私はあなたの為に咲く ~幽灵少女救世奇譚~
白金 将
ようこそ幽灵へ
第1話 死んだ姉に似ている
どうして私はこんなところにいるんだろう――
経年劣化の進んだトタンで作られた長細い廊下。辺りはひどく湿っぽく、呼吸一つで胸が詰まる。十六歳の少女が訪れるには凡そ似つかわしくない場所だ。集合住宅の直線廊下を思わせる場所の奥では、唯一の光源である青いネオンライトが頼りなく明滅している。その光がちらつく度、倒れた彼女の意識は狂気から現実へ引き戻されていた。
京華は、少しでも楽になろうと仰向けに転がった。それでも苦痛のあまりに声が漏れる。浅い呼吸が、彼女の小さな胸をほんの微かに上下させる。
「お姉ちゃん、どこ……」
虫の羽音にすら負ける弱々しい声。痛みが引くのを待とうとしたが、廊下の奥から聞こえる足音で目をかっ開いた。床板の軋む音が鼓膜を震わせる。
咄嗟に身を起こすが、打ち身の激痛が走ると再度横向きで倒れてしまった。
「痛いっ! ぁっ、はあ、助けて……」
ぶうん、と背後の空気が低く振動する。廊下の曲がり角に現れたのは幽霊に似たシルエット。全身をローブに包み、フードを被った人の影。青い霧のような光を背に受けて佇む「それ」は、痛みにもがく少女のもとへ歩を進めた。
「嗚呼、我らが救世主……お目にかかれて光栄だ」
何を言っているのか、分かるはずもなかった。殺されるかもしれない――正体不明の存在を前にした京華を原始的恐怖が突き動かした。
立ち上がり、壁を這う脂ぎったパイプ管を手摺に距離を取ろうとする。腐食していた管が軋む。やがてそれは荷重に耐えきれず外れ落ち、京華の身体がもう一度床へ叩きつけられた。迫り来た影は彼女の枕元でゆっくりと片膝をつき、低い声で笑う。
フードの中は包帯で覆われていた。男の素顔を知ることはできない。
「とはいえ、弱すぎて話にならんな。この娘が『主人公』たる所以が分からぬ」
「こっ……殺さ、ないで……」
「まあ、じきに分かるだろう。折角の出会いだ、これを祝して――」
男が言いかけた時、京華が逃げようとした方向から、誰かの駆けてくる足音が響いてきた。彼は立ち上がると京華の元を離れ、壁のネオンライトの光を受けながら静かに歩き去っていく。
「その子に、手を出すな!」
覇気のある声と共に現れたのは、鋭い目つきの乙女だった。道着と袴、一本に結んだ黒髪、腰に下がる一振りの大太刀。その風貌はまさしく、現代の女侍だ――
「ああ、役者が揃ったな。今はこれくらいしか『歓迎』できないが……許せ」
男の身体がゆっくり宙へ浮く。やがてその輪郭が周りへ溶け込むと、一瞬の黒い光と共に姿を消してしまった。後から駆けつけた女は京華の上半身を起こし、懐の中から二粒の錠剤を取り出して京華の口へ入れる。
「もう大丈夫だ。これを飲め、すぐ動けるようになる……」
「ぁ……?」
はっきりとしてきた京華の視界に、女剣士の――自分の姉と殆ど瓜二つの顔が映った。京華は倒れたまま、すがるような目で助け人のことを見ていた。
「お姉……ちゃん?」
「……すまない。多分、人違いだ」
返事を聞いた彼女は力のない表情で静かに首を横に振る。その一方、先程飲んだ薬が効き始めたのか、身体の痛みは徐々に引き始めて元の働きを取り戻しつつあった。
「私の名前はアヤメ。お前は、そうだな……ここではスズランと名乗れ」
「どうして?」
「親に与えられた名前……本名を知られるのはまずいんだ。立てるか?」
京華はアヤメの力を借りて一緒に立ち上がる。そのまま廊下の出口へ歩き始めた直後、二人の遙か後方で金属製のドアが破られた。
長年の放置で積み重なった白い埃が青い光の中を舞う。そこに、巨大な大蜥蜴の黒い影が浮き上がった。だがその頭は図鑑で見られるものではない。本来目があるべき場所には横長の電光掲示板が融合し、シュモクザメに似た形が作られていた。
画面が明滅を繰り返す。
やがて「
「なにあれ!」
「走れ! 話は逃げ延びた後だ!」
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