六話 進む人生

 バースの行く先は血の人形によって阻まれた。昼間より一回りでかく、バースよりも頭一つ分背が高い。人形から流れる血の匂いはバースを不快にした。


 人形が腕をスイングし、バースは咄嗟に両腕を交差し防ぐ。受け流せるよう重心をずらした勢いと衝撃そのものとでバースは宙に浮かされ、扉付近まで戻された。


 受け身を取ったが痛みが走る。前世では練習する機会すらなかったから、バースの武術はうろ覚えの記憶を元にした自己流なのだけれど、上手くいってくれたらしい。


 万が一に備えて、身体を鍛えていたかいがあった。バースは少しの間、頬を緩めた。


 人形が接近してくるが、体躯の大きさのせいもあるのか動きは速くない、充分対応できそうだった。


 バースは人形のスイングを、腰を落として避け、顎を殴った。相当の練習を繰り返して速くて重い一撃に成長した動作だ。人形はびくともしない。それどころか何事もなかったかのように腕を振り下ろした。飛び下がって躱す。割れた床を見て、バースの背筋は凍った。


 風を切り裂く音が聞こえる。目を遣る間もなく頭を下げるが、血の匂いと共に一つか二つ、頬をかすめた。


 アイヴは顎に手を置いた。


「君。農民にしてはなかなかやるようである。その人形は騎士や傭兵でなければ赤子の手をひねるように殺せるほどの血を込めているのだが、渡り合うとはな」


「そりゃどうも。良けりゃ、血なまぐさいことはもうやめて欲しいんだけどな」


 アイヴが手に刺したナイフをいじると魔法陣に包まれた血が落ち、棘を形成した。バースをさっき傷つけたのはあれのようだ。人形も近づいてくる、バースはアイヴの棘と人形に板挟みにならないよう、両方に注意を向けなければならなくなった。こちらには飛び道具はない。アイヴに近づこうとしても人形に阻まれる。厳しい状況だ。


 ごめんよ。母さん、父さん。


 心中で両親に再び謝罪した。なるべく使いたくなかったが出し惜しみしている場合ではない。今も人形とアイヴはバースを確実に殺せるよう陣形を作ろうとしている。


 バースの右手から魔法陣が生まれ、火球が人形に向かって飛び出した。火球は着火し、たちまち人形は火だるまになり、血に戻って床に広がり、火は消えた。


 血は酸素を運ぶ、と教科書で知った覚えがある。流石に血に水が含まれていないということはないだろうけど、もし血が魔法によって個体を保ち続けるなら話は別だ。個体の血はまず火の燃料となり、燃え、次に熱によって状態変化して液体になり、火は消火される。この過程で個体から液体を経て、魔法は解除される。


 アイヴの造物は火を浴びると血液になるのだ。


 バースは科学の専門家ではないから、発見は偶然で、考察も現象が発生した後に来た。理論が正しい確証は持てない。だが光明はこれしかない。バースは可能性に賭けることにした。


 アイヴとの距離を詰める。途中、棘を飛ばされるが横に飛んで避ける。腕が届くところまで来て、バースは背中に不思議と圧迫感を感じ、伏せて転がった。床が砕け、木片と砂埃が舞う。木の床が割れる。人形が蘇っていたのだ。バースは再びアイヴと距離を取る。


「ハードすぎんだろ……」


「心外だが、同意である」


 思わず独り言つとアイヴが返した。全く表情が変わらないから、発言の真偽はわからない。

 

 人形を血に戻したとしても稼げるのは幾ばくか。その数舜の内に飛び道具を躱し、間合いに入り、アイヴと人形の攻撃をどうにかし、アイヴを殴らなければならない。


 汗がしたたり落ちる。しかし方法はこれしかない。バースはもう一度、人形に向けて火球を放とうとして、魔法陣を形成し、そして火球が出なかった。


 そうだ。俺の魔法は失敗することがあるのだ。


失念していたことにショックを受ける間もなく、棘は飛ぶ。しかし棘はバースの方でなく人形へ飛んだ。不思議と棘自体も少なかった。


 棘は人形に刺さり、そのまま吸い込まれるように中へ入っていき、やがて一体化した。


 あの棘は俺を殺そうとしてないのか。ならなんで棘は人形へ飛んだ。


 答えを考える暇はなかった。次の棘が用意されている。バースは火球を人形に浴びせた。人形が溶けると同時にアイヴとの距離を詰める。アイヴが棘を飛ばすので、目で追う。棘は血だまりに落ちて、そしてさっきバースが倒した人形が復活した。


 バースは納得した。あの棘は人形を蘇らせる道具の役割も兼ねていたのだ。ならば時折失敗するバースの魔法を使えば相手を攪乱することができる。さらに言えば失敗と成功の時にはそれぞれ独特の感覚をバースは感じる。その感覚をバースが感じるのが、アイヴが魔法の成否を確認するのより速ければ、その差だけ対応にスキを生ませることができる。または無駄な対応をさせられる。


 アイヴの魔法は血を使っている。おそらく血の量には限りがあるはずだ。女性を殺したアイヴは血を吸収していた。つまり奪った血の分だけアイヴは血を使える。


 勝つ条件が見えてきた。バースはアイヴの血が切れるか、距離を詰めて肉弾戦で倒せば勝てる。


 バースはアイヴを中心にして円を描くように走った。追ってくる人形には魔法陣を向ける。火を喰らって人形が液体になるとバースは直線を描くように走った。


 人形が個体なら円を、人形が液体なら直線を、描くように走る。こうすればアイヴは棘の狙いを定めにくくなる。


 こちらの狙いに気づいたのかアイヴは距離を詰めてきた。その死人のように白く無表情な顔を見て、バースははらわたが煮えくり返りそうな思いを抱いた。


 こいつはたくさんの人達を殺してきたのだろう。情けをかけず、ただ淡々と、今のように無表情を貫いて。ミカもそうしたかそうする予定なのだ。


「お前のその表情俺が崩してやるよ」


 怒りと覚悟を込めてアイヴをにらみつける。


「ふむ。それは理にかなっていない。私は人でなく血液である」


 全く表情を変えないまま、アイヴはバースに接近しながら、自身の手にナイフを刺した。ナイフは魔法陣に包まれ、血が集まり、血の剣が出来上がった。


 横に振られた剣を横に飛んで回避する。


 アイヴは傷口から血を床に広がった血だまり落とし、人形を復活させた。人形とアイヴがバースを挟む。

アイヴが剣を振り、人形は腕を地面に叩きつける。両方を避けるが、飛んだ木片が肌を裂く。


 反撃にアイヴに拳を振りながら、魔法で火球を作る。難なく躱されて、剣で肌を斬られ、裂傷を負った。


 バースは再び、さっきと同じ戦法を取る。同じく拳を振るとともに魔法陣を作る。今度は失敗した。剣は避けたが、今度は人形の拳をよけきれない。


 拳と魔法が発動するか否かの二択を振るい、人形の拳とアイヴの剣を避けようと試みる。


 何度もこれを繰り返す。アイヴと人形に囲まれた状況を崩さないまま。その度かすり傷が増え、身体は疲弊していった。


 息も絶え絶えになってきた頃、バースは汗にまみれた拳を振るい、魔法陣を張った。剣を避け、腰を落としたところで動きが止まった。


「終わりだな。私の説が正しいと君の身体で証明させてもらおう」


 アイヴは人形でトドメを刺そうとする。だがそこで人形が見当たらないことに気づく。さらにアイヴとバースが小さな炎の円に囲まれていることにも。


 バースは拳を振るう時、両方の手で魔法を発動していた。片方はアイヴの注意をそらすため。もう一つは自分の背中に隠し、人形ではなく木の床に当てるため。


「いや俺が試させてもらうよ」


 火の粉が血の剣に飛び移り、ただのナイフに変わった。バースは落とした腰を上げ、その勢いでアイヴの腹を殴った。精一杯の怒りを力に込めて。


 アイヴが痛みで顔を歪める。人間らしさが初めて現れた。抵抗される前にそのまま二発、三発お見舞いし、最後に回し蹴りをくれてやる。


 アイヴはその場に倒れ伏した。








 火の手が少しずつ回っていた。今は自分の周辺しか燃えていないがやがては屋敷全体を覆いつくすだろう。


 バースは屋敷の外にアイヴを運んだ後、疲労と怪我で悲鳴を上げる身体に鞭打って、ミカを探した。

屋敷には使用人らしき人を見かけなかったので、バースは安堵した。流石に殺人者になりたくはない。


 ミカは二階の書斎に縛られていた。彼女はバースを見ると、怯えた顔は崩れ、目に涙を浮かべた。


 縄をほどくとバースにミカは抱きついた。嗚咽が胸から聞こえてくる。死の恐怖におびえたミカがどれだけ怖くて、寂しかっただろうか。


「ごめんよ。もっと早く助けにくりゃよかった」


 バースはミカが泣き止むまで胸を貸した。


 ミカが落ち着く頃には、火は部屋の入口まで迫ってきていた。わずかに入ってくる煙に咳き込み、火が出す熱波に汗が流れる。


もう屋敷の門からは出られない。早く逃げるように促せばよかったが、後悔しても仕方がない。


 バースは部屋を見回し、椅子を持った。背中から正面に半円を描くように椅子を振り、窓に向かって投げた。ガラスが耳を突くような音を立てて割れ、椅子は外に飛んでいった。


「危ないから掴まってろよ」


 バースはミカをおぶった。


「え、ちょっと何する気っっっ!」


 そのまま助走をつけて、窓から飛び出した。遠のいていく熱気とミカの絶叫を背にバースは映画のワンシーンのような状況に興奮した。


 足から衝撃が伝わり、ついで全身に伝播した。身体中が痛くてたまらない上、緊張が切れたのと疲労で身体が崩れる。


 終わったのだ。昔のように無力なまま終わりはしなかった。ミカを助けられて、望む未来を掴んだのだ。


「ううっ……おっ、重いわよー」


 後ろから弱く押されるのに気づいて、バースは身体をたおしてどけた。








 帰り道、バースはミカの手を引いて歩いた。


「ねぇ。私、情けなかったでしょ」


 バースはミカがそう呟くのを意外に思った。落ち着いたら、しっかり屋の彼女に戻ると思っていたからだ。


「誰だってさらわれたら怖いだろ」


「ううん。そうじゃなくて。いつもみんなの前で偉ぶってるのに、って思わなかった?」


「んなこと思わねぇよ」


 励ましの意味も込めて口調を軽くする。


ミカは「そう……」とつぶやいて、しばらくミカはバースに導かれていた。


 街の方まで来るとミカは足を止め、振り返った。


「少し話を聞いて欲しいんだけど。いい?」


「おう、大丈夫だぜ」


 草原に腰を下ろし、手を繋いだまま並んで座る。ミカは一度深呼吸すると、語りだした。


「私、おっきくなりたかったの」


「大きくなりたいか。どうして?」


 バースは続きを促した。ミカが五歳くらいになってから誰よりも働き者になったことを彼は知っていた。


「昔から置いてきぼりにされてる気がしたの。母さんと父さんと、シオンとそしてバースもよ」


「みんなと私の間には深くて広い溝がある感じをずっと味わってた。だからその溝を埋めようとして、私はみんなと同じことをみんなよりできるようになりたかった」


 バースにはミカの感覚がわからない。だが彼女は自分が思っているよりもずっと繊細だったのかもしれない。


「でもそうしたわりには、無理矢理馬車に乗せられただけで怖くて。普段のことなんて忘れちゃった。どれだけ頑張っても溝は埋められないのね」


 ミカはため息をついた。バースは言葉を噛みしめるように考え込んでから口を開いた。


「俺も同じだよ。大きくなって誰かを守るために身体を鍛えた。でも使おうと思う時には上手くいったり、揺らいじゃったりで、未熟でさ。なにか目指そうと思った時に、ゴールまで行くのは難しいんだろうな」


 ミカが顔を上げ、バースを見つめる。白く、美しい目をバースと合わせ続ける。


「どうかしたのか」


 バースは歳が離れている彼女に恋慕を抱いたことはなかったが、まじまじと見られるとどうも落ち着かなかった。


「ねぇ、私……」


 ミカは口をつぐんだ。


「ありがとね。助けてくれて。あと、手、引いてくれて」


 するとミカはバースの手を離した。


「いいのか?」


「もう大丈夫だから。一人で歩かせて」


 ミカはバースの隣を歩いた。バースは自然と笑みを浮かべていた。ミカが微笑んでいたからだ。


 光に照らされミカの顔がよく見えて、笑顔にある溌溂さを伺うことができた。


 そこでバースは疑問を抱いた。この光はどこから来た?


 光源は銀白色の鎧だ。今も燃えている屋敷から光を反射していた。顔の彫りが深い細身の男がそれを着ていた。鎧の隙間を黒衣が縫い、胸には彫刻石のペンダント。腰には銀白色の剣と魔導書を携えている。

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