七話 脈絡のない人生 (前半)

 屋敷の全ての部屋が火で満ちた瞬間に、照らされる地面へと二つの影が落ちていった。ミカとバースだ。バースはミカを助けられたらしい。胃がかき回されるような感覚はおさまり、身体中の軛がなくなった感覚が続く。ほっとしたのだろう。




 ぼくは立ち上がり、枝葉の感触を感じながら、茂みを出た。火が屋敷の壁を這い始めた時にここへ避難していたのだ。




 そのままバースの方に近づいて話そうと思ったけど、ミカと手を繋いで歩いていくのを見て、迷う。転生について話すとなると相手も転生者であることが望ましい。現地人であるミカにはぼくが転生者だと知られたくないし、知らせる意味もない。この案自体、ぽっと出の思いつきだから一旦、諦めよう。魔導書を伴わない魔法を使える人が転生者とするならば、転生者は今のところ三人だ。小さな村に三人いたのだから、今後の旅でもっと会える機会があるだろう。そう思うことにした。ちょっぴり残念だけど。




 それに、ぼくの感性は二人の間に入るのを拒絶した。激しいものではなく、すっと身体が自然と向かうような程度でだ。言い換えるのならば親友の幸福を祝い、精一杯享受してほしいという思いだろうか。いや単純に、バースにぞっこんのミカが関係を深めるのを邪魔したくないのかもしれない。バースはミカにとって命の恩人だ。仲が深まること間違いなしだろう。ならばこの思いは応援とか激励と言えば適切だろうか。




 ぼくは二人が視界から見えなくなるまで見守った。












 鬱蒼とした森に覆われて少しの光も届かない真っ暗な道を進む。火のぱちぱちと鳴る音が離れ、虫の鳴き声に変わっていった。




周囲に細心の注意を払い、慎重に進んでゆく。夜道は危険だ。狼や盗賊と出くわす可能性もある。そうなった場合には生死をかけた戦いが始まる。長年のトレーニングが役に立ってくれるとは思うが、それでも交戦は避けたい。足音をなるべく立てないように、気配を殺して一歩一歩進む。




 ちょっと歩いた後、目の前に人が見えた。ぼくの胸がしきりに動いて緊張を伝える。近づいてその出で立ちがはっきりすると、鼓動はさらに強まった。




 銀白色の鎧を纏い、下に黒衣。腰には魔導書と剣。胸に信仰の証である彫刻石をつけたペンダント。この世界の秩序を守る騎士、成導騎士の特徴と一致しているのだ。




 成導騎士団。ぼくは彼らの事を物語で知った。




 教会に通うのは子供の頃から義務づけられた習慣だ。毎日のように大人に混じって教義を復唱し、自分の身体に染み渡らせる。そうやって生きることが世界を完全なものにする第一歩だからと司祭は語る。とはいえエネルギー一杯で日々遊びに明け暮れる子供を束縛するのは難しい。だから司祭は子供が教会に自然と足を向けられるように説法代わりに物語を語り、子供たちを教化するのだ。




 成導騎士は物語によく登場する。民を苦しめるドラゴンやキマイラといった化け物や盗賊や異端者といった悪者たちと戦い、打ち破る。男子の憧れの的だった。




 話を戻そう。ぼくは成導騎士と会ったことはないけれど、警察に近い役割を担うのだとはわかる。彼らは悪を打ち滅ぼすというストーリーで語られるのだし、教会騎士という治安維持に携わる役職についた信徒は盗賊が現れた時とか、村で事件があった時に来たことがあり、彼らの服装は色こそ違うもののよく似ていたからだ。




 そして今の状況、夜道、それも他の村や町を繋げる道を歩いているぼくは怪しさ満天である。上手く切り抜けないと盗賊の類だと思われてしまうかもしれない。




 さらに距離が狭まるとその顔立ちまで明らかになる。成導騎士は髪を後ろに束ねていて、きつい目つきをした三十代くらいの女性だった。




 女騎士はこちらを認めるやいなやこちらをにらんだ。




「成導騎士のティアナだ。お前、名前を言え」




「ホワイトです」




 ぼくは偽名を使った。




「そうかホワイト。お前はこんな遅くに何をしている?」




 職務質問みたいなものだろうか。




「旅をしています」




 ぼくは、成導騎士を見れて光栄と言うかのように笑顔を向けた。答えを聞くとティアナはますます訝しんだ。




「なぜ夜に歩く。昼間に歩く方が安全だろう?」




「お昼寝しているうちにこんな時間になってしまって。たまにすごく長い時間眠っちゃうことがあるんです」




 ぼくは良い説明が思いつかず、適当な嘘をついた。


 


「フン。それで旅をしてよく今日まで生きてこられたものだな。で、そのポーチの中身はなんだ?」




 ティアナの口調は皮肉めいていた。嘘を見抜かれたのだろうか。背筋が凍ったかのような恐怖を感じるが、表情には出さない。




「旅の道具です」




「確かめさせてもらう。見せろ」




 ぼくはティアナにポーチを手渡した。彼女もかなり夜目が利くようで、荷物を一つ一つ確かめるのに苦労していない。伝説の名を継いでいる騎士団に所属するだけあって、様々な訓練を積まされているのだろう。




「時間を取らせたな、もう行っていいぞ」




 解放されるが、まだ軛は終わらない。釈然としないからだ。感じた緊張感に比べあっけなく尋問は終わった。それに成導騎士がなぜここに来たのかも理解できない。だが今は一刻もこの場を離れたい気持ちがあった。だからだろう、ぼくは村へ戻る道と逆の方に足を進めてしまった。




「ホワイト、お前転生者だな?」




 その言葉を聞いた途端、ぼくは自分のミスに気づいた。今ぼくは村からそう遠くない距離にいる。だからぼくが旅人ならば自分の安全を確保するため村の方に向かうはずなのだ。だがなぜそれだけのことからぼくが転生者だと導いた?




 突如、風を切る音を聞いたぼくは次の瞬間、身体を反らした。眼前を剣の腹が通り過ぎていった。




「お前、私の剣を避けたな? 普通の人間は私の剣に反応できない。私は剣を途中で止めるつもりだった。だがお前はぼーっとしているでも、驚くでもなく、躱したな? お前、転生者だな?」




「な、なにを言っているんですか?」




 と言いながらぼくはティアナが縦に振り下ろした剣を横っ飛びで避ける。疑問が絶えない。転生者だとなぜ攻撃される? なぜ転生者を超人的な人間である前提を置いている? 




「お前のような歳の人間が私の剣を避けられるはずがないだろう! 私の剣を避けられたことはお前が転生者である証拠だ!」




 ティアナの中では転生者イコール超人の公式が成り立っているらしい。勘だろうけど、こちらは図星なのだから困る。誤魔化してももう無駄だろう。ぼくは嘘をつくのを諦め、違うことに注力することにした。




「どうして転生者だったら殺そうと……」




 みなまで言う前に剣が振られる。避け切ったつもりだったが、わずかに皮膚が切れ、服に血が染みた。


 引き出せそうな情報もない、ときたか。とりあえずこの世界で転生者だとバレたら殺されるというのがわかっただけでも大きな収穫だ。このティアナと戦う意味はないし、戦ったとしてもティアナの速さを上回りつづけられる自信がない。さっさと逃げてしまおう。




 ぼくは木に登った。ティアナは鎧が邪魔でぼくを追いにくいだろう。ぼくはそのまま枝を掴み、木から木へと飛び、行方をくらまそうとする。




「小癪な!」




 声が遠ざかるが、ぼくは油断せずに全速力でそれでいて複雑な道を選んで逃げる。枝がしなり、葉が揺れて視界を塞ぐ。ざらざらした葉の感触が絶えず伝わってくる。




 風を切る音が再び聞こえた。ぼくが後ろを振り向くと、ティアナがすぐそばまで来ていた。




『風は死を生む。時に人を裂き、時に木々を捥ぎ』




 ティアナは片手で魔導書を読み上げながら、ぼくの乗る枝に剣を振り下ろした。ぼくは隣の枝に飛び移り、難を逃れる。




『時に■■を穿つ』




 その言葉と同時に風が吹き荒れた。ぼくが載っているのを含めた周囲の枝葉が散り、ぼくは落ちて地面に尻を打ちつける。




『万物は風によって支配される。風によって万物は生き、或いは動き、秩序や法則を形作る。』




 ティアナが詠唱を終えると、彼女の姿が見えなくなった。崩れた姿勢のまま、獣のように横に飛ぶと直後、風と衝撃が肌を撫でた。地面が砕け、石礫が腕にぶつかり、ちくちくと痛んだ後、腹に強い衝撃が加わった。衝撃で身体が飛び、視界に入る景色が流れる。地面に刺さった剣の隣に、拳を突いた構えをしているティアナを見て、ぼくは自分が殴られたのだとわかった。




 木にぶつかって肺の空気が押し出される。一瞬、呼吸が止まったらしくぼくの目には涙が伝っていた。




 血が唇を滑り、鉄錆の味を感じる。じーんと尻の痛みも続いて伝わってきた。灼熱を浴びているかのように身体中が痛くて痛くてたまらない。感性が苦痛を訴え、ぼくに動くな、休めと暴れ狂って命じる。




 ティアナは地面に刺さった剣を抜き、木を背もたれにしてよっかかっているぼくに向けた。




「大人しく裁きを受けろ!転生者!」




「存外、酷い人たち、なんですね。子供たちが、憧れる成導騎士様は。突然、殺そうとするなんて」




 ぼくが必死に息を整えてながら言うと、ティアナが口を開いた。




「フン。殺しはしない。お前は私に反撃しないからな。だが抵抗するようであれば殺す。死にたくなければ大人しく投降することだな」




 あれで殺すつもりがなかったのか。しかし容赦なくぼくに剣を振ったり、ぼくを殴ったりしたうえ、今まで投降を勧めなかったということは転生者の生存はあまり優先順位が高くないのだろう。拘束されるにしても抵抗できないようにと身体の一部をもがれてもおかしくない。




 絶望的な状況だ。ティアナはぼくにすぐに追いつけるだろうから逃げられない。しかもこちらはケガを負ってしまった。さっきのように彼女の剣を避け切れる自信はない。




 実のところ、まだ手詰まりではない。一つだけ方法がある。魔法だ。ぼくの魔法の内容次第ではこの場を打開できるかもしれない。しかしさっき自分の理論を検証した時のように、何も現象が起こらない、ということもあるかもしれない。さらに言うならそもそも魔法を使ったことはさっきが初めてだから使い方もおぼつかない。中身の知らない手段を用いるのは非常にリスクが大きい。




 だがティアナに捕まれば自分の未来と生殺与奪の権利を他人の手に委ねることになる。せっかく自由に動こうと思った途端にこれだ。ぼくは感性を通して、嵐が渦巻くような感覚、つまり怒りを感じ、いらいらして自然と頬が緩むが、唇に力を入れて抑える。




 永遠の転生。ぼくの願望を叶えるためには命は勿論、自由は必須だ。殺されて人は転生するのかどうか再び検証するのはごめんだし、ティアナに捕らえられ、転生を探すのを困難にされるのもごめんだ。




 危険はあるが、ぼくは自分の魔法に未来を賭けることにした。




 ぼくは降参の意を示した。座ったまま、両手を上げて後ろに組み、荷物を捨てる。ティアナがこちらに歩いてくる。最初に魔法を発動した時の感覚をもとに魔法を後ろ手で練る。ぼくを中心として何かが広がり、ぼくの手に戻ってきたところでその感覚を閉じ込めた。上手くいったのか? 手探りでやっているから微妙なところだ。失敗しても、バレても、おしまいだ。緊迫しているようで、胸の動悸を感じる。




 ぼくはティアナが真横に止まり、魔導書に目を落とした時、四つん這いになって懐に潜り込んだ。ティアナの顔に驚愕の色が浮かぶのを横目に、ぼくは感覚を解放しそれをティアナに浴びせた。直後、ぼくは魔法陣に吸い込まれるように感じると同時に意識を失った。




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