四話 物語没入型人生
「起きなさい、シオン! このねぼすけ! 」
今日もぼくはミカに揺らされ、起こされる。ぼくは夜遅くまで修行しているので朝に弱いし、日中はひどく眠くなる。
呼びかけに答えず、もう一眠りしようとすると、ミカがぼくをベッドから引きずり出してしまった。
「なにするんだよ、もう」
ぼくは目を擦りながら、ミカに不満を述べる。藁でベッドは作られているので引っ張り出されるとチクチクするのだ。
「もう、いつもシオンは怠け者ね。だらだら生きてると神様が死んだ後に受け入れてくれなくなるわよ。私まで神様にシオンと同一視されたらどうする気かしら。もう母さんと父さんは礼拝に行ってるから早く来なさい」
「仕方ないよー。怠け者なんだから」
ぼくは他人事のように肩をすくめた。その態度が気にさわったらしくミカに頭をはたかれた。
「馬鹿なこと言ってないでさっさと行くわよ」
「はーい」
不承不承な表情を作り、ミカについていく。どっちが歳上なのやら、なんてミカは呆れていることだろう。
ぼくは夜の修行で睡眠不足になるので、朝は遅くなるし、夕方あたりで抗い難い眠気に襲われる。その不自然さを回避するためには自分をキャラに当てはめ、行動に説得力を与えるのが適切だ。だからぼくは家ではぐうたらキャラで通している。前世も合わせれば二十後半なのに行動がまだまだ幼いのはそういうわけ。
刈り入れを家族で進めて、昼になって飯がてら休憩を挟もうとしたところで住宅地が並ぶ方に人だかりができているのが見えた。
人々の衆目の中心にいるのは馬車に乗っている男。病的なほどに肌は白く、細い身体は死体を思わせる。刺繡の入った上等な服を着ているし、人々が跪いているので貴族だろう。新しく来た領主か村を通っているだけの貴族か。
「マークさんの代わりが来たのよ」
答えは前者だった。集団に混じっていたミカとバースの隣で跪き、ぼくはミカから答えをもらった。
「あの人怖いわね……。見かけに反して穏やかな人だといいんだけど……」
ミカはぼくにしか届かない小さな声で言った。
「ミカほどじゃないよ」
ぼくもミカにしか届かないほどの声量で言うと、こつんと脇腹を殴られた。痛い。
快活なマークさんの代わりにはなりそうもない陰鬱そうな新領主は馬車から人々を見定めるかのようにぐるりと視線を向けていた。
「御者。止めろ」
地の底から響かせたような声音で新領主は言い、道に降り立った。
「今日からこの領地を治めるアイヴ・ピールである。見知っておくように」
アイヴは頭を下げず、ただ目線を下げた。
「それと、そこの君。今日から君は私の屋敷勤めである。すぐさま来るがよい」
アイヴに指さされた女性があっけにとられ、ぼんやりしていると、アイヴは馬車からナイフを取り出し、驚いたことにそれを自分の手に刺し、地面に血を垂らした。血の中心に魔法陣が生まれた。血はまず塊になり、そこから身体ができ、腕ができ、足ができ、赤黒く、猿みたく両手をぶらんと下げている血の人形が出来上がった。ぼくはその様子に思わず見入った。なぜならアイヴは魔導書を全く使わずに魔法を行使していたからだ。
魔法を使うのに魔導書は必須ではないのか。ぼくが十二年間で培った常識が崩れた。まだまだぼくの知らない世界があるのだ。そしてぼくは今日の夜からその世界に飛び出していくことになる。自然と口角が上がりそうになるが口元に力を入れて抑えた。
血の人形は女性を掴み、馬車のなかに引きずりこんだ。中から女性の悲鳴が聞こえたが、すぐに聞こえなくなった。
「私が言った言葉通りに動くように。私は領主で君たちは農民である」
そう言うとアイヴはもう一度、周囲を見渡し、ミカに目を向けた。アイヴが手を振ると馬車の中から人形が戻ってきてミカに飛びついた。
「な、なん」の続きは人形がミカの口をふさいで聞けなくなった。ミカの表情が恐怖に歪み、縋るような目を農民たちに向ける。
突然の凶行に何人かの若い男たちが激昂し、何事か叫んだ。バースもその一人だった。
「ふざけんな! そいつらに何するつもりだ! 勝手なこと言うんじゃねぇ! 」
バースにきっとにらみつけられても、アイヴは全く意に介さず、歩きながら、農民たちに語り聞かせるように話した。
「私はこの村の領主になるよう王に命令された。領地の内部で起きたことの責任は全て私に一任される。つまり私はこの村の全ての権限を手に入れたのだ。よって」
バース以外の農民たちは蛇に睨まれたように微動だにせず、一言も発さず、アイヴの傍若無人な言葉に耳を傾けていた。
「私の行動に意見するならばそれは王の権威に歯向かうことである」
アイヴは表情を変えずに、バースの目の前で宣言した。同時にミカが馬車に引きずり込まれた。ミカの姿が馬車の中に消える最後の瞬間、普段の気の強さが微塵も感じられないくらい彼女は涙で顔をくしゃくしゃにゆがめていた。
怒ったバースや若い男たちがつかみかかろうとするが周囲の大人たちに手足を掴まれ、未遂に終わった。
「御者。出せ」
アイヴが馬車を走らせ、蹄の音が遠のいていく。
「放せ! 放せよ! ミカを返せよ! 」
恐怖によって支配され、生み出された静謐さのなか、バースの叫びが空しく響いていった。
ぼくは一連の様子を見ながら、ずっと恐怖を楽しんでいた。欲情にかられるそぶりも、傲慢さも見せず、ただ淡々と無感動に女性とミカをさらい、その行為を機械が話すように正当化したアイヴ。感情も行動原理も理解できない。ぼくのまともな方の感性はその理解不能さに恐れ、戦き、激情すら覚えなかった。ただただ身体中が石になったように動くことを拒絶していた。ここまでの恐怖が刻まれるのはぼくにとって初めてのことだった。天災を神の怒りと解釈していた昔の人達の気持ちが今ならわかる気がする。
アイヴの馬車が見えなくなると農民たちはみなその場を離れていった。後に残されていたのはぼくとバースの二人だけ。
「帰ろう、バース」
ぼくは表情筋を必死に抑えて、峠を越えてから沈んだ声音を意識して発しながら、バースの肩に手を置いた。バースはなにも返さなかった。ただずっと地面に映る自分の影を見ていた。その姿を見て、恐怖だけを感じていたぼくの感性にようやく、ミカの身を案じる気持ちとアイヴへの怒りが湧いてきていた。身体の一部が奪われたかのように。
「あんなこと許されるはずがないよ。すぐにミカは戻ってくる」
ぼくは彼の肩に手を置いた。それは騒ぎ立てた感性に沿って行った動作だった。それで彼の痛みが和らぐと感じたのだろうか、いやそうしなければ感性としてもやりきれなかったのだろうか。どちらにせよぼくは今彼に感情移入している。
前世では創作物でも現実でも目の前に泣き叫ぶ人や怒り狂う人を目にすると、その人のことをどれだけよく知っていても、壊れたレコードのように喜びが再生されていて、そのたびに自分の異常さを自覚したものだった。
今流れているのは喜怒哀楽の協奏曲。それはぼくのこれからがまともさに彩られたものになるであろうことを示唆していた。
ぼくはバースが立ち上がるまで側にいて、ずっと感情移入という体験を楽しんでいた。
ミカがさらわれたことを知った両親は不安で落ち着かず、夜遅くまでずっと話し込んでいたものだからぼくが行動を起こせるのはいつもの夜より遅くなった。
両親が寝ついたのを確認したので、村を出ていく身支度をする。皮のポーチに硬貨、ナイフ、穀物、干し肉、外套、鍋といった荷物をつっこんだ。
もう家族とは会わないだろう。転生を目指す旅路で家族への再開の機会が訪れるとは思えないし、転生という夢が叶えば、ぼくは再び家族を得ることができる。
そのぼくの思考が感性に胸が張り裂けんばかりの悲しみと自分勝手な行動に対する、後ろめたさを生み出した。この家から出てゆくことから全身が拒絶反応を示す。
「さようなら、父さん。母さん。育ててくれてありがとね」
二人は気づいていないだろうけど、名残惜しさを断つため自分の感性に言い聞かせるつもりで言った。その途端、家族との思い出が一気に想起させられた。頭がぐらぐらする。ぼくの感性が過去の思い出に反応しているのだ。その感情の波はジェットコースターに乗っているような感じだった。両親に怒られて悲しかった思い出、ミカと思いっきり兄妹喧嘩して怒った思い出、家族で和気藹々と食卓を囲み談笑したり、みんなで祭典にいって楽しんだりした思い出。それらはぼくがこれから味わえる未来でもある。村の生活は確かに閉塞的だが、一方で同じ生活サイクルの中で生きるがゆえに、安定した平穏を享受できる一面も持っている。
ぼくは今、この村での、家族での、そしてバースとミカたちとの過去と未来を捨てる。
そりゃ足をつい止めてしまうほどには拒絶することだろう。ぼくの人生は間違いなくここにあったのだから。まだ見ぬ世界への期待を思い出してなんとかぼくは足を進めた。
家を出るとたまたまバースが外にいて、道を歩いていた。
ぼくは彼に気づかれないようついていった。単純に行動理由が気になったし、たまたまぼくと行先の方向が同じだったからだ。
じっと見ていると、その深みにどこまでも飲み込まれてしまうような感覚を覚えさせる暗闇。それを夜の世界には多数見いだすことができる。家々の間にある隙間。麦穂の中。水の流れる窪み。昼間には普通だった全ての情景が不気味さをもって現れる夜の世界に自ら行こうとする者は滅多にいない。ぼくも夜に修行していたのは目立つことを嫌ったからだった。バースも夜の村に出ているのは、よほどの理由があるのだろう。
そういえば今日のバースの行動にも奇妙な点があった。
どうしてバースはあそこまでアイヴに怒り、そして凶事の後に悲嘆に暮れたのだろうか。確かにあんな風なさらい方をされれば恐怖に駆られたり、怒ったりするのは想像がつく。ぼくも怖かったし。だがあそこまでの反応は彼の性格からしてそぐわないし、過剰だ。
彼の性格は一言で表せば温厚だ。
バースはぼくが度々彼のことをいじっても、ミカにぷんすかされても、笑って許してくれる。
ご近所さんの評判も手のかからない子と良好だ。
そんな彼が理性ではなく感情に身を任せるのは意外で、ぼくの目には奇異に映った。
違和感の理由にはもう一つある。彼が十二歳という歳以上に年齢を重ねているからだ。
バースは転生者なのだ。それもおそらく日本からの。
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