4-10
「止まあれえ」という、係員のこぶしを効かせた号令とともに、周回していた出走馬たちが立ち止まる。そして騎手控室から騎手たちが姿を現し、観客たちに一礼をした。
その後で、それぞれが騎乗する馬の方へと駆け寄っていく。白文字で「3」という数字と馬名が書かれた赤褐色のゼッケンが、ロッキーの艶やかな黒い馬体に映えていた。その隣では、黒いヘルメットを被ったスーツ姿の清水さんが、ロッキーのリードを握っている。
僕がロッキーの左側に近付くと、清水さんはすぐさま右手で僕の左足を持った。
「せーの」の合図で清水さんが僕の左足を持ち上げると同時に、僕は鞍を掴み、右足でロッキーの背中をまたぐ。そのまま僕は鞍の上に乗り、手綱を握りながら、両足をそれぞれ鐙にかけた。
僕はロッキーにまたがった後で、ロッキーの乗り心地を確認する。いつも通りの、やわらかくて雲の上にいるような感じだった。そしてパドックにあるモニターを見て、現時点の単勝オッズを確認する。ロッキーのオッズは三・三倍。二番人気だった。
そして、やはり一番人気は――。
僕はふと、カコノローレルの方へ振り向いた。艶やかの栗毛の馬体に、金色のたてがみとしっぽがなびいている。早乙女は厩務員に足をかけてもらいながら、ローレルの背中に乗ったところだった。
「頑張れ、ローレル」
「頼んだぞ、風花ちゃん」
直後、パドックにいた観客たちが口々にそう声をかけ始めた。しばらくして係員さんに注意されていたけれど、それまでの間、早乙女やローレルへの応援はやむことがなかった。
でも、そうなってしまうのも仕方がない。あまり知られてはいないが、『皐月賞』『日本ダービー』『菊花賞』の三レースは、牡馬、牝馬ともに出走することができる。しかし一九四八年に『皐月賞』を牝馬が制覇してからというもの、七十四年もの間牡馬が勝ち続けてきた。
牝馬は牡馬に力で負ける。
いつからかそんな常識が競馬界を支配するようになった。そのため、牝馬は『桜花賞』に出走するというのが定石になっている。実際、それ以降も『皐月賞』に挑む牝馬がいなかったわけではないが、それらもことごとく牡馬の群れへと沈んでいった。
その『皐月賞』に、〈無敗の女帝〉が挑もうとしている。
競馬ファンが、そんな話題に食いつかないはずがなかった。そして、その『皐月賞』への切符をかけたこの『スプリングステークス』でも、その期待が人気へと昇華されている。
でも、だからと言って負けるつもりは毛頭ない。
〈無敗の女帝〉とか、七十四年ぶりの栄光とか、正直に言って、僕にはそんなことどうだっていい。正々堂々真っ向勝負。互いに本気でぶつかってこそ、その栄光はより光り輝く。
ふとそんなことを思っていると、やがて全ての騎手が各馬に騎乗したところだった。そして誘導馬の先導で、パドックをもう一、二周ほど周回してから、コースに続く馬道へと誘導されていく。
いよいよ本馬場入場だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます