五話 情動に任せ行く人生
お隣さんだったぼくとバースは赤ん坊の頃から家族に連れられて頻繁に顔を合わせていた。
彼と会うたび印象付けられたのは年不相応の大人しさだ。泣いたり、叫んだりしてわめき散らすことがない。彼の異様な大人しさを物語る一番代表的なものは生まれたばかりの時産声すら上げていなかったことだ。
ぼくが二歳になって、この世界の言葉をだいぶ理解できるようになった頃に、バースとぼくの母さんがそのことを話しているのを聞いた。
ぼくは彼が転生者ではないかと推測した。ぼくが生まれたばかりの時と話が類似しているし、彼の大人しさも前世で年を重ねたことに由来するのならば納得する説明ができる。
それからぼくはバースのところによく遊びに行くようになった。理由は興味。自分以外の転生者を観察すればなにかしら転生について知れると思ったのだ。
そして彼と接するうちにぼくは彼が転生者であるという確信を深めていった。
というよりそうとしか思えなくなった。彼の家に遊びに行ったときの記憶はいつも、彼が自分の身体を鍛えている姿から思い起こされるし、ぼくが彼を驚かした時、彼の口から咄嗟に日本語が出ることがあったのだ。
さすがに三歳のバースが腕立て伏せをしているのを見た時は滑稽さで思わず笑い転げてしまった。
とはいえ、数年間、彼と接してきて転生について新たな情報を得られることはなかったし、ぼくと彼が転生したなんらかの要因を見いだすこともできなかった。
純粋無垢な子供を演じておきたかったから転生について語り合うわけにもいかない。
そういうわけでぼくはバースの違和感は無視して付き合うようになった。感性が伝える家族愛と似た、側にいると木陰で落ち着いているような感覚、つまり友情を楽しむことに集中するようになった。
だがもうぼくはこの村を出てゆく身なのだから、周りの目線を気にする必要はなくなるし、彼が何をしようとしているのか知った後に、転生について相談するのもいいかもしれない。
バースは周囲に注意を払っていなかったので、彼の後ろをついていくのは容易だった。
ぼくのように人に知られたくない用事ではないのだろうか。よほど疲れているのか足取りは重く、下を向いていた。
彼は畑のほうに向かう道ではなく宿場や酒場、小市場がある街路に出て、昼間、アイヴの馬車が通って行った道を歩いた。
バースの行先になんとなく察しがついた。領主の屋敷だ。情動をもとに彼が行動していると仮定するならば彼はミカを助け出そうとしているのだろうか。
ぼくの想像したとおりに彼は屋敷の前で足を止めた。
屋敷は古い。ぼろい壁の隙間を縫うようにして植物が伸び放題になっている。アイヴは起きているのか、ガラス窓から光がかすかに漏れている。
バースは扉の前で下を向き、しばらく動かなかった。ここからでは彼の表情は見えない。
彼の様子は昼間、アイヴに突っかかっていったとは思えないほど落ち込んでいるように見えた。彼は今何を考えて、どんな思いでここに立っているのだろうか。
ぼくは幾度とない転生の果てには彼を理解できるようになるのだろうか。
彼はやがて、思い動作で扉の持ち手を掴み、そこで突如、女性の悲鳴が屋敷の中から聞こえた。
バースは顔を上げて、屋敷の扉を開け、中に入っていった。
ぼくはガラス窓から中の様子を覗いた。階段が奥にある広間にバースとアイヴが対峙していた。その横には昼間にさらわれた女性の死体。身体の至る所に傷が見受けられるが全く出血していない。女性を見た途端、ぼくは急に屋敷に入って、ミカを探したい衝動に襲われた。感性によって女性の姿がミカに置き換えられたイメージやミカが土に埋められる架空の未来を見せられる。動け、動けと命じる身体をなだめ、再び二人の様子に視線を移す。
バースはアイヴが昼間操っていたのと同じ人形と戦っていた。アイヴは離れたところで自分の手にナイフを刺した。すると垂れた血が集まって棘を形成し、バース目がけて飛んでいった。バースはしゃがんで棘を避け、人形の追撃を腕で防ぐ。
直後、バースの手から魔法陣が形成され、そこから火球が飛び出した。火球は人形にぶつかると、燃える。そのまま人形は形を失い、地面に広がるとともに炎も消えた。
そこで自分の口が開いているのに気づいた。バースも魔導書なしで魔法を使っているのだ。
時折村に来る行商人から話を聞いても魔導書なしで魔法を発動する術というのは聞いたことがない。正確に言えば魔導書の中身をしゃぶりつくすくらいに暗記すれば詠唱せずとも、魔導書を開かずとも使うことが出来るらしいが、その域に達する前には肌がよぼよぼになっているらしい。
バースはもとより、アイヴも年を重ねているようには見えない。というかバースはそもそも魔導書を買えない。二人は魔導書以外の手段で魔法を使っていると仮定しよう。
ならばなぜ二人は魔導書なしで魔法を使えるのだろう。二人だけに存在する才覚があるのか、それとも特定の条件を満たした人間はみな魔導書がなくても魔法が使えるのだろうか。
前者である可能性もあるが、前者の場合あまり情報に有益性がない。そういう人間がいると知れるだけだ。だから後者の方を考察する。他人とは違う、それでいて二人に共通する事項を考える。アイヴはどう考えても狂人だ。ミカと女性をさらった時もバースと戦っている時もその目は感情を持たない機械のように何も宿っていなかった。性欲とか残忍さとかの人間らしい動機で女二人を誘拐したわけではなさそうだ。
バースは転生者ということが他人と決定的に違う。だがバースがアイヴのような狂人だとは考えにくい。もし二人に共通点があるならどちらも転生者である点と考えた方がずっと自然だ。
導かれる仮説は転生者なら魔導書がなくても魔法が使える。
思い至ると、ぼくは万が一のことを考えて屋敷から離れた。その先の真っ暗な森の中へ行く。
判断材料の少ない仮説ではあるが、一旦は正しいと仮定してよさそうだ。ぼくも転生者だから今すぐに検証できるし。
でもぼく魔法なんて使ったことないんだよね。どうやったら使えるんだろ。
考えても答えが見当たらないので、テキトーに魔法よ、起きろ!なんて念じてみた。すると自分の肉体ではなく、脳でもなく、感性でもなく、初めて感じる奇妙な感覚を感じた。
自分の身体から何かが遥か彼方まで広がってゆき、そして縮み、ぼくのところに戻ってくる、そんな感覚だ。
その感覚が不思議なことにどうやったら魔法を発動できるか、ぼくに教えてくれた。ぼくの手から複雑怪奇な魔法陣が作られてゆき、自分の一部がすっと抜けてゆく感覚を味わうと、魔法陣は消えた。
使えた……のだろうか。火、水、風、土みたいなのが出てくるのをイメージしてたんだけどな。それにどんな効果があるのかもよくわからなかった。まあいいやそのうち確かめよう。
とりあえず、転生者は魔導書なしで魔法が使える、その事実を知れただけでも大きい。いざという時には取れる手段は多い方が良い。
ぼくは窓に戻り、アイヴとバースの戦闘に再び目を遣る。見るだけで綱渡りしている気分になりそうだ。光景から目を背けたいと思うものの逆に気になりもする。矛盾していた。それとバースの下に飛び出して、助けたいと感性が強く訴える。よく言われるように身体と心はリンクしているらしく、胃の内容物がせりあがっている感覚がある。
バースを助ける理由はあるが、安易に加勢して命の危険に晒されるのはいただけない。ぼくはしばらく戦闘の成り行きを見てから判断することにした。
世界は不可能性に満ちている。
バースは前世でその摂理を嫌というほど思い知らされた。
成すすべなく、見知った人や打ち解けた人が死んでゆく毎日。できることは己の無力さを嘆くことだけ。
だから今世では力が欲しかった。不可能な世界に抗い、可能性を掴むために。
バースは扉の前でうなだれていた。さっきはアイヴに怒ることが出来たが、今の彼にはそれが正しいことかわからない。彼はなんとなく、落ち着けず、屋敷に来ていた。
アイヴを乗せた馬車が去った後、彼の胸に後悔と恐怖が襲った。自分がアイヴに手を出していたらどうなっていただろうか。前任者のマークは優しかったが、アイヴは血が通っているかすら疑わしいほどに冷酷だ。自分だけでなく両親にまで危険が及んだかもしれない。だが同時にアイヴを追わなかったことも後悔していた。バースはアイヴがどんな人物か知らない。それだけに恐ろしい。ミカの身にもし何かあったら、考えるだけでも胸が張り裂けそうになる不安にとりつかれていた。
暗い考えばかりがめぐり、目がぱっちりと開き、腹が絶えず消化を行っているような感覚に夜も眠れない。
なんとなく落ち着かずに外に出て、ふらふらとしているうちに屋敷に辿り着いた。
偶然ではないのだろう、間違いなく懊悩の原因はここにあるのだから。勿論、逡巡が止む様子は一向なかった。むしろ原因に対面したせいで悪化し、余計どうすればいいのかわからなくなった。
ミカは大丈夫なのだろうか。アイヴは酷いことをしていないだろうか。不安を解消するためにこの先に行きたい。でももし両親に迷惑をかけたら、ミカがもしひどい目にあっていたら。
不安で頭が動くのに、肝心の身体は動かない。
だからそれは彼にとって幸運だったとも言えるのだろう。
バースは女性の悲鳴が聞こえた時、すぐに扉に走り出していた。頭が真っ白になりそうだった。
扉を開けた先ではランプと暖炉からオレンジ色の光が伸びて広間全体を薄く照らし、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。しかし目に入る光景は無残で、バースは気分が悪くなった。
広間には身体中に穴が開いた女性を中心として血が床に拡散している。昼間さらわれた女性で間違いないだろう。血の匂いに思わずバースは鼻をつまんだ。側にはアイヴがかがんでいる。アイヴは血に手で触れた。するとカーペットのシミを抜くように血はアイヴの手に収まっていった。
バースは自分が悩んで何もしなかったことを後悔した。唇を噛み切りそうなくらい歯に力が入る。
思い出したのだ。運命は人の事情も懊悩も問答無用で世界を進める。だから思い立った時に動かなければ後悔することになるのは自分なのだと。
『バース、やめろ。それを見せるな。それを二度と使うな』
バースがまだ三歳の頃、魔法が使えることに気づき、両親に見せたバースは怒られた。
父は般若の形相でバースをにらみ、母は白の彫刻石に謝りながら泣き叫んでいた。自分が怒られた理由は今もわかっていない。ただ魔法を使うことがどんなに悪いことなのか。それだけは必死さから伝わった。だからそれ以来、彼は一度も魔法を使ったことはなかった。
バースは心の中で両親に詫びた。許してくれるかはわからない。でも今何もしなくて来る未来の方が両親に怒られるよりも怖いから。
見える光景からわかることは一つだけで充分だった。あいつが女性を殺したのだ。
「おい、お前」
バースはアイヴの背中をにらみつける。バースの目は全く揺れる気配がない。
「なんだ、君」
アイヴがバースの方を振り返る。
「ミカをどこにやった」
「ミカとはなんだ」
「お前が昼間さらった女の子の名前だよ」
そこでアイヴは気づいたようで、バースに視線を合わせた。
「君、昼間、私に叫んだものだな」
ものという呼び方に不快感を覚え、バースは眉根を寄せた。
「そうだよ。それがなんだっていうんだ」
アイヴはバースの質問に答えず、学生に講義をするように語った。
「私達は血液の塊である。血が集まって人の形を成しているに過ぎぬのである。全く、それなのに君達は愚かだ。私と同じように自分が血で出来ていると気づいているはずなのに喜び、怒り、悲しみ、そして笑う。まるで自分が血の塊ではないと必死に示そうとするように。君も私に怒鳴り、わめき散らした。せっかくの機会である。君もただの血であるとその身をもって証明してくれよう」
その言葉でバースにはアイヴが何事にも無表情でいられる理由がわかった。アイヴは自分の考えが絶対の真理だと思っていて、アイヴの行動は理論の再確認以外の意味を持たないからだ。
早く大人になりたくて、まだ九歳なのに気丈に生きようとしたミカが、面影がなくなるくらいに顔をぐしゃぐしゃにゆがめて涙を流した姿も無意味なのだ。
「お前の考え、俺が穴だらけだって証明してやるよ」
覚悟を決めるようにバースは構えて、アイヴに向かって駆けた。頭に巻いたタオルが走った勢いではためいていた。
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