夏川くんという転校生 🐬

上月くるを

夏川くんという転校生 🐬




 先生に連れられて教室に入って来た転入男子をひと目見たとき、ヒカルは思った。



 ――うわわ、バ、バンキョムゾウだ!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ



 母親が好きな朝ドラの録画を夕食時に観ているうちに、時代劇のファンになった。

 斬られ役専門の大部屋俳優が伴虚無蔵で蟷螂かまきりみたいな逆三角形の顔をしている。


 夏川くんはヒカルの期待を裏ぎらず(笑)このうえなく不愛想なあいさつをした。

 2年3組の教室が一瞬ざわめいたが、現代版の伴虚無蔵は歯牙にも欠けなかった。


 この瞬間、ヒカルの内にスターが棲み着いた。

 むろん、そんなことはだれにも言えなかった。


 だって、3組のスターの男子は畠山くん、女子は小早川さんと決まっているから。

 既存のスターダムに横合いから殴りこみをかけるようなことなんかできっこない。


 正副の学級委員をつとめるふたりは成績優秀にして身体能力抜群の優等生である。

 ヒカルもそのことに異存はなかったし、無条件でふたりをリーダーに仰いでいた。


 だが、夏川くんという異質な小石が投げこまれた水面がさざ波を立てたのだろう。

 なんかちがうな……というか、少しだけ物足りない、そんな感じが芽生えたのだ。



      🐲



 夏川くんは、変わっていた。

 満遍なく……ではないのだ。


 国語の解釈は突拍子もないものだったし、音楽もオリジナルな感性を持っていた。

 美術や体育は駄目だったが、英語や数学は教科書を開くとものの数分で理解した。


 生活態度も不規則で、よく遅刻をし、忘れものもし、それでいて全然悪びれない。

 愛嬌や愛想ともいっさい縁がないのに、周囲から憎まれない、得なタイプだった。


 ただ……それまでツートップが当たり前だった正副学級委員はどうだっただろう。

 人情として平らかなはずがないと想像するのは易かったし、実際そうだったろう。


 だが、ヒカルは夏川くんという伴虚無蔵に惹かれていく自分を止められなかった。

 コンパスで描いた正円より、多少いびつな丸のほうが好きかも……という気持ち。



      🎪



 そう、なんていうか、想定内といおうか、やっぱりこうなったかっていうか……。

 教室内の空気密度? それが少しずつ高まっていく感じが肌にぴりぴりして来た。


 そして、ある日、ついに爆発した。

 正副学級委員ご両名の不安or不満。


 「なあ、最近みんなおかしいよ。クラスのまとまりがなくなったっていうかさあ」

 「なんか知らんけど、花がてんでに好き勝手な方向を向いている花瓶みたいだよ」


 そういうかたちで、まず問題提起が行われた。

 先生がいなくなったアフターホームルームで。


 むろん、非難の矛先は夏川くんだったが、頭がいい人は、あからさまに言わない。

 まあ、そうだよね、彼が転入して来る前は、さざ波ひとつ立たなかったんだから。


 クラス運営に関心がない無党派層のヒカルだって、マジで思う。

 えっとぉ、この場合の無党派に大した意味はないけどね。(笑)



      🐊



 で、肝心の夏川くんはというと、自分には関係ないとばかりにしれっとしている。

 その態度がいっそうゴウマンに見えるのだろう、正副学級委員はさらにトンガル。


 なにか仕出かしたわけじゃなく、なんとなく気に入らないのだから始末がわるい。

 それをインペイしたくて、きれいな言葉で飾り立てようとするからさらに厄介だ。


 なにをどうしたいんだかよく分からないまま、時間だけが無駄に通り過ぎてゆく。

 とそのとき、夏川くんがぼそっとつぶやいた「こういうときは腹式呼吸だよな」。


 はあ~っ?!((+_+))

 なにそれ?!( 一一)


 秀才メガネをきらりと光らせ、その奥の目を、三角にとんがらせる正副学級委員。

 アワワワとおののくその他大勢(笑)をよそに、夏川くんは椅子から立ち上がる。


 上履きの爪先と爪先、かかととかかとをぴったり付けて、まっすぐな棒になった。

 静かに目を閉じると、両方の手の平をお腹に当て、ゆっくり鼻から息を吸いこむ。


 ヒカルの斜め前の席なので、天から糸で吊られたような美しいポーズが丸見えだ。

 10秒ほどかけて吸いこんだ空気は洩れなくお腹に入り、風船のように膨らんだ。


 それから吸ったときの倍以上の時間をかけて、口から細くなが~く息を吐き出す。

 夏川くんのお腹は、まるでスプーンでえぐったように薄くぺっちゃんこになった。



 ――うわわ、ますます、バンキョムゾウだ! (@ ̄□ ̄@;)!!



 着流しでカッコよく現われる伴虚無蔵のお腹も、こんなふうにシュッとしていた。

 ヒカルの夏川くん好きは急加速し、自分の目が💚になったことをニンシキする。

 


      👗



 夏川くんのおかあさんがヨガのインストラクターだったことを、はじめて知った。

 物心ついたときはレッスンスタジオにいて、大勢のオバサン生徒に囲まれていた。


 見よう見まねで自然にヨガを学び、現在では相当に高度なポーズも出来るらしい。

 キホンの腹式呼吸も、本気になれば何分でも吸い、吐きつづけていられるらしい。


 犬が背伸びをするようなダウンドッグのポーズや、180度の開脚も無限大で、「うちのかあちゃんなんかさ、開脚したまま本を読んでるぜ」ということだった。


 なるほどねと、現代版の伴虚無蔵のぺたんこお腹を横目に、ヒカルは大いに納得。

 夏川くんの柔軟さ、規律好きな日本人とは異質な感じ、そこから来てるんだ~。


 クラスの大半は、背筋伸ばしや開脚どころか、前屈や後屈もろくにできないはず。

 身体のかたさは頭や心のかたさ、すなわち、融通のきかなさにも直結する、よね。



      🦖



 正副学級委員の目論見は外れ、気づけば2年3組は夏川くんのヨガ教室に早変わりしていたが、おかしなことに秀才ふたりも腹式呼吸で薄く頬を染めている。(≧▽≦)


 脳に酸素を取り入れると記憶力がよくなるという夏川くん説に押しきられたかたちだが、そんなことよりヒカルは、胸のドキドキをみんなに悟られないか心配だった。


「あれ? だけど夏川くん、体育は不得意だったんじゃない?」

「あ、わりい。おれさ、種目によって好ききらいが極端なんだ」


「きらいなのって、もしかして跳び箱とか鉄棒とかじゃない?」

「当ったり~! それからドッジボールも、いじわるでやだな」


 そんな会話を聞きながら、ヒカルは、さっそくYouTubeで正しい腹式呼吸を学び、ダウンドッグや開脚もマスターして、夏川くんに認められたいと真剣に考えていた。



      🍂



 帰り道、「おっす、おまえんち、こっち?」ヒカルはうしろから声をかけられた。

 夏川くんと一対一で話すのは初めてだから、ドキドキして、うまく答えられない。


「あの、な……おれ、いつも応援してるんだぜ、姫宮のこと」ヒカルは耳を疑った。

 これって、告白? まさか、そんなわけないよね~……だけど、すごくうれしい。


 ヒカルは3組でのポジションを自覚していて、はみ出さないよう気をつけている。

 勉強は5~6番をうろうろしているし、得意なピアノも弾けないことにしてある。


 というのも、少し目立つ感じになったとき、学級委員長がやたらに近づいて来て、放課後、副委員長とその取り巻きに呼び出され、怖い思いをしたことがあったから。


 話したこともないのに、夏川くんはそんなことをみんな知っていてくれるらしい。

 じゃあなと追い抜かれる瞬間、背の高い夏川くんは、あったか~い目をしていた。



      🍏



 それからしばらくして、夏川くんは転入してきたときと同じように、とつぜん転校して行った。親の仕事の関係でということだけで、詳しい事情は知らされなかった。


 夏川くんがいなくなった3組は以前の3組にもどった……かというとそれはない。

 相変わらずテストでトップを競う正副学級委員は、心も言葉もシナヤカになった。

 

 以前の3組がコンパスで描いた正円だったとしたら、現在はフリーハンドの楕円。

 正円に収まりきれない生徒も、凸ったり凹んだりしながら生き生き活動している。


 なんていうか、家族に近い感じ? になったみたい……とヒカルは思ったりする。

 勉強や運動を競争し合うばかりではなく、みんなで労わり助け合うファミリーに。


 その種をまいてくれた夏川くんは、どこかの学校で腹式呼吸をしているだろうか。

 ヒカルのような隠れ伴虚無蔵ファンをしびれさせているかと思うと、少し妬ける。

 


      🐙



 たった3か月だけの同級生だったが、ヒカルは夏川くんを決して忘れないだろう。

 中2の晩夏にとつぜんやって来て、たちまち飛び去った風の又三郎のことを……。

 


 






 


 

 

 

 


 







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