社会に出たら 5月28日④
「学生の頃の恋愛って一番その瞬間の相手だけに恋してないですか?」
樹はそう言って、彼の考えを話し始めた。
◆
学生の本分は勉強し、学び、経験して成長することである。まだ未成熟の俺たちは、衣食住の環境を保証された上で、自らの将来のために学びと経験に時間を費やすことができる。
もちろん、家庭環境や経済的事情により、それが叶わない子もいるだろう。だか、世界的にみて日本という国に生まれてきたことは、比較的幸せな方ではなかろうか。少なくとも、いつ家が爆破されるかなんて、心配している日本の子どもは少ないだろう。
社会に出て、自立して生活するようになると、お金は稼がないといけないし、衣食住の環境は自分で整えなくてはいけない。共に生活する配偶者や恋人にも、彼らの性格とは別に生活能力や経済力を求めることもあるだろう。
また、2人だけが良ければ何をしてもいいという訳ではない。家族になれば、親戚も出来るししがらみも増える。子どもが出来れば、今度は自分が保護者としてその子の衣食住を守りつつ、愛情を注がなくてはいけない。
大人になると考えなければいけないことが増えるのだ。ただ、一緒にいて幸せとか、好きとかだけではご飯は食べられない。
遠距離恋愛でたまに会うのが最高に幸せだった恋人と一緒に暮らし始めたら、今までは見えなかったその人と合わない部分が見えてくるだろう。幸せだった時間は苦痛に変わることもあるかもしれない。
時間だって、相手のために全て使える訳じゃない。相手のために一緒にいたくても、相手と家族のためにその分仕事をして稼がなくてはいけない。
子どもだって、思うようにはいかない。別人格である彼らは、親の所有物ではない。それを尊重しつつ、自立できるまで育てることがどれだけ大変なことか。
そもそも、子どもができるかもわからない。相手が欲しくても、自分は欲しくないかもしれない。
性的なことは日本では、あまり口に出してはいけない風潮があるような気がするが、その一方で少子化が問題になっているのは何故だろう。好きならば相手に触れたいのは当たり前で、セックスは悪いことではない。
性行為は同意の上でのみ行うこと。望んだときに子どもを持てるように適切な知識を提供するのが筋じゃなかろうか。
ただ、机に向かって頑張る相手を見ているのが幸せな時間は、社会に出たらなくなる。
だって見ていてもお金は降ってこないから。
それだけじゃ美味しいご飯は食べられないから。
社会に出た近藤の傍に変わらずいるためには、自分も一層の努力が必要だ。
経済力、生活能力、今だけではなく未来の彼女とその家族も守る力。
『彼女』としては自慢に思えた近藤が
『人生のパートナー』になっても自慢に思えるだろうか、もしくは近藤は俺のことをそう思ってくれるだろうか。
樹には自信がなかった。大学に進学したものの、まだ自分には彼女のようにやりたいことは見つけられていなかった。
◆
「俺、焦ってるんですよね。今更。時間は沢山あったのに、本当に今更」
「そうなんだ」
「近藤みたいに、夢中になって頑張れること、俺も見つけたかったけど中々無くて。
俺が夢中になれたことなんて彼女のこと位で。
でも、そんなこと社会に出たら、何の役にもお金にもならないんだ」
明るく話していた樹が、一転して苦しそうな顔をするのを見て、杏梨は安易に言葉をかけられなかった。
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