4-9
「先ほどはどうもすみませんでした」
早乙女のその言葉に、僕は思わず「え」と口から声を漏らしていた。騎手控室へと歩きながら、手袋をはめていた僕の手が止まる。
「いや、何で早乙女が謝るの」
僕は困惑しながら、思わず早乙女にそう尋ねる。
「馬場先生は、勝利に対してとても真面目な方なんです。ですが、他人にも自分と同じくらいの真面目さを要求するあまり、あのように他人を見下すような態度になってしまう時がありまして。そのせいで過去に何度か馬主の方々と関係がねじれたことがあるのですが、それでも先生は頑として妥協しないので、代わりに
早乙女は最後の方を言いよどみながらも、僕にそんな説明をしてくれた。
「そっか」と、僕は呟く。「早乙女も大変だね」
「いえ、先生にはいつもお世話になっていますから。先生の夢を叶えるためにも、私が頑張らなければ」
「夢?」と、僕は思わずそう呟く。するとそれを聞いた早乙女が、僕にこんな説明をしてくれた。
「先生が現役だった頃、どうしてもある騎手に勝ちたかったんだそうです。〈天才〉と呼ばれた同期の騎手に。でも、いつまで経ってもその人にだけはなかなか勝てなかった。それでも諦めずに、何度も何度も挑み続けたんだそうです。そしてとうとう一度だけ、その騎手に勝つことができた」
「すごいね」と、僕は早乙女にそう言った。
「でも、先生を待ち受けていたのは『祝福』ではなかったんです」
早乙女のその言葉に、僕は「どういうこと」と尋ねる。
「〈天才〉を破ったが故の非難を浴びたんです。そしてその瞬間、先生が『挑戦者』として積み上げてきた努力が、一瞬にして崩れ落ちてしまった」
僕はそれを聞いて、何も言うことができなかった。同時に、さっき思わず馬場さんに大人げない対応をしてしまったことを恥ずかしく思った。早乙女は話を続ける。
「それでも先生は、その非難を払拭しようと挑み続けたんだそうです。ですがその無茶が祟ったのか、とある日のレースで落馬。その時の怪我が原因で、引退せざるを得なくなってしまったんだそうです」
「そうだったんだ」と僕は呟く。それから一瞬の間を置いて、早乙女は僕にこう言った。
「だから先生は、私たちに自分の夢を託したんです。『挑戦者』として非難される勝利ではなく、『王者』として讃えられる勝利。それが先生の夢なんです」
そうやって馬場さんの夢を語る早乙女は、まるで自分の夢でも語るかのように微笑んでいた。
「そういうことだったんだね」と、僕は独り言のように早乙女に相槌を打った。
「でも、だからと言って僕もただの『脇役』で終わるつもりはないよ」
「え」と、早乙女は口から声を漏らす。
「どうせなら、ロッキーをローレルの『好敵手』にさせてやる。そして僕は証明したいんだ。挑戦者の勝利の先にあるのは『非難』じゃなくて『祝福』なんだって。神さんが言っていた、『勝利は誰しもに与えられた権利だ』っていう言葉を、僕は信じてみたいから」
誰に向かって言うでもなく、僕は矢継ぎ早にそんなことを言ったような気がする。
ふと隣へ目をやると、早乙女は一瞬だけ驚いたような表情になったけれども、すぐにさっきのような微笑を浮かべながら、「はい」と僕に返事をしてくれた。
「だから見てて、早乙女。僕は必ず、ロッキーと一緒にローレルに勝つ。それまで何度も挑み続けてやる。覚悟しておけよ」
「ええ、望むところです」と、早乙女は自信に満ちた笑みを浮かべながら僕にそう言った。
「おーい、二人とも。もうすぐ時間やぞ」
ふと騎手控室で待ってくれていた風早が、僕と早乙女にそう声をかけてきた。
「行こう、早乙女」と、僕は心が晴れやかになるのを感じながらそう言った。
「はい」と、早乙女も笑顔で返事をする。そして僕と早乙女は、そのまま風早の待つ騎手控室へと入っていった。
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