一章 楽しい人生

三話 当たり前のように充実するであろう人生

 ぼくが転生してから十二年の月日が流れた。十二年といっても正確な数え方ではなく、四季の巡りを十二回体験したからそれだけの歳を取っているだろうという推測にすぎない。 


 十二年という長い歳月でぼくは前世含め今までで最も新鮮で閉塞的な世界に生きてきた。


 新鮮というのは勿論、正常な感性を通して見る世界のこと。ぼくは創作物や普通の人達との交流からどのようなときにどのような感覚が沸き上がるかを知り得ていた。ぼくが読書やら会話やらで高めた世界への解像度をもとにして、目の当たりにした事象を事前知識に当てはめることで前世では言葉として知っていただけの感情にようやく体験を伴わせることができた。


 閉塞的というのはぼくの転生先のこと。郡山遊真という女子高校生だったぼくは男の農民であるシオンへと転生した。農民である毎日は手綱を外れた暴れ馬のように喜びが暴れまわる異常な感性を持ち併せているぼくにとっては娯楽に満ち溢れたものだったけれど、電車を使って一時間もかからずと隣の県に移動できる現代人にとっては村での生活は年中家にひきこもっているような感覚を覚えるかもしれない。


 太陽の浮き沈みに規定づけられた生活。四季の流れによって固定された農業や畜産業を行う毎日。一年という単位で同じことが繰り返される日常。


 それにぼくは生まれてからまだ一度も自分の村を出たことがない。


 人縁を辿ったり、SNSなどのツールを用いたりして、様々な社会的地位や職業を持った人たちとオンラインでもオフラインどちらでも積極的に交流していたぼくの前世とは正反対の毎日である。





 さて、そんな閉塞的なぼくの今日はいつも通り礼拝から始まる。


 あなたは主を疑ってはならない。


 あなたは主の望まれる世界の民として善行を積まなければならない。


 あなたは主の求める完全を目指し生きねばならない。


 見渡す限りの全てが意図的に真っ白に染められた礼拝堂にその声は響いた。声の主はぼくら教えを乞う者達の前にいる白い袖口と上半身を真っ二つにするように描かれた白い直線以外の全て黒い服に身をつつんだ司祭だ。巨大な白い彫刻石を背に、白い台に教会の教えが書かれた白の成典を開き、司祭は朗読する。


 白にも紋様があったりして違いがないわけではなないのだけれど、こうもなにもかもが白ばかりだと司祭か他の農民を見ていないと目が痛くなりそうだ。


 司祭の声に呼応してぼくたちもあなたをわたしに変えて追い読みする。


 何回かその応酬を繰り返して、主はわれわれを見守っておられる、と司祭は礼拝を切り上げた。



 礼拝が終われば人々は浄礼へと移る。浄礼とは神がおつくりになった我らの身体を清めることで完全な世界を求める神への敬意を表す儀礼である。


 浄礼という言葉からして荘厳な雰囲気を醸し出しているが、実際は浴槽に入る前と後に立てかけ看板みたく置かれた白の彫刻石に礼をすることが付け加わっただけのお風呂だ。


 浄礼場の中はこれもまた真っ白な空間で、シャワーはなく、中央に大きな浴槽が一つあるだけだ。


 一礼して浴槽に入ると身体の芯から波紋を描くように熱が広がり、空を浮遊しているような気分になる。前世ではただ温かいことに喜んでいただけだったからほっと一息つけることが二重の意味で嬉しい。


 感情的にも身体的にも浄礼に満足していると、バースが浴槽に来た。ぼくと同年代のわりに大人くらい身長が高く、がっちりとしていて、今世でも背の低いぼくとバースが並ぶと父と息子が並んでいるような形になる。しかもそれで頭にいつもバンダナを巻いているから、村にはひと目で彼のことがわからない人間はいない。目の色は淡い碧眼。バンダナからは黒髪がはみ出ている。


 バースは浴槽の段差に座っているぼくの隣に腰かけると、何も書かれていない白の壁に目を向けて言った。


「やっぱりマークさん、別の領地に移っちゃうみたいだな」


「バースにも懇意にしてくれてたもんね。ああ、寂しくなるなぁ」


 マークさんはぼくの村を治めていた領主だ。人柄が良く、貴族であるにも関わらず誰にでも数年来友人のように接するので多くの農民から慕われていた。


 今回、別の土地に移るのは息子が功績を挙げたとかでより重要な土地に封じられるとのことだった。


 彼の快活な笑みを思い出そうとすると、頭から熱が抜けてゆくような感覚、つまり淡い喪失感を感じる。


「おい、シオン。それ俺だけみんなから除け者にされてるみたいじゃねぇか」


 バースはむっとした顔をぼくに向けた。


「ごめん、ごめん。冗談だよ」


 ぼくの軽快な笑いを見て、バースも笑った。バースはわかりやすくリアクションしてくれるので、ぼくは彼をよくからかいたくなってしまう。


 世間話に花を咲かせた後、十分に身体があたたまった頃に一緒に浄礼を終えて、浴室から出てゆこうとすると、突如、出口の前でバースが後ろをちらっと見た。ぼくも彼に釣られて振り返る。


「『炎は燃■■。行■■なく。我■の認知■■■■■■で現れ■■■■■■■』」


「『万物■水■■■。水は■■■■■生み、生■■■■■水■存続■■■』」


 ぼくたちが入っていた浴槽には、数人の農民たちと、その傍らで魔導書の呪文を詠唱して、浄礼に使う水を入れ替えながら炎を出して、水をお湯に変えている信徒がいた。


 気づけばバースはその場からいなくなっており、あわててぼくも出口へ向かう。


「遅いわよシオン! いつまでレディーを待たせる気かしら!」


 教会を出るとすぐさまミカがぼく達をにらんだ。ミカはぼくの三歳年下の妹だ。髪色はぼくと同じく白。髪を肩まで伸ばしていて、服は使い古しの床まで届きそうな丈の女の子らしいゆったりとしたものを着ている。


「レディーは遅れたくらいで怒らないよ。もうちょっとバースみたいにどっしり構えなよ」


 ぼくがわざとあくびをしながら諭すように言うと、ミカはあからさまに眉を寄せる。隣にいるバースはぼくらの会話をにやにやと見守っている。兄妹仲があまり良くないのは周知の事実なのだ。


「早く行くわよ! 今日は忙しいんだから!」


 ミカにぼく達二人は小走りで先導され、その後ろを続く。ぼくらが通る雑草が抜かれて軽く整理された道の脇には窪みがあり、そこに水路が通っている。水の流れを目で追うと、農民たちの畑が見えてくる。


 やがて畑につくと、バースは先に作業をしていた両親を手伝いに隣の畑に行った。


 ぼくは両親のところにミカが駆けていくのを追おうとしてそこで立ち止まった。


 畑に一陣の風が吹き、麦穂の海が波をうつ。黄金が揺れる様子はぼくに頭がまっさらになったような感覚を覚えさせる。


 ぼくは今世で充実した毎日を送っている。浄礼で感じた安心感もマークさんに対する喪失感も今感じている美的感覚であろうものも前世のぼくにはなかったものだ。今世の感性が運ぶ味わい深い感覚はぼくを虜にして、また感じてみたいと思わせてくれる。基準が興味だけだった前世では一度感じただけで満足してしまっていただろう。


「こら! なにやってるのシオン!」


 ミカに怒られたのでそこでぼくは物思いに耽るのをやめ、穂を刈りに行った。











「これから夕飯よ。バースを呼んできなさい」


 今日の農作業を終えた後、家で疲労に任せて眠っているとミカにたたき起こされ、突然命令された。


「自分で呼びなよ」


 寝ぼけまなこを擦り、身体感覚が戻ってゆくのを楽しんでいたかったので。ぼくはそう答えた。


「私は今日、みんなの代わりに夕食を作ってあげたのよ! もしかしてそんな私のお願い一つ聞けないつもりかしら?」


 なんでバースを呼ぶんだそこで、と思ったが、ミカの本心に気づきにやにやとした笑みをぼくは浮かべた。


「自分で呼びたくない理由があるのかな?」


 わかりやすくミカは言葉に詰まる。やっぱりそうか。ミカはバースに自分の作った夕食を食べてもらいたいのだ。バースと似たところがあるからぼくは彼女をいじりたくなってしまう。 


「ふーん、図星かぁ。自分で呼ぶのは照れ臭いのかな?」


「早く行きなさい!」


 ミカに怒鳴られたところでいじわるをするのはおしまいにして、バースを家に呼んだ。バースは見た目の通りスタミナがあるので農繁期の重労働の後でもけろっとしていて、それどころかぼくが家を訪ねた時、彼は丁度、日課だという筋トレをしている最中だった。天井の凹凸に掴まり、汗を流しながら懸垂をしている。


「ミカが夕食作ったから食べに来いってさ」


「おうおう、ってお前それ言っていいのっ……」


 続きはなかった。ツッコもうとして力が脱力したバースは手を放してしまい、しりもちをついたからだ。


「いいんだよ。どうせわかるし」


 だってこういうやりとり過去に何回かしてるし。往々にしてミカはバースに自分の好意を隠したがる。以前、ミカがバースに靴を編んでプレゼントした時もぼくを通してだった。


「まぁそうだけどな。妹の思いをそこは汲んでやれよ……」


 尻をさすりながら、苦悶の表情を浮かべてバースは言った。


「いやいや、気づいて欲しいんだよ。ミカはああ見えて」


 思いに気づいて欲しくない女の子がいるものか、とぼくが前世で読んだラブコメが言っている。ラブコメ曰く彼女は思いを伝えるか否かの逡巡にいるのだと。前世ではどんな人と話すのも喜ばしかったから、ぼく自身には特定の人に夢中になる心理が解らない。


 道の途中、ぼくは彼に訊いた。


「君はさ。ミカのこと好きなの? どう思ってるの?」


「うーん、なんつうか。幼いころから仲良くしてきたってのもあるし、女として見られないっていうか。というかまだまだ幼いわけだし……」


 バースは眉に手をやった。さすがに彼もミカの好意に気づかないほど鈍感ではない。ただ彼は悩んでいるのだ。子供のころから仲良くしてきただけあってバースがミカに恋心を抱くのは難しい。その逆はどうなんだと言いたいところだが一旦置いておこう。だけどミカはまだ幼い。小さい彼女に失恋のショックを与えるのも避けたいところなんだろう。


 まぁ本で読んだ知識を当てはめて推測してるだけだから、バースの本心がそうかはわからないけどね。


 ぼくは付き合った男子と一週間で破局するくらい恋愛は不得意だったし、女子グループの話題によくのぼる恋バナでもみんなと同じようには楽しんでおらず、ただひたすらに楽しんでいて、ついていけてなかった。


 折角、普通の感性を手に入れたのだからぼくも恋愛をしてみたいところだ。


 そんな思索に耽りながら歩き、家に着くと円形のテーブルに置かれたシチューがぼく達を出迎えた。


「やっと来たわね。たっぷり味わいなさい!」


 ミカは腕組して椅子に座っていた。ぼくの両親は微笑を浮かべながら、バースに椅子をすすめる。ぼくとバースが座った後、白い彫刻石に礼をして食事を始めた。


「ど、どう?」


 バースがシチューに口をつけてからずっとそわそわしていたミカは食事の途中、食後を待ちきれず訊いた。


「美味しいぜ。豚肉が崩れてシチュー絡まってくれる。そんでうまみが口中に広がる。肉汁をシチューがまろやかにしてくれるから後味もやんわりとしてる。できることならまた食べたいな」


「ふん、私の母さんに感謝することね」


 バースがベタ褒めするものだから、ミカはそっぽを向いてしまった。ぼくはミカを見てまた首がくすぐられるような感じ、つまり悪戯心が働いた。


「それミカが作ったんだよ」


 とダウトすると、その反応がプログラムされているかのようにミカは顔を紅潮させる。


 それでみんなが笑うと「なんなのよもう! 」と言って、家から出て行ってしまった。


やっぱりミカのことは分かるけど解らない。いじって反応を見ても、ミカの心中に入れるわけではない。普通の感性を手に入れたというのにまだまだぼくは人生に疎い。次の人生はミカみたいなツンデレに転生してその心理をぜひ体験してみたいものだ。


「ミカのこと頼んだよ、バース」


 そんな父親みたいなことを言うと、目の前にいる父さんは困惑していたが無視してバースに向き直る。


「え!? 今の流れでそれ?」


 バースはぽかんとした顔をしていた。ぼくはその顔を見て思いっきり笑った。











 夜、ぼくは寝たふりをして、静寂に唯一響く虫の鳴き声を鑑賞していた。夏か秋くらいになるとぼくの習慣の一部になることだ。これも何度聞いても楽しいものである。


 隣に寝ているミカと両親が寝静まったのを確認すると、そろりそろりと音を立てないように寝床を抜け出す。


 そのまま家の外に出て、照明がなく、真っ暗な道をぼくは歩き続ける。明かりがなくても四歳くらいから暗闇に目を慣らしていたので、昼間と同じくらい視界はクリアだ。


 鬱蒼とした森に入って枝葉に揉まれながら歩き続けると開けた場所に出た。周囲は木々に囲まれ、外からここを見ることはできない。


 屈伸し、アキレス腱を伸ばして、ストレッチをする。一通り準備運動を済ませてから、毎日の日課のトレーニングに移る。


 まず自分の重心を崩し、身体が地面につくところで受け身をした。何度か繰り返した後に自己流で身につけた新体操もどきを始める。具体的に言えば手と足だけでそれ以外の場所を地面につけずに回転したり、身体をひねりながら一回転して跳躍したりという動作。


 次は走りながら、枝で勢いをつけて身体を動かし、ターザンになったように木から木へと、木から地面へと、地面から木へと移る。


 なぜこんなことをしているかといえば、村から出てゆくのに備えるためである。ぼくはこの十二年村で過ごし情報を集めてきたが、転生に関わるようなものはなに一つとして知れなかった。だから新しい情報を探すために別の場所に行こうというわけだ。


 とはいえ出て行くと言っても、ぼくはこの世界の常識を狭い範囲でしか知らないわけだから、無策ではいられない。村の外を出た町はずっと厳しい弱肉強食の世界かもしれないし、逆に互助が根付いた親切な世界かもしれない。


 せっかく転生したのに無知のせいであっさりと死んでしまうなんて想像したくもない。


 しかし村で見聞きしたことしかぼくは知れないわけだから、町に出るとなると嫌でも一寸先は闇の世界を進んでいくことになる。いざという時に無知が招く災いを撥ねよける力くらいは新天地を目指すにあたって欲しかった。


 力は膂力よりも柔軟性や俊敏性といった力を求めた。農作業をしていればそのうちある程度の筋肉はついていたし、なにより対応力が欲しかったのだ。


 この世界には魔法が存在する。知る限りでは魔法は魔導書を持った人間にしか使えないから、ぼく含め農民のような魔導書を買う金銭的余裕のない人たちは魔法を使うことが出来ない。浄礼の時、必ず司祭がお湯を調節するのも神聖な儀礼の担い手にならざるを得ないのはそもそも魔法を使える人間自体が限られているからだ。


 筋肉だけでは魔法という予測不能な術に対処する術を作れるのかが不安だった。


 そういうわけでぼくはいざという時に備えて、鍛えていたのだ。


 出発は明日の夜。


 身体の成長と日々の農作業で得た筋肉や夜に鍛えた柔軟性と俊敏性。これらが用意できるまでの期間を目安に、ぼくはなるべく怪しまれないように、逆にそのための行動が疑惑の原因にならない程度、この世界の常識で育ってゆく人に似せて振る舞ってきた。


 世界について明るくない以上、藪をつついて蛇を出す結果に繋がらないように慎重に動いてゆくのが最善なのは言うまでもない。


 明日の夜からこれまでのようなただただ消極的なだけの慎重さとはオサラバだ。大胆に、それでいて、思慮深く、を目標に、世界を探索してゆく。向かう先には数多の危険が待ち受けているだろう。


 男に転生したからだろうか。無謀さをはらむ冒険に感性が不安を訴え、今の農民の生活に留まることを提案するが、それ以上に外の世界に一歩を踏み出したくなる。


 これからどんな世界が待ち受けているだろうか。興奮して胸の動悸が鳴りやまず、落ち着かない。


 ぼくはトレーニングの締めに木の枝に掴まって三回転して飛び、地面に着地した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る