二話 転生したけど転生したい
私はドアが開いたときの物音と光で目覚めた。遊真さんはまだ隣にいるから潜さんがトイレに行ったのかな、と思ったけど違うらしくこっちに足音が近づいてくる。
目をこすりながら、ベッドから顔を出す。音の正体はやはり潜さんだった。
「どうしたんですか……潜さん……」
「あぁ、ちょっと話したいことがあってね」
潜さんは両手を裏で組むようにして部屋に入ってくる。目をぱちぱちさせながら潜さんを 見ていると、私たちのところまでずんずんと足を進め、突如、銀の光沢を私に振り下ろした。
だがそれは遊真さんが潜さんの腹を蹴り上げたことで、潜さんの手から離れて真下に落ちて布団に刺さり、私の身体にまで到達することはなかった。
潜さんが顔を歪めるのと同時に、銀色の正体がわかった。潜さんが振り下ろそうとしたのは調理用の大きな包丁だった。あれで私を刺そうとしたのだ、と思うと背筋が凍った。
遊真さんは右手で潜さんの右手を掴み、左手で布団から包丁を引き抜いて、後ろに回り、回した腕と一緒に潜さんの背に倒れ込み、そこに包丁を滑らせた。
潜さんがつぶれた喉から出したような声で絶叫する。赤黒い血が潜さんの寝間着を染めてゆく。痛々しい光景に私は思わず私も悲鳴をあげた。
「ふーん、サイコパスでも辛いっていう気持ちあるんだね」
無邪気な子供が玩具を見つけたように遊真さんは笑った。遊真さんが潜さんの裂傷をいじくりまわし、部屋から絶叫を途絶えさせない。潜さんの声に過呼吸が混じってくると、遊真さんはつぶやく。
「うーん、君も普通の人と同じなんだね。痛覚を刺激すると辛さを連呼するだけのロボットになる。最初はちょっとした違いがあると思ったんだけどなぁ」
遊真さんは彼女の科白が含意するであるはずの落胆の色を見せずに笑い、包丁の柄の部分で潜さんの頭を何度も強打して、意識を奪った。
私は一部始終を眺めることしかできず、事が終わった後にようやく口を開けた。
「なにやってるんですか……」
遊真さんが振り返った。
「どうしたの? 」
「どうしたの、じゃないですよ! なんなんですか…二人とも! 潜さんは急に包丁で私を刺そうとするし! 遊真さんは潜さんを包丁で刺すし! 意味わかんないですよ……」
二人の奇行が当然のものだったように答える遊真さんに私は半狂乱になって叫ぶ。遊真さんも潜さんも、突然、別人が乗り移ったみたいだった。初対面なのに優しく、フレンドリーに接してくれた二人はどこにいったのだろうか。
遊真さんはちょっと思案するように顎に手を置いた後、口を開いた。
「まずぼくがここに来たのは潜さんみたいな人を見つけるためだったんだ」
「潜さんみたいな人……?」
「そう、潜さんみたいな、人を殺すのに何も罪悪感を覚えず、それどころか殺す過程を楽しめる人間。潜さんはさ。集団自殺をするように見せかけて、集まった人たちに自分を信頼させた後になぶって、絶望した顔をみながら殺そうとしてたんだ」
衝撃を受けて、私の開いた口がふさがらない。遊真さんは、そんな私の様子のなにがおかしいのか、血に染めた頬を緩ませて私に語る。
「ぼくは今まで何度か集団自殺者の集まりに参加したことがあるからさ。死のうとしてる人がどんな部屋で暮らしているとか、どんな風な生活をしているとかは知ってるんだ。そこと照らし合わせた時、潜さんは奇妙だった。たとえば二日後って死ぬ日を決めていたのに本棚には週刊誌が積まれてたこととか、部屋が生活感丸出しだったこととかさ。計画的に自殺しようとしてる人はさ、この世の未練を断ち切ってから死ぬもんだよ。まあそれでもぼくが知らないだけで自殺者の中には死ぬ間際まで規則正しく、健全な生活を続けてる人もいるかもしれないから、ぼくは自分の仮説が正しいかどうか確かめたくて、夜になんかアクション起こすかなって期待して待ってたんだけど……当たりだったってことだよ」
遊真さんは気絶した潜さんの身体に触れながらそう語り、自分自身の方に人差し指を向ける。
「あとは……ぼくが潜さんを刺した動機だよね。さっきも言ったようにぼくは潜さんのようなサイコパスを探して集団自殺に来たんだ。実際、集団自殺で集めた人を虐殺する事件がみたいだからね。ぼくはサイコパスがどう感じるか知りたかったんだ。喜怒哀楽をどう感じるか、そしてそれが常人のものとどう違うか、知るためにね」
私が呆然としていると、遊真さんは私を見つめた後に補足した。
「ちょっと説明不足だったかな。ぼくの動機なんてぼくじゃないとわかるはずないもんね。
簡単に言えば生まれつきぼくはみんなと感じ方が違ってて、ずっと周りの人達がどんな風に感じてるか知りたかったんだ。そのために色んなことをしてきてね。今回、潜さんみたいな人を探したのも、その一環なんだよ」
遊真さんの話は物事の理由を一貫性があるように無理矢理でっち上げたみたいな感じで、今日のこと全てが私の描いた夢幻の類だったかのような錯覚に囚われそうになった。
だから随分と時間を要して、私は遊真さんの話と今が事実で現実であると認識し、私は訊くことができた。
「自殺してくれないんですか?」
私にとって一番重要なことを。
私たちを殺そうとしてこの場を企画した潜さんは言わずもがな、遊真さんも自殺してはくれないだろう。他にも集団自殺の機会があったのに死んでいない彼女に希死念慮があるはずがない。だから、それを訊いたのはさっき、私の決意に応えた遊真さんの抱擁が嘘ではあって欲しくなかったから。
「うん、しないよ。ぼくはまだ生きてやりたいことがあるしね」
だけどというべきか、やはりというべきか遊真さんは拒絶した。笑って答える遊真さんの言葉を聞いた途端、私のなかでどす黒い感情が渦巻いて、眉が吊り上がった。この人の軽薄な笑顔を壊してやりたくなった。潜さんも遊真さんも今日、私の感情を散々揺さぶっておきながら内実、二人は私の思いなんてどうでもよく、ただ自分の目的を追っていただけなのだ。
つまり、私は二人の勝手な欲望に巻き込まれていたのだ。
なら、私も二人を私の勝手な願望に巻き込んでやろう。
思いたって、すぐ私は行動に移した。遊真さんに飛びかかり、包丁を持っている方の手を掴んだ。抵抗する遊真さんの頭を殴り、力が抜けたところで包丁を奪い、右胸を刺す。浴びた血や刺した時の感触で気味の悪さを覚えるが、無視して何度も繰り返し遊真さんの身体を刺す。
動かなくなったところで同じことを気絶している潜さんにもする。痛みに潜さんが目を覚まして発狂し、断末魔と血なまぐささで私を不愉快にする。
潜さんが何も言わなくなった後、ほっと一息ついてから私は二人をベッドの上に運んで、仰向けに寝かしてから、自分も挟まれて寝転がり、二人の閉じていない目に入るように包丁を自身に向ける。
「遊真さん、潜さん、私もすぐ行きますから……」
二人が安心できるような、優しくて耳に余韻を残すような声を意識しながら、何も言わなくなった二人に微笑む。
そして重力に任せて一気に心臓へと包丁の刃先を到達させる。すぐさま痛みと熱で頭がぼんやりとする。すでにこと切れているであろう二人の死骸を見ながら、熱で浮いた頭で私は夢想する。これから私たちは死の暗闇へと落ちてゆく。何も光が当たらない闇の中で今日の思い出話や世間話に花を咲かせて、ひとりぼっちじゃないと確かめながら、私たち自身が暗がりを照らす明かりとなるのだ
私はそこで現実に戻された。遊真さんが安らかな笑みをたたえていたからだ。力の入らない手を伸ばし、遊真さんの腕を摑もうとするが、私の瞼が閉じるとともにその結果を知ることはできなくなってしまう。ただ、冷たいな、と私は永遠の眠りにつく直前に感じた。
喜びに満ち溢れた人生が充足しているというならば、ぼくの人生はこの世界の誰よりも素晴らしいものだ。
人は色々な場面に対する反応を感情で表現する。幸福が実現されれば喜びを、間違っているものには怒りを、絶望に落とされれば哀しみを、不愉快なものには嫌悪を、大切なものが脅かされれば恐怖を抱くだろう。
ぼくは違った。ぼくは間違っているものには喜びを、絶望に落とされれば喜びを、不愉快なものには喜びを、大切なものが脅かされれば喜びを、そして包丁で刺された傷から大量に失血し、死にむかいゆく今にも喜びを抱く。
ぼくの人生は常に喜びに満ちていた。
しかもその喜びは平坦なものではなく、山あり谷ありの大きな変化を伴っていた。
いわば普通の人にとって、ただご飯を食べた時よりも誕生日ケーキを食べた時の方がはるかに嬉しいと感じるように、喜びの差異を決める基準をぼくも持っていた。
興味である。その物事に関する興味が大きいほど、満たされた時の喜びは大きかった。
そしてぼくが生涯を通して興味があったのが人の人生だった。
周りの人達はどのように感じて一生を過ごしてゆくのか。生まれつき人と全てが異なるぼくには頭から離れない、いや解決できない疑問となった。
他人の人生を理解しようと、ぼくは様々なことを試した。普通の人達がどのような事象にどんな反応を取るのかを観察し真似してみたり、積極的に友達を作って同じ時間を過ごすようにしてみたり、時にはSNSで繋がった人から体験談を聞いて自分の知っている世界を増やしてみたりして理解を深めようとした。
結果は全て無為に終わったけど、でも悪くなかった。いや悪いと感じること自体、ぼくには許されていない。ぼくの頭が送る脳信号はただただ目の前の出来事を肯定する。
そろそろお迎えの時間が来たようだ。身体が急速に熱を失い、頭がぼうっとしたのちにぼくが経験してきた出来事が次々とフラッシュバックしてゆく。
死の直前、人は自分の死を回避するためにこれまでの人生を振り返る、つまり走馬灯を見るのだという。
ならぼくも最後くらいは他の人と同じような体験を経て死ねているのだろう。
口元がゆるんでゆく。たぶん、ぼくの死体は天国に上った人のように安らかな表情を浮かべているだろう。
視界が真っ暗になり、ぼくの意識は途切れた。
読書する習慣は中学生の時にはとっくに抜け落ちていたから、これまでぼくが体験した、あるいは創作物で追体験したシチュエーションを掘り起こして、なにが起きたのかを推測するのは随分と困難なことだった。それもそのはずで現在、ぼくの見ている光景や置かれている状況は現実には起こり得ないはずのもの、つまりファンタジー小説の領域に入るであろうものだからだ。
身体感覚の小さくなった身体。見覚えのない明らかに現代のものではない部屋。ぼくのことを抱いて安堵した表情を浮かべる汗だくの見知らぬ女性。その人の傍でぼくのことをじっと見つめている、こちらも名前も顔も知らない男性。視界に収めてから、だんだんと曇ってゆく二人の表情。
それらの情報を基にして、ぼくは自分が転生した、という考えに至った。同時に口が弧を描きそうになり、あわてて猿のような顔を意識して表情を作り、産声を上げる。男性と女性、おそらくぼくの両親であろう人たちは顔を見合わせて笑った。
生まれたての赤ん坊の第一声が泣き声ではなく、笑い声だったら気持ちの悪い子供だとみなされていたかもしれない、今のぼくは誰かの助けなしに排泄さえもできない無力な赤ちゃんだ。奇特なことをして悪い意味で目立つような事態は避けたい。
転生したことは転生それ自体の存在を裏づけている。ぼくが知らなかっただけで転生にまつわる機関が既に世界に存在していたのかもしれないし、神というやつの仕業かもしれないし、死後には転生するという法則が存在したのかもしれない。いずれにしてもぼくはなにかしらの原因があって転生したはずだ。
ならばもし、転生の原因を見つければ、ぼくは再び、いや何度でもその原因を使って転生し続けることができるかもしれない。
それにぼくは前世に持っていなかった普通の感性というものも持ち併せて生まれたらしい。さっき目が覚めた時から感じていた。全身を自分のものではないなにかが動かそうとしているような感覚。さっきはその奇妙な感覚を無理矢理抑えて、今の状況を推察しようと躍起になっていたわけだが、産声を上げた時、その正体を理解した。ぼくの今世の身体はずっと泣きたかった。正常な赤ん坊の感性がぼくに欲求を充足させるよう要請していたのだ。感性の依頼に応えて生きればぼくは自然にまともな感性を持った人間としての人生を楽しめるだろう。勿論、一つだけでは物足りない。
ぼくはどんな人間の人生も知りたいし、楽しみたい。何度も規格外の成功をおさめ、世界を思うままにするほどの力を手に入れる人の人生も、普通に日常を過ごし、つつましい最後を終える一般人の人生も、貧困にあえぎながら世界を恨みながら死んでゆく人の人生も、全て経験して味わいたいのだ。
この世界で生きる目標は確定した。死ぬまでの間に転生する術を見つけること。考えただけでわくわくするアイディアだ。
ぼくは母にあやされたおかげで泣き止み、落ち着いている体を装って静かに笑みを浮かべた。
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