6-8

「風早くんと矢吹くん、だよね」

 返し馬を終え、発走地点となる観客スタンド前まで歩かせていると、僕と風早はそう声を掛けられた。僕が振り向いて、その声の主を確認するよりも前に、風早が明らかに動揺したような、緊張した声でこう言った。

「お、おはようございます。早乙女のお父様」

「え」と、僕は思わず声を漏らした。

「そんな堅苦しい呼び方しないでよ。同じ騎手なんだからさ」

 そう言いながら、声の主はにこにことした表情を僕たちに向ける。黒字に赤の縦縞模様、赤い袖に黄色の一本輪の勝負服を着た、黒い帽子のその騎手は、3番テキサススタイルを僕たちの馬と一緒に歩かせていく。そしてその人こそ、早乙女さおとめ 風花ふうかの養父、早乙女さおとめ すすむだった。

「お、おはようございます。お父様」

 僕は思わずそんなことを言ってしまった。すると早乙女のお父さんは、一瞬目を点にした後、突然にこにことした表情で笑い出した。

「本当、君たちって仲良しだねえ。発言まで一緒だなんて」

 そう言って笑い終えると、早乙女のお父さんは「ふう」と一息ついてから、

「『お父様』って呼ばなくていいよ。僕のことは気軽に『進さん』って呼んでほしいな」

 と、僕たちに向かってそう言った。その間も進さんは、両足をしっかり鐙に掛けたまま、すっと背を伸ばして鞍の上に座っている。もうすぐ五十四歳になる人のものとは思えないほど、綺麗な姿勢だった。

「そ、そうですか」と、風早は遠慮がちに返事をする。「それで、進さん。俺たち、もしかして何かやらかしましたか」

「へ、何で」と、進さんはふと気を緩めたままの声でそう尋ねた。

「え、いや、俺たちに声を掛けたのってそういう目的なんじゃないんですか」

 風早が恐る恐るそう尋ね返すと、進さんは目を点にしながら、

「え、僕はただ君たちにお礼を言いに来ただけだよ?」

 と、僕たちにそう言った。

「はい?」と、風早が思わずそう声を漏らす。

「お礼、ですか」と、僕はおうむ返しで進さんに尋ねた。

「風花から、度々君たちのことは聞いていてね。風早くんも矢吹くんも、いつも仲良くしてて楽しそうだってね。そんな君たちと一緒にいる時間が、風花にとってもいい思い出になっているみたいなんだ。僕に連絡をよこす時、風花はいつも君たちの話をするからね。だから、この機会を借りてお礼を言うよ。風花の友だちでいてくれて、ありがとう」

 進さんは最初のにこにことした表情を崩さず、僕たちにそう言ってくれた。僕は少し照れ臭くなって、ふと風早の方をちらりと見る。すると、風早も同時に僕の方を見つめていた。そして僕たちは、どちらからともなく照れ笑いを浮かべる。

「でも、だからといって風花は君たちには渡さないよ。僕の可愛い娘なんだから」

 ふと進さんは、僕たちに釘を刺すようにそう言った。

「急に何てこと言うんですか」

 風早が進さんに、間髪入れずにそう言った。

「二人とも彼女出来ないので大丈夫です」

 僕がそう言うと、僕は風早にすかさず「お前は作らへんだけやろ」と言われてしまった。そんな僕たちを見て、進さんはにこにこしながら「ふふ」と笑い声をこぼす。そんなやり取りをしていると、突然、場内放送のチャイムが流れた。

「東京競馬第十一レースについてお知らせいたします――」

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