4-7
「相席ええか」
そう尋ねてくる風早に、僕はテーブルの上の新聞を見ながら「どうぞ」と返事をする。直後に風早は「お邪魔」と上機嫌に言いながら、僕の隣の席に座った。そしてテーブルをはさんで向かい側からは「失礼します」という女性の声。ふと顔を上げると、そこには早乙女の姿があった。
「あれ、早乙女?」
僕が思わずそう呟くと、早乙女は僕に「おはようございます」と挨拶をした。
「おはよう」と、僕は少し戸惑いながら挨拶を返す。
三月二十日、日曜日。『スプリングステークス』当日を迎えた中山競馬場で、僕らは朝食をとるために調整ルームの食堂にいた。とはいえ、昨日は阪神と中京での開催だったから、中山で三人そろったのは今日が初めてだった。明日は祝日競馬が開催されるから、もしかしたらこうやって三人そろうのは、今日だけのことなのかもしれない。
「いやあ、さっき早乙女とばったり会ったもんでな。飯行こかって誘ったら、今度はお前を見つけたっちゅうわけや」
ふと風早が僕にそう言うと、今度は早乙女に向かって「な?」と確認するように目配せをした。早乙女はそれを見て、一回だけこくりとうなずく。
「てか矢吹、お前また納豆食っとるんかい」
風早はまた僕に向かってそんなことを言う。
「風早だっていつものサンドイッチじゃん」と僕が思わず間髪入れずに言うと、「それもそうか」と言ってにかっと笑った。
「まあ、早乙女がうどん注文すんの見て、一瞬そっちと迷ったけどな」
そう言って、風早は早乙女の方をちらりと見る。僕もそれに合わせて早乙女の方へ振り向くと、どうやら早乙女は、僕と風早の会話をずっと眺めていたらしかった。
「早乙女、うどん伸びないうちに食べちゃいなよ」
僕は早乙女にそう言うと、早乙女は「え」という声を口から漏らした。
「せやで。別に俺が食べ始めるのを待っとらんでもええんやからな」
風早がそう言うと、早乙女は僕らに向かって「ありがとうございます」と言って、ぺこりと頭を下げた。そして椅子の位置を正すと、両手を合わせて「いただきます」と呟く。それから両手で丼を持ち、ふうふうと冷ましてからつゆを啜った。
「じゃあ、俺もいただきますかね」
そう言って、風早もサンドイッチを食べ始める。それを見て、僕も納豆ご飯を一口ほおばった。
「そういえば、お前ら二人とも取材受けたらしいな」
ふと風早がそう言うと、早乙女が「はい」と返事をした。
「そうだけど、どうして」
僕がそう尋ねると、風早は急に黙り込んでしまった。そして少し俯き気味になったその顔が、僕には何だか悔しそうなものに見えた。
「もしかして、風早のところには来なかった?」
「まじでふざけんな」
僕の質問に、風早はさらに俯きながらそう答えた。どうやら図星だったようだ。
「何で俺のダンスは注目されへんねん。ダンスだって成績的にも距離的にも何ら問題ないやろがい」
風早はふと顔を上げて、僕に叫ぶようにそう言い寄ってくる。
「それはお気の毒に」
あまりの剣幕に、僕は風早にそう言うことしかできなかった。
でも、確かに風早の言う通りだ。風早が騎乗するダンスことダンガンストレイトはこれまで五戦三勝。しかも重賞制覇の経験も一度ある。それに今までの勝ち鞍はどれも一八〇〇メートル以上だから、相手にとって不足はなかった。
「あの、一ついいですか」
ふと早乙女が箸を止めてそう尋ねてきた。
「何や」と、風早はやや不貞腐れたように聞き返す。すると早乙女は、風早に向かってこんなことを言った。
「それならば、ダンスの実力でねじ伏せればいいだけではないでしょうか」
「え」と、風早は口から声を漏らす。早乙女は続けて話し始めた。
「周りが振り向いてくれないなら、そのことを嘆くよりも、その人たちを見返すつもりで挑むべきだと思います。それこそが、風早さんの強さを示す証明になるのではないかと」
「お前、本気で言っとるんか」と、風早は早乙女を疑うような、心配するような目で見つめながらそう言った。
「それってつまり、ローレルに勝てってことやろ。お前、勝ちに対する執着とかないんか」
「そうですね、特にありません」と、早乙女はきっぱりと言い切った。
「ですが、ただで終わる気もありません。だからこそ私はこう言いたい。風早さん、ダンスと一緒に勝ちに来てください。私もローレルも、それでこそ本気になれるというものです」
早乙女がそう言うと、風早は数秒の間、ぽかんとして何も言わなかった。しかし次の瞬間にはにやりと笑みを浮かべ、「言ったな?」と、いたずらっぽく早乙女に言った。
「今の言葉、忘れんなよ。そう言ったこと後悔させたるからな」
「ええ、望むところです」と、早乙女が返事をする。僕は二人のやり取りを、ただじっと眺めていた。
何だろう、すごくわくわくしてきた。
「僕だって、今日は勝つためにここに来たんだ。ダンスだって充分強いけれど、それでもローレルに勝つのはロッキーだから」
僕は思わず、そんなことを口走ってしまっていた。驚いたような表情で、風早と早乙女が同時に振り返る。でもその一瞬後には、早乙女は冷静な微笑を浮かべた。
「ええ、受けて立ちましょう」
早乙女がそう言うと、僕は早乙女にこくりと一回うなずいた。そしてふと風早の方を見ると、風早は僕に「は?」とでも言いたげな不満そうな顔をしている。
「馬鹿言え。俺のダンスしか勝たんわ」
そう言って、風早は僕のことをじっと見つめてきた。そうやって数秒の間、風早は僕と真剣な眼差しで見つめ合う。そして、どちらからともなくにかっと笑うと、お互いに声を上げて笑い合った。ひとしきり笑った後で、風早は僕と早乙女に左手の拳を突き出してきた。
「ターフの上でまた会おうぜ」
「うん」
「ええ」
風早の言葉に、僕と早乙女は同時に返事をした。そして風早と同じように、僕ら二人も左手の拳を突き出した。そして誰からともなく、拳同士を突き合わせる。この時の僕がどうだったかは分からないけれど、少なくとも風早と早乙女は、決意にあふれた表情になっていた。
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