恋愛観 5月28日②
名前に名乗った途端、下の名前で呼ばれて、容姿をべた褒めされた杏梨は「ナンパ男が隣か」と残念な旅の幕開けにがっかりした。
持ち物を極力減らした結果、今はほぼ素っぴん状態で、格好はとてもラフなものなのに見た目を褒めて貰えるのは嬉しかったが、6時間も隣から変な目でみられるのはごめんだった。
「ありがとう。本橋さんもかっこいいよ」
杏梨は適当な言葉で本橋樹をいなした。
「あざっす。杏梨さんみたいなきれいな人に褒めてもらえるなんて光栄です。あっ樹でいいですよ」
この大学生は距離の詰め方が早い。女慣れしてるなと杏梨は思った。
「樹くん、かっこいいから彼女さんいるでしょ?」
牽制のつもりでいった一言は、彼の笑顔を引き出した。
「はい、俺の彼女めっちゃ可愛いですよ?みます?勝手に見せてるのバレたらきっと怒るんですけど、もう可愛くて仕方なくて、俺の自慢の彼女です」
杏梨の返事を聞くまえに、樹はスマホを取り出して、待ち受け画面を見せてくれた。
盗撮と思われるその写真には、ショートカットの黒髪で制服姿の黒淵メガネをかけた女の子が机に向かっている姿が映し出されていた。
「ほんとだ。可愛いね。彼女さん、年下なんだね」
本当は机に向かう彼女の顔はよく見えなかったが、嬉しそうに笑う樹の顔から、きっと可愛い子だろうと思った。
「いや、彼女は同い年で大学生ですよー、2年会ってないから、写真も2年前の高校の時のしかないだけっす。送って欲しいって言っても全然送ってもらえなくて。2年分の成長見れなくて俺悲しいんですよー」
「2年?」
杏梨が驚いた顔で聞き返すと、樹は聞いてくれと言わんばかりに彼女との馴れ初めを話し始めた。
◆
樹が彼女に出会ったのは小学生の頃だった。その頃から、彼女は真面目で勉強熱心な子どもだった。いわゆるよく学級委員にされてしまう優等生タイプだったが、進んでしているというよりされているといった方が彼女には合っていた。
勉強はよくできるが、あまり他の子達と遊ばない彼女は、「私達のこと馬鹿にしてる」といわれのない中傷を受けていた。特に被害を被る訳ではなかったが、輪には溶け込めていなかった。
樹はそんな彼女のことをなんとも思っていなかった。明らかにいじめられていたり、悲しそうにしていたら、助けただろうが、彼女は平気そうだった。一人で本を読んでいた。
なんで、あんなに勉強しているんだろう?樹が彼女に対して思ったことはそれくらいだった。
中学1年のときに、彼女、近藤真理と一緒のクラスになった。小学校5年生のとき以来だった。毎度のことながら、彼女は学級委員に選出された。いつもなら嫌そうにしながらも受諾していた彼女は、今回は頑なに断った。その理由は『時間が勿体ない』とのことだった。
一応、クラスの代表の仕事なのに、軽んじたような発言をした彼女は、虐められてはいなかったが、明らかにクラスで孤立した。周りにのせられて、学級委員になった樹は同じ小学校出身ということもあり、きまぐれに彼女に話しかけにいった。
「近藤、何であんなこと言ったんだよ。折角新しいクラスで皆仲良くしようって雰囲気だったのに。また、中学でも1人でいるつもりか?楽しい学校生活送りたくないのかよ」
「学校って勉強する場所でしょ?中学の学級委員は結構時間とられそうだし、勉強にも本腰入れたいから、そうやって言っただけよ」
机に座って本を読んでいた近藤は、顔色も変えずに言った。
「なんでそんなに勉強すんの?勉強したいなら中学受験でもすれば良かったじゃんか」
近藤が受験したとか、塾に行っているという話は聞いたことがなかった。
「私立中学がどれくらいお金かかるかわかってる?私は最低限の費用で最大限の勉強をしたいの。そのためには遊んでる時間なんてない」
近藤はとりつくしまもなかった。彼女がそれほどまでに頑張る理由が樹は知りたくなった。
「なんでそんなに勉強できんの?俺、勉強苦手だから、ずっとそんなに頑張れるなんてすげーよ。才能だよそれ。なに目指してるのか、もしよかったら教えてよ。俺も何か目標を持って近藤みたいに頑張りたい」
樹の言葉に近藤は驚いているようだった。顔をそらして、恥ずかしそうに呟いた。
「私は獣医になりたいの。動物、好きだから」
樹はそういえば近藤が小学校のうさぎ小屋によく足を運んでいたのを思い出した。
「そうなんだ、すげー。いい夢だな」
樹が屈託なく笑うと、近藤は恥ずかしそうにはにかんだ。
その笑顔が可愛くて、もっと見たくて、その日から彼女を目で追うようになった。頑張っている彼女を邪魔したくなくて、あまり話し掛けることはしなかった。
でも、分かりやすく樹が目で追うので、中学3年になる頃には樹は近藤真理が好きということは有名になっていた。
別に特別イケメンでもなかったが、誰にでも分け隔てなく接する樹は人気があって、嫉妬した人が近藤に嫌がらせをしたこともあった。必死に止めたけど、自分のせいで近藤の大事な時間を奪ってしまったことに罪悪感を感じて、樹は彼女と同じ高校に行くのは諦めた。
彼女は県で一番の公立高校に入学した。一緒の高校にいった友達から、彼女の様子は聞いていた。近藤は高校でも勉強を第一に頑張っていて、獣医学部のある国立大学を目指しているということだった。
ずっと会えなかったけれど、樹はずっと彼女のことが好きだった。スマホ画面の彼女の写真は、友達がこっそり撮って樹に送ってくれたものだった。
高校を卒業した樹は大学進学前に友達に誘い出された。待ち合わせ場所に行くと、何故か近藤がいた。
友達からは『そんだけ好きなら告白くらいしろ』とメッセージが来ていた。
近藤が自分を見つけて、「本橋くん」と呼んだ瞬間、色々どうでもよくなって後先考えずに言ってしまった。
「近藤真理さん、ずっと好きです。これからもずっと好きです。俺と付き合ってください!」
彼女は目を見開いてびっくりしていた。そして、前よりもずっと可愛い顔で笑いだした。
「ずっと、会ってなかったのに、いきなり、それ?私、大学受かったから、明日遠くに引っ越すんだけど」
「合格おめでとう。ずっと頑張ってたもんな。やっぱり、近藤はすごい。そんな近藤がずっと好きなんだ」
近藤は真っ赤になった。
「ずっとまた会えないよ?私、勉強頑張りたいから、あんまり連絡しないよ?」
「全然いいよ。頑張ってる近藤が好きだから」
「好き好き言わないでよ。恥ずかしいじゃない、馬鹿」
樹の目を見た彼女の目は何故か潤んでいた。
「他の子好きになったら、教えてくれたらすぐ別れるから」
その言葉が樹の告白への答えだった。
そして、次の日彼女は引っ越して、それ以来樹は彼女と会っていない。
メッセージはたまに返ってくる。電話は3ヶ月に1度位、5分程度。会いに行くと行っても、忙しいから来ないでの一点張り。
挙げ句の果てには、電話する度に「本橋くんに他に好きな子ができたら、別れるから遠慮しないで」という言葉。
それでも、樹は彼女の事が大好きで、自慢の彼女だと笑顔で話す。
「樹くん、寂しくないの?」
杏梨はつい、聞いてしまった。
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