七話 脈絡のない人生 (後半)

 目覚めると、ぼくは白の壁に幾何学的な模様や不可解な模様が刻まれて、その後ろにある大きな窓から日が射す、神殿のような場所にいた。周囲を見渡すと彫刻石が中心にあったので、教会の中だろう。




 身体が拘束されていないから捕まってもいない。一体、何が起こったのだろうか。




 足音がふたつ、入ってきた。ぼくは咄嗟に物陰に姿を隠そうとすると、それだけでぼくは物陰に移動していた。感性の驚きにつられて声を出しそうになったので、ぼくは自分の口を塞いだ。おそるおそるぼくはもう一度、同じように考えてみた。すると次の瞬間、ぼくは違う物陰に移動していた。やはりそうなのか。今のぼくは思うだけで瞬間移動できる。




 ぼくは試しに、ティアナと戦ったところに移動したい、と念じてみた。するとぼくの目の前にどこまでも天を覆う木々の群れが現れ、大地が現れ、ティアナが現れ、ぼくが現れた。ぼくがティアナに向けて魔法を発動したところで時間が止まったように二人の動きは静止している。周りに耳を傾けたり、目をやったりして本当にここは時間が静止しているのだと気づく。音もなく、風もないのだ。




 地面に目を落とすと自分の影だけが存在しないことに気づいた。まるで幽霊になったみたいだ。




 目の前の事象が理解できない。この世界では前世の世界とも今世の世界とも異なる法則が成り立っているようだ。感性が困惑し、船酔いしているように頭がぐるぐるする。まさかこれがぼくの魔法の効果だとでも言うのだろうか。うーん、やっぱりわからない。




 ぼくはまず色々試してから結論を出すことにした。




 ぼくは状況を飲み込むのに三日と四時間、あと三十一分二十三秒を要した。正確に時間がわかるのはぼくがこの世界だとかなりのことが念じるだけで起こせるからだ。今のぼくは念じれば空を飛べるし、核爆発を起こせるし、山を作れるし、時間だって自在のままだ。しかも今のぼくは無敵で、お腹も空かないし、ケガもしない。




 ただ万能というわけでもない。ぼくは自分のそうした特性を変更できないし、ぼくの転生したい! と願っても叶わなかった。ぼくができないことは自分の能力に対する変更だとわかるのには何回も試行錯誤をする必要があった。




 さて今の状況を説明しよう。ぼくが状況を理解できるヒントになったのはぼくが時間移動できる範囲とこの世界の特殊な法則だった。ティアナが生まれてからぼくが魔法を使うまで。その間ならぼくはどこの時間軸にも移動できる。特殊な法則とは、ティアナがいる周辺以外の場所はほとんどが真っ暗な闇に覆われているからだ。勿論、ぼくは地形形成など思うままにできるのだが、そうしない限りは常にそれらの場所は真っ暗なままだ。そして不思議なことにティアナが上を見ない限りは空も真っ暗なのに、太陽の光が入ってくるということだ。これは予想だが、ティアナの視界に入らない、もしくはさして彼女に影響を与えていない場所は暗闇に染まっているのではないだろうか。




 これら二つの手掛かりからぼくは彼女の人生の中に入っているのではないかと考えた。それが理由でぼくの時間移動に制約がかかるのだろうし、彼女の目に入らない、もしくは彼女が意識しない場所はまるで存在しないように真っ暗になっているのではないだろうか。




 それが正しければぼくの魔法にも仮説が立てられる。




 ぼくの魔法は他人の人生を改変することができるのだ。その人が今まで体験してきたことや感じてきたことの全てを自由自在に変更できる。これがぼくの魔法だろう。今のぼくが念じるだけで多くの現象を起こせるのは、人生を改変するための道具であるからだ。




 ぼくは得心のいく仮説が立てられたので、検証をやめて、実践に移ることにした。












 ここに来た時の時間まで戻り、入ってきた二人の動向を観察する。一方はティアナ。もう一方は体格の良い、眼鏡をかけた白髪の男。頬骨がわずかに出て、薄いひげをたくわえ、顔には一、二本のしわが刻まれている。




 身体の特徴と彼が着ている真っ白な地に無数の紋様が書かれた祭服でこの男が何者であるかすぐさま見当がついた。




 成導教の最高指導者。十二代目成導使せいどうしルカス。




 教会が教えるのは成導教だ。教義を簡単に要約すれば、人々が行う善行が神に認められれば、神は世界を完全な世界へと変える。完全な世界の人間は不老不死だけでなく完全な存在たる神の力を自由に行使できるという。成導史は神にその善行を認められ、完全な世界へと人々を導く義務と共に完全な生を与えられた者を指す。




「ルカス様。やっぱり、私には成導騎士なんて無理です。荷が重すぎます。辞退させていただけませんか?」




 ティアナが曇った表情をルカスに向ける。




「ティアナ君。わたしは貴方の信心深さを尊敬しています」




 ルカスはティアナに微笑みを向けた。




「信仰であれ、信念であれ、何かを信じる者に与えられるのは苦難の連続です。だからわたしは信じる者に敬意を払います」




 ルカスはティアナに背を向け、窓を見やった。




「貴方がここまで来れたのは耐え抜いてきたからです。逆風に自ら進み、困難を受け入れながら抗ってきた。今の実力など些末なことです。その姿勢があれば貴方はどこまでも進めるはずですから」




 ルカスの言葉が進むと徐々に少女の顔は晴れてゆく。




「わたしには貴方が必要です。成導騎士の任、どうか受け入れてくれませんか」




 ルカスはティアナの方を振り返った。ティアナは強くうなずいた。




 次の瞬間、彼らは爆発した。ぼくが念じたからだ。ぼくはティアナの人生を辿り、情報を集めながら彼女の人生を滅茶苦茶にしていた。




 例えばぼくはティアナをこれまでに二十八万五千六百八十三回殺害したというのに今もなぜか彼女は生きている。ぼくが変更しても文脈を踏まえて補正がかかるわけではないから、前後関係がおかしくなるというわけだ。さて、ここまで変な人生に置き換わった彼女は現実ではどうなっているのだろうか。


想像した時、緊張や興奮と悲哀をかき混ぜたような奇妙な感覚を覚えた。針の筵に座り続けなければならないと思い込んでいるような感じ。




 つまり罪悪感である。ぼくは今、ティアナにしている悪行に罪悪感を抱いているのだ。新しい感覚が楽しくてたまらず、ぼくは思いっきり笑った。誰が見ているわけでもあるまい。人目を気にせずに笑えるのは久々だったからか、笑っても、笑っても楽しさが収まらず、今のぼくが不死でなかったら窒息死しているくらいに笑い続けた。




 爆風を浴びながら哄笑を上げているさまは誰が見ても満場一致でぼくを悪人だと断定するに違いない。


ぼくは笑いながらティアナの人生を破壊し続けた。












 ティアナの人生を全ての時間においてぐちゃぐちゃにした後、ぼくは帰りたい、そう願った。そう願うだけでぼくの意識はふわふわと曖昧になって溶けてゆく。この世界ではぼくはティアナの人生を辿り、色々な情報を獲得した。教会の教義や組織の人員構成、機密事項。国際情勢。ぼくが住んでいる国だけでなく様々な国の人々の日常生活。転生者がなぜ殺されるのか。




 たった一人の人生を覗くだけでこれだけの情報を獲得することができた。もっと多くの人間に魔法を使って、情報を手に入れれば新たな転生への道のりはそう遠くないだろう。ぼくはまだ見ぬ未来に思いを馳せ、意識が消える直前まで頬の緩みを感じていた。








 現実に戻ってすぐティアナがその場に崩れるのが見えた。現実世界での時間は経っていなかったのかぼくの姿勢はそのままで、魔法を使う前の風景と変わらなかった。夜の森の静けさに虫の鳴き声だけがぼくの耳に心地よく入り込む。




 ティアナは人形の糸が外れたかのように微動だにせず、その目は虚ろだ。小さな呼吸の音だけが彼女の生を証明していた。




 人生が滅茶苦茶にされたティアナは目覚めると、突然見知らぬ異世界に来たような気分を味わうのだろうか、それとも脈絡のない人生に変えられたがために物言わぬ木偶となるのだろうか。




 そこまで考えた時、ぼくはある考えを思いついた。その瞬間、感性が必死に抵抗し、体内が胃液によって溶かされているような感覚や身体の一部が突然レプリカの足に入れ替わったような感覚をぼくに与えた。ぼくは笑った。まるで感性の抵抗が存在しないとでも言うように。足を一歩、一歩進め、目的地に向かう。足を進めるたび、抵抗は激しくなるがぼくは笑みを深めて無視した。感性が叫び狂うのも当然だな。ぼくはこれから実行することを思い浮かべてそう思った。

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