寂しい愚痴 5月28日③

「樹くん、寂しくないの?」

 杏梨がそう聞くと、樹は笑いだした。


「ははっ、杏梨さんってやっぱり」


 杏梨は何か自分が変な事をいってしまったかと困惑した。

「えっ?」

「やっぱり思った通り、心がきれいな人っすね」


 樹は可笑しそうに笑いながら話し始めた。

 席に着いたら、子どもみたいに目を輝かせて、窓の外を見つめる女の人がいて、『この人、裏表なさそう』と思って声をかけたのだと。


 途中で突っ込みが入ることが多い自分の恋愛話を、真剣にかつ自分の事のように聞いてくれて、つい嬉しくなって話しすぎたこと。


 彼女と2年会ってないと言うと、『遊ばれてるんじゃない』とか『勿体ないから遊びなよ』とか言う人もいるなかで、彼女の気持ちも、樹の気持ちも疑わずに、『寂しくないか』と聞いてくれたことが嬉しかったこと。


「この話、ネタだと思って信じない人もいるんすよ。俺は真剣に話してるのに」

 と言って樹は笑った。


 ネタだと言われて樹がどんな気持ちになったか想像するだけで、杏梨は悲しくなった。


「杏梨さん、俺の寂しい愚痴聞いてくれますか?」

 樹が杏梨の目を真っ直ぐ見つめて聞いたので、杏梨は「もちろん、私で良ければ聞くよ」と快諾した。


 ◆


 近藤には『寂しい』なんて一言も言わずにいる。この気持ちをただ、聞いてもらいたいだけなのに、皆『寂しいなら別れなよ』、『会いに行きなよ』とばかり言う。


 好きだから寂しいのに、

 好きだからこそ、時間を奪いたくなくて会いに行かないのに、

 好きだからこそ、寂しいなんて本人には言わないのに、

 好きだから付き合っているのに、何故他の人と遊ばなければいけないのか、

 単純で自分にとっては当たり前の気持ちなのに、なんでわかってもらえないのか不思議だった。


『遊ばれてるんじゃないの?』そんなことを言われることもある。大事な彼女のことをそんな風に言われたくはなかった。


 忙しいはずの彼女は樹のメッセージに半日以内には既読をつける。それは時間を見つけて読んでくれているということだ。


 短いけど、たまに送った内容全てをちゃんと読まないと書けない返事をくれる。ただの返事ではない。


 付き合ってすぐの5月、何故か彼女からチョコが届いた。『今年も渡せなかったけど、6年分。バレンタインには遅いけど』とハートの柄のメッセージカードに書いてあった。市販品だったけど、あんなに美味しくて食べるのが勿体ないチョコは初めてだった。それから、毎年2月にチョコが届いた。それにはカードはついていなかったけれど、チョコはハート型のものが入っていた。


 樹が決めた5分の電話の時間。樹がかけたタイマーの音が彼女の耳に届く度に、電話口から悲しそうなため息が聞こえた。


 教えた覚えのない誕生日に、家に小さな小包が届いた。中にはフェイスタオルが入っていて、樹のイニシャルが刺繍してあった。歪んだ文字に誰が刺繍をしたかはすぐわかった。近藤は家庭科は苦手だった。

『バイトできないから、こんなんでごめんね。よかったら使ってください』とメッセージカードが入っていた。タオルはサッカーをする自分がよく使っているメーカーのものだった。


 近藤は『前橋くんに好きな子できたら別れる』とは何度も言うが、自分に好きな人ができたらとか、別れたいなんて1度も言ったことはない。


 好きだと連発する樹に対して、1度も好きだと言ってくれたことはない。ただ、ありがとうと恥ずかしそうに言うときはある。


 手を繋いだ事もない彼女に触れる夢を何度もみた。でもそれを他の子で満たそうとは思わない。そもそも仮にしたとしても満たされない。


 会えないのは寂しいけど、それが辛いんじゃない。時々彼女を応援する気持ちよりも、自分勝手に会いたくなる気持ちが勝ってしまい、どうしようもなくなるときが辛い。


 そんな男は彼女に相応しくない。でも、別れたくない。一番彼女を応援する存在でいたい。


 ◆


「だから俺、寂しいときは旅行に行くことにしたんです」

「そうなの?」


 最後は悲しそうに話していた樹は、明るい口調に戻ってそう言った。


「はい、前に何となくインドに行ったことがあって、彼女に写真を送ったら、『自分じゃ行けないけど、写真と前橋くんのメッセージを見てたら、自分も行った気になって楽しかった』って言ってくれたんです。

 なんか、それ見て俺、嬉しくて。そっから、お金貯めて時間見つけては、ふらふら旅行してます。自己満足ですけど、これが会えない俺にできる愛情表現っす。寂しさも紛れるんで」


「そうなんだ。なんか、樹くんも彼女さんも素敵過ぎてナイスカップル過ぎるよ。私、応援してる」


「あざっす。杏梨さんにそう言ってもらえると何か心強いです。

 まぁ、今は学生なんで大丈夫です。社会に出たらまだこれからもっと辛くなるかなと思うと、今が大事で楽しいです」


「そうなの?」


「そうっすよ」


 年齢や話し方にそぐわず、大人びた目をした樹はその理由を話し始めた。

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