら人混みに紛れて――待てっ」
一足先に曲がり角の先を確認したアヤメが手で制止する。そこには、京華を目当てにしているのだろう、蛇の模様が描かれた仮面を付けた者たちが
「そこの公衆トイレ、隠れられるところはあるか?」
「……うん、個室がある」
「私がいいと言うまで出てくるな。少しだけ、この辺りが荒れるぞ」
京華は頷くと女子トイレへすぐに駆け込んだ。個室を一つ選んで入ろうとするが、蝶番が錆びていたりドアが外れていたりでどれもが使い物にならない。苦肉の策で掃除用ロッカーを開けると、中のデッキブラシと鉄バケツを出せばなんとか身を隠せそうだった。
掃除用具を取っ散らかした京華は急いで中に籠もる。長らく雑巾類が放置されていたためか、鼻が曲がるほどに臭くなっていた。
(うっ、ぐ、うう、っ……)
寒気と吐き気が一気に京華へ襲いかかる。外では、アヤメが声を上げながら蛇仮面へ斬りかかっていた。早く終わって欲しいと京華は密室でひたすらに祈る。
その最中、何者かの足音が女子トイレへ入ってきた。アヤメではないことは確かだ。震えを抑え、ロッカーの戸の隙間から京華は外を覗く。
暗い緑色のフードの下、獲物を探す蛇の眼が輝いている。ライトを片手に暗いトイレを照らし、隠れている京華を探しているようだった。
やがて、戸が硬く閉まっている個室の前に立つと、それを足で蹴り開ける。吹き飛んだ蝶番がカラカラ床を回る。身を丸くした京華は狭いロッカー内で耳を塞ぎ、心の中の姉に助けを求めた。
(お姉ちゃん、助けて……)
京華を探す刺客は他の個室を確認し始める。閉まっている戸を強引に蹴り開ける音が、奥から一つずつ、彼女の元へ迫っていく。
(あ、ああああ、あああ……)
――やがて、京華の潜むロッカーのすぐ隣の個室が、力任せに開け放たれた。動揺を抑えるように背中をつけ、息の音がバレないよう手のひらで口をかたく覆う。
(どっか行ってどっかに行ってどっかに行ってどっかに行って……)
京華の必死の願いが通じたのか、足音はロッカーから遠ざかっていった。
ほっと一息。口から手を離した京華は、外を見ようと恐る恐る隙間を覗いてみた。
「いるか」「いない」「どこだ」「さがせ」
彼女を追いかけていた蛇仮面は、トイレの入り口で他の仲間と何かを話している。すると、後から来た一人が、床に散らばる掃除用具を指さして……
(えっ)
そう時間が掛からないうちに、ロッカーの扉がゆっくりと開けられた。
濃緑のフードの下に蛇の仮面を被る、タクティカルジャケットを着た「敵」。それは、錆びた血に汚れた柳葉刀を手に、呆然とする京華を見下ろしていた――
(あ……)
かっと見開かれた目がフラッシュライトの光で照らされる。
見つかってしまった――頭が真っ白になった京華から力が抜ける。その間に二人目の剣客が横に並び、ロッカーからの彼女の退路を塞ぐ。
身を硬直させ、一歩も動けない京華。健康的な脚に透明な汁が伝っていく。
(み、みつかっ、ちゃった……)
殺される。
もはや抜け殻となった京華は無抵抗のままロッカーの中から引きずり出され、勢いのまま床を転がった。女子トイレの隅へ這うが、敵が彼女を見逃すわけもない。
無意識に両手を前に出し、背を丸め、頭を下げて――京華は、涙を流しながら叫ぶ。
「ごめんなさい、許してください! 痛いこと、しないでっ……!」
「……」
「もう悪いことしませんっ、殺さないでください! 家に、帰らせて、くださいっ……」
恐怖が限界を超えた京華は、人としての尊厳を投げ出して「脅威」へ許しを請い始めた。
それに対して返事はない。それでも京華は早口で謝り続けた。自分が何をしているのかも分からない中、身体を内側から食ってしまうような黒い気持ちと戦うのに必死で、周りなんて見えず……
「……おい」「ごめんなさいっ!」「いいから、顔を上げろ!」
……アヤメが助けに来たことなど、気付くはずもなかった。
言われるままに顔を上げた京華はまず、廊下からの逆光を受けた彼女の影に驚いて飛び下がり、次は光を受けて輝く太刀を見て再度丸くなった。
「殺さないでっ!」
「……落ち着け。まったく、先が思いやられるな」
アヤメは呆れたようにため息をつくと、抜き身の大太刀の血を拭って鞘へ収める。そうして膝を折り、総毛立った京華を宥めるように優しく腕で包み込んだ。
「場所を変えて休憩しよう。大丈夫だ、奴らは一通り片付けた」
「ほんとう、に……?」
「ああ。ほら行くぞ、こんなところに長居したくないだろ」
あまりにビビり散らかした様子の京華。アヤメは溜め息の後、質問を投げる。
「どうやってここまで来た? 何があったか、教えてくれないか」
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