1-10
陽は昇りきったはずなのに、いつもより風が冷たい気がした。
午前九時半、普段ならほとんどの馬が調教を終える時間だ。しかし、これから僕はとある一頭の調教に向かうことになっている。
今日から、新入りの黒鹿毛改めロッキーロードの調教が始まる。新入りということで、美浦トレセンの雰囲気に慣れさせるため、神さんがあえてあまり馬のいない時間帯を選んだらしかった。
蹄鉄が打たれたばかりの蹄で、ロッキーは一歩一歩、その感触を確かめるように歩いている。そのリードを握るのは清水さんだった。新人厩務員の一人として、これからは一人でリードを引くことになる。そんな光景を横目に、僕はこれからロッキーの背にまたがろうとしていた。
ロッキーロード。
英語圏において「茨の道」とほぼ同じ意味合いで使われる言葉だという。どんな困難をも乗り越えられる存在になってほしい、という願いを込めて名付けられた。
ふと僕は、どこかで聞いたことのある名前だなと思った。数秒考えて思い出そうとしたけれど、思い当たる節が見つからない。でも、何だか安心感のある名前だなと思った。
そんな小さな黒馬は、初めてリードを引く清水さんの後ろを、同じ歩幅で付いていく。心なしか、ロッキーが清水さんの歩幅に合わせているように見えた。清水さんを映しているその目には、子どもらしい不安な好奇心ではなく、大人びた哀愁の漂う温もりを孕ませているような気がする。しかもそれは背伸びしていない、等身大の温もりだった。
この子、本当に二歳の新馬なのだろうか。二歳といえば、人間でいう十三、四歳辺りだから、もう少しやんちゃするものだと勝手に思っていたけれど。
そんなことを思いながら、僕はヘルメットの紐を締め、左手、右手の順に手袋をはめる。直後に神さんとアイコンタクトを取り、僕はロッキーの左側に近付くと、神さんがすぐさま右手で僕の左足を持った。「せーの」の合図で神さんが僕の左足を持ち上げると同時に、僕は鞍を掴み、右足でロッキーの背中をまたぐ。そのまま僕は鞍の上に乗り、手綱を握りながら、両足をそれぞれ鐙にかけた。
どこまでも大人しい子だ。入厩する前に人を乗せる訓練をしていたとはいえ、初めて乗った僕を、こうも容易く受け入れるとは。
「今日は馬なり調教だ」と、神さんが僕に指示を出した。「初めての調教だからな、馬場に慣れさせる程度でいい。ロッキーの走りたいように走らせて、あとはお前が微調整しろ。南調教馬場の一三七〇メートル、とりあえず今日はそこを一周して来い」
「はい」と僕が言うと、清水さんがロッキーのリードを放す。僕はそれに合わせて、ロッキーを南調教馬場まで歩かせた。
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