転々として ~転生したけど転生したい~

斜辺私達

プロローグ 

一話 転世

 ジャケットの上に羽織ったジャンパー、靴、手袋などに包まれていない部分を初冬の風撫でられて、暖房があるであろう目的地へ向かう私の足は早まった。時折、曇った眼鏡をハンカチで拭きながら、地図を表示しているスマホ片手に、住宅街を歩き回り、目的地の印である表札を探す。


 薄いタイルを敷き詰めたようなデザインの一軒家を前にして、心臓がばくばくするのを感じた。動悸から解放されたいという気持ちを振り払い、インターホンを押す。


 しばらくの後に出てきたのは、端正な顔の柔和な顔つきのお兄さんだ。背丈はそこそこで、控えめに明るい色彩のセーターを着ている。私を認めると、軽く微笑みかけてくれる。


「やーやー、こんにちは。松重美里さん?」

「は……はい!」


 う、どもってしまった。私はいつも会話で聞く側に回ってばかりだったからか、どうにも話すのが苦手だ。


「そんなに硬くならなくていいって、いいって、ほら上がって」


 手招きされて、廊下を左に曲がり、リビングに入る。右側には雑誌の積まれた本棚と引き出しやロッカーとスーツ一式のかかったハンガー。隅には熱帯で育ったように細長い観葉植物。左側には長方形のテーブル、その奥にはキッチン。


 そのどれもが綺麗に手入れされていて光沢を持っていて、床には埃一つない。


 テーブルに沿っておかれた椅子の一つにはクリーム色のパーカーを着た、背の低い女の子が座っていて、私に気づくと無邪気な笑顔を浮かべ、手を振ってくれたので軽くお辞儀してから私も椅子に掛けて、上着を脱いで、椅子の背もたれにかける。


 最後にお兄さんが水と菓子類を私たちに配ってくれてから座った。


「これで全員集まったね、リアルで会うのは初めてだし、お互い自己紹介しようっか」


「俺は迷世潜めいせひそむです。ネットの名前はめいずです。三日間よろしく。気軽に潜って呼んでね」


 潜さんは今回の集まりの立案者だ。SNSで今回のような暗い提案の参加者を募集していたから、内気な人だと思っていたけど、実際は真逆のようだった。


「ぼくは郡山遊真こおりやゆま。ウーマって名乗ってたよ。遊真でいいよ。よろしくね、二人とも」


 遊真さんも潜さんと似たタイプの人らしい。参加を決める前は来る人と仲良くなれるか不安だったけど、取り越し苦労だったようだ。


「わ、私は松重美里ですっ。よ、よろしくお願いします」

「あははっ、美里さん緊張しすぎだね。もっとフレンドリーに行こうね」


 潜さんの笑いに違いますよ、お二人が、コミュ力が高すぎるんです、と言いたくなったが、ドキドキで言葉が出ない。私だけ堅苦しく制服を着てきたのが馬鹿みたいだ。


「じゃ、本題に入ろうか」

 

 身構える。おそらく続くのは、今回私たちが集まった目的についてだからだ。


「二人とも。僕たちはこれから二日後に集団自殺する。これでいいね?」


 頷く。そう私たちはこれから二日後にみんなで死ぬのだ。私たちは理不尽に押しつぶされ、心をすり減らし、人生を閉じようと決意するほどまでに追い詰められた。けど死ぬには並々ならぬ覚悟がいる。いくら人生でどこにも光が見当たらないからって、死の真っ暗闇に単身突っ込むのは怖い。だから恐怖を紛らわすためにみんなで死にむかってゆくというわけである。


「じゃ、みんなで、ゲームでもやろうね」

「はえっ!? 」

 

 潜さんのおかしな発言に驚いて、つい変な声が出てしまった。


「わっ、私たちは一緒に自殺しに来たんじゃないんですか?」

「うん、そうだよ。でもさ、よく知らない相手と死ぬなんて不安じゃない? だから親交を深めておきたくてね」

「そういうものなんですか……」

「そういうものだね、美里さん」


 潜さんのテンションについていけない。一方で遊真さんはゲームと聞いて、輝かせていた。

 

 もっと自殺者同士が集まるってなると、陰鬱な雰囲気が場に漂うんじゃないかなぁと思っていたが、実際はアットホームな感じなのだろうか。


 とりあえず成り行きのままに二人とゲームをする。プレイしたのは、広大なマップを探検する、すごろくみたいなパーティーゲーム。


 時折、潜さんが軽く話題を振ってくれたり、遊真さんがゲームの状況に応じてリアクションを取ったりして進んでゆく。


 場のそぐわなさにおののき、私は終始、その場で思いついた言葉をなんの創意工夫もなく使って話していた。


 そもそもこの人たちは本当に自殺するのかな。腑に落ちない点に囚われ、会話に集中できず話の内容を忘れてしまうこともあった。


 けれども私の感じた雰囲気は表面的なものだった。


 それがわかるのは一ゲームを二周ほど回ってからのこと。


「君たちってどうして死のうと思ったの?」


 空気が凍る。唐突に、潜さんは切り出した。さっきまで性格の悪い笑みを浮かべながら、ふざけていた遊真さんも、ムード―メーカーの役割を担っていた潜さんも今は神妙な表情を作っている。


「俺の場合はさ、昔から失敗ばかりの人生でね。毎日、遊んでいる友達を横目に見ながら、黙々と努力するそんな人生を送ってきたんだ。自分で言うのもなんだけどね。でも全部ダメだった。目標を高く持っても、俺が行けたのはその二つか三つくらい下のレベルだったんだ。いくら頑張っても上手くいかないから、もう別に頑張らなくてもいいかなって思って生涯をここらへんで閉じようかなと思ったんだ」


 潜さんは画面を注視しているから顔が見えないけど、後のほうになるにつれ声のトーンが落ちてゆく。


「でも俺さ、そんな人生だったから友達なんて誰もいなくてね。だから最後に逝くときくらいは誰かに寄り添っていて欲しいんだ」

「ずっと……一人だったんですね」


 私と同じだ。一人ぼっちの人生の中で上手くいくことなんて妄想の世界でしか存在しえない。潜さんが最初から気軽に話しかけてくれたのは同じ寂しさを抱えた人だと私たちの事を認識していたからなのだろうか。


「……私、側にいますから……」


 潜さんの行動への感謝と自分のよそよそしい態度の謝罪や一気に落ち込んだ潜さんへの励まし。したいことが沢山、一度に出てきてテンパって、吐いた言葉は使う場所を誤らねばロマンチックさを感じさせそうなものだった。


「うん、ありがとう」


 出てきた言葉に赤面していると、潜さんはすっかり気軽さを取り戻している。遊真さんも潜さんにぐちゃぐちゃになってしまったけど目的は果たせたようで安堵する。


 場が落ち着くと二人の視線がこちらに向いているのに気づいた。遊真さんはどうやら先に私に語らせてくれるらしい。


 好意に甘えて私は語りだす。


 過去の記憶は命ともどもゴミ箱に放り込んで捨て去ってしまいたいと思うほど荒れている。


 物心つく頃から私には居場所がなかった。学校ではいじめ。家庭では虐待。助けをどこかに求めようとしても両親が連れ戻して、また次の日から最低最悪な日常が始まる。


 だから居場所を空想した。ヒントは小説。物語の中の登場人物に自己を投影してなりきって、自分がその人物であるかのような体験をして、心の安らぎを得る。


 特に想ったのは、美しいつながり。具体的に言えば友情、愛情、親愛といった、自己を互いのために犠牲にすることを厭わない、もしくはつながっている人たちだけが世界の全てだと錯覚させる、そんなつながり。


 でも空想は束の間で、毒の混じった幸福。辛さを妄想で紛らわすことは現実での空しさをより募らせることと結びついていた。


 現実の空虚さと苦痛に耐えられなくなった私は集団自殺の参加者を募集する、SNSでの投稿に真っ先に飛びついた。


 一緒に死んでくれる人は誰もが似た経験を持つはずだ。社会や世界に絶望して、命を絶つことを選択する。分かりあえる、私も美しいつながりの主体者になれる、と期待して、ここに来た。


 過去とあらましを語っているとき、私は口がよどみなく動いていることに気づいた。堰を切った川から水が流れ出してゆくように、溜めてきたものを吐き出してゆく。


 全てを語り終えた時にあったのは解放感だ。私が逃げだしてきた最悪な日常がまるで異世界のように遠のいていく。


 ただ、話しただけで私は救われた。


「ありがとうございます……」


 勝手に口からその言葉が出て、目からは涙が零れた。遊真さんがハンカチを貸してくれて、涙を拭く、収まるまでの間、二人は無言で私の傍に寄り添ってくれていた。


 やがて私が落ち着くと、潜さんは遊真さんに訊く。


「遊真さんはどうして?」

「理解してもらえなかったからかな」


 質問と返答の間には全く間がなかった。その一言は軽快な口調で語られたにも関わらず、重厚な響きを持っていた。理解されなかった、そのことが遊真さんの人生にいかに深い影を落としてきたか、物語るみたく。


 理解してもらえなかったのは私も、たぶん潜さんもそう。わかってもらえないからこそ、苦しくて、寂しくて、きっとここに来ることを選んだ。


 なんだみんな似たもの同士じゃないか。

「じゃあ、理解されない者同士、理解し合いましょう」


 頬が自然と緩み、言葉は滑らかに、私はようやく二人と打ち解けた気がした。と思ったが、なぜか二人とも固まって、数舜の後に苦笑した。


「え、えぇ……」


 今度はうまいことを言ったつもりだったけれど、ナンセンスだったらしい。普通の会話も苦手なのにカッコつけるもんじゃないな。


 自殺の理由を語り交わした後、私はだいぶ二人と打ち解けた。話に気おくれすることなく入れたし、心なしかいつもより自分の表情が動かせた気がする。ちょっと冗談を言ってみたりもした。あんまりウケはよくなかったけど。


 日が落ちるまではそうしてパーティーゲームで遊んで、沈んだら、潜さんに回らないお寿司に連れて行ってもらった。


 脂身のたっぷり乗ったサーモンは味覚を刺激し、食欲をそそらせ。

 トロは口に運ぶだけで舌と頭をとろけさせ、極上の気分へと私を旅させる。


 また食べたいな、なんて死ぬ直前の分際で思ってしまった。


 食事が終わって、入浴した後、潜さんはリビングに布団を敷いて、私たち女子二人は潜さんの部屋を借りてベッドで寝ることになった。


 すっかり気のおけない友人になったと思っているから、私はみんなで川の字になって寝るのも良かったけど、潜さんは、さすがに二十歳にもならない女の子と寝るのはね、と言ってさっさと寝支度を済ませてしまった。


 潜さんは男である。周知の事実のはずなのにあまりにも女子である私たちに滑らかに話すから、自然と性別を意識せず考えてしまっていた。


 目を瞑るけど隣の遊真さんの存在を意識してよく眠れない。いつもは昼間にしこたま殴られたり、蹴られたりして溜まった疲れに身体を委ねていれば、あっという間に朝日を浴びている。ただ今日のは運動ですっきりとした汗を流した時の疲れと似ている。疲れたのに気持ちが良い。こんな疲れを味わったのはいつぶりだっただろうか。いつから私の疲れは不快感の堆積を意味するようになったのだろうか。


 疲労を手放したくなくなって、私は目をぱっちりと開ける。


 本当に死ぬのかな、私。


 そうこう考え事をしていると、突然、後ろからなまあたたかいものが身体に巻きついてきた。

「ひぇ! 」


 夜の冷え込みも相まって、一瞬お化けだと思った。おそるおそる後ろを振り返ってみると、遊真さんが私に抱きついていた。


「な、なに、やってるんですか……遊真さん……」

「えへへ、あったかいねぇ。美里さん」

「ちょ、やめ……」


 いやまんざらでもない。誰かと寝るどころか、ゆったりとした場面で触れ合うなんてことすら私には記憶になかったので、驚いてしまったのだ。


 口を閉じ、遊真さんのされるままにする。服を通して体温が伝わって、熱は私の服へ、皮膚へ、身体の芯へ、ついでに頬までやってくる。お風呂に入っているみたいだった。違うのは安堵感をくれるだけでなく、胸の高鳴りまで持ってきてくれること。


「遊真さん……一つ訊いていいですか」

「ん、どうしたの……」


 照明を消した暗闇の中、遊真さんの唇がかすかに動く。


「今、本当に死にたいですか?」


 私は自分が死にたいのかわからなくなってきた。今日体験したことは私が空想するほどに欲しかった日常だ。和気藹々と友達と遊ぶなんてこといじめをクラス中が黙認する環境で臨めるはずもなかったし、夕食だって両親が外食に連れて行ってくれるはずもなく想像上の食べ物だった。


 この毎日が続くなら、と思うと、ちっぽけだった生の価値が途端に計り知れないものとなる。


「ぼくは、死ぬよ」

「どうしてですか……。遊真さんも今日、楽しかったですよね。私は二人との毎日なら過ごしてみたいなって思いましたよ……」


 自分の声が震えているのに気づく。胸の鼓動も早くなり、返答までの時間が異様に長く感じられる。


「逃げてきたからだよ。辛い日常や現実から。たとえ今だけでも逃げられたとしても、またどこかでぼくたちは苦しい場所に行かなきゃならないかもしれない。ぼくはそんなの嫌だよ。だから死ぬの。辛くなくて幸せなうちに。ぼくが幸福を抱えているうちに」


 そうだった。大嫌いな両親から、クラスメイトから、私は逃げたのだ。二人との時間を楽しむあまりについ失念してしまっていた。いや自然と目を背けていたのだろう。ここに来るまでの私の記憶は死者のもの同然で、私の人生は今日始まったようなものだからだ。


 だが未来には希望も絶望も混在している。たとえ私たち三人が今辛い場所から逃げれたとして未来に期待を抱ける場所に辿り着ける確証がどこにあるかなんてわからない。


 後先なんて考えず自殺しに来たというのに、まだ生きたいなんて不似合いな願望をなぜ抱いてしまったのだろう。


 突然、遠ざかった過去が近づいてくる。過去は私との距離を縮め、広がってゆき、私を包みこんだ。そこで気づいた。私の居場所はなかったのではない。暴力と暴言でひたすら精神を破壊されるあの日常だったのだと。


「ごめんなさい……私、甘い考えでした……」


 罪悪感と不安で心が満ちる。声の震えはおさまる気配がない。


「気にしてないよ。今日はぼくも楽しかってこんな風に初めから生きれたらな、ってつい思っちゃったから」


 私は遊真さんの顔を見ることが出来なかった。遊真さんの笑いに少しでも陰りがあればどうかしてしまいそうだったから。


 死のう。二人とめいっぱいの幸福を死の暗闇を持っていこう。謝罪と後悔の気持ちが引き金となって私はあらためて決意した。


「遊真さん。私と一緒に死んでくれませんか……私皆さんと一緒に死にます……最後まで二人とも一人にさせません」


 遊真さんは返事の代わりに抱擁をくれた。


 遊真は寝静まった美里をカイロ代わりにして暖を取っていた。遊真が求めるものが起こる気配は一向にない。カイロと同様の感覚しか美里の体温は運んでくれなかった。


「まっ、ぼくにわかるわけないか」


 笑みを崩さぬままひとりごち、遊真は目を瞑った。

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