第7話 地獄の鍛錬

 ハナの鍛錬は、本当に凄まじかった。


「まずは刀をしっかり使いこなせるようになること。素振り千回!」

「せっ、千回!?」

「本当は一万回でもいいくらいやよ。始め!」

 ハナは、タエが戦いの基礎を身に着けるまで実践はさせない方針なので、タエは内心ホッとしていた。一日でも早く使い物になるよう鍛錬をがんばっているのだが、ハナの熱が半端ない。毎晩、仕事が終わると鍛錬の時間になる。身体能力が上がっているので、普通ではあり得ない運動量をこなす事は可能なのだが、ハナの指示はそれを遥かに超えていた。鍛錬は、貴船きふね山から鞍馬くらま山にかけて行われている。

「一、二、三……」

「遅い! もっと早く」

「一っ、二っ、三っ!」

「脇が開いてる。型は教えたでしょ。ちゃんと閉める! まずは基礎を体に叩き込んで」


「はいぃっ」



「ふぅ、千回終了」

 額に滲む汗をぬぐう。

「じゃあ次は反射神経を鍛えるよ。皆、出てきて!」

 ざわりと木々が揺れ、複数の視線と気配を感じる。タエが何だと見つめていると、二本の角を持った小鬼、背中に車輪を背負った子供の妖怪など、小さい妖怪が五人出てきた。

「な、なに?」

 まだ妖怪と対峙するには早いと思っていたタエは、目に見えて焦った。晶華しょうかをぎゅっと握る。

「お姉ちゃん、安心して。あの子達は敵じゃない。晶華は使わないから戻してね」

「敵じゃ、ないの?」

 彼らを見れば、確かに嫌な気配はしない。今まで敵と認識した妖怪ばかり見ていたので、害のない妖怪と会うのは、これが初めてだった。

「そっか。悪い妖怪ばかりじゃないんだ」

「そう。罪のない妖怪や魂を守るのも、私達の仕事よ」

 京都を守ると言うけれど、土地は当然のこと、人であり、魂であり、この地に住む純粋無垢な妖怪でもあったのだと、タエは考えを改めた。

「この子達に協力してもらって、鬼ごっこをするよ」

「また鬼ごっこ……」

俊敏しゅんびん性をやしなうには、これが一番なの。この五人には、お姉ちゃんを追ってもらう。お姉ちゃんは彼らに捕まらないよう避けながら、私を捕まえて」

「ハナさんをまだ一度も捕まえられてないのに!?」

 いきなりハードルを上げられた。タエは不安しかない。

「周りに目を張り、どこから狙われても対処できるよう体で覚えて。捕まったらここに戻って来て、最初からね。太陽が出るまでやるから」

「ひぃっ」

「よーい、始め!!」


 ハナが森の中に走って行ったので、それを追う。タエは随分速く走れるようになってきた。普通の人間が出せる以上のスピードは、慣れるまでは怖かったが、少しずつ上達した。

「まてー!」

「わーい」

「いぃ!?」

 タエのすぐ後ろに五人がぴったりついてくる。タエの速さに追いついて来ているのだ。しかも楽しいのか、笑っている。小さく短い手を伸ばし、タエの背中に触れそうになった。咄嗟とっさにタエは身をひるがえし、進行方向を変え、木の間をうようにジグザグに走る。ハナとの距離が広がってしまったが、小さい妖怪達をまくのに必死だった。

(速いっ。追いつかれる!)

 と、思った矢先――。


「ふぎゃっ!!」


 どおーんと派手な音を出したタエ。大きな杉の木に突っ込んでしまったのだ。振動が木の上まで響き、そこで寝ていた鳥たちが驚いてギャアギャア騒ぎ出す。

「あれ、私魂だけやんね。何で木に当たんの!?」

「はい、捕まえた」

 ぽん、とタエの肩に小さな手が乗った。いてて、と強打した顔面をさすりながら、その手の主を見る。背中に車輪があり、右二みぎにうでに金のを着けている子供の妖怪だ。肌が赤い。

「あー、捕まったぁ」

 タエをらえた妖怪の子がくく、と笑った。

「鞍馬山の木は神の力が宿ってる。だから魂も触れられるんだ。にしても、ひでぇ顔」

「打ったんだから、しょうがないでしょ。痛かったぁ。ごめんね鳥さん」

「周りをよく見ろ。なぁ、あんたはもっと早く動けるだろ? 本気出せよ」

「え?」

 タエの事を知ったような口調で話しかけてくる。首を傾げて見つめていると、その妖怪はふわりと少し後ろに下がって浮き、腕組みをして続けた。

「俺が知ってる奴は、もっと速く動いてたし、めちゃくちゃ強かったぞ」

 他の妖怪の子達も集まって来た。

「前の代行者の人の事やんね。私も、もっとがんばるね。強くなれるように、がんばるから」

「ふんっ!」

 車輪の妖怪はそっぽを向いてしまった。ハナもタエの動きが止まった気配を察知し、戻ってくる。


「じゃあ、もう一回最初からやるよ」





「じゃーねー、ハナちゃん、お姉ちゃん」

「また明日ねー」

「うん。付き合ってくれて、ありがとう。またね」

「ありがとう。助かったわ」

 夜明けが近くなり、鬼ごっこも終わりとなった。何度も捕まりやり直し。十回は軽く超えていた。疲れる様子もなく、妖怪達は楽しかったと話しながら別れを告げ、山の中へ帰っていく。タエとハナも手を振りながら見送った。

「かわいい子達やったね」

「でしょ。ちゃんと、守ってあげなきゃ」

 ハナが大きく頷いた。

「うん。また明日、か」

「体の使い方を覚えるまで、毎日やるからね」

「はい……」

 体がギシギシきしむ。全力の鬼ごっこに、タエの疲労もピークに達した。

「子供に追いつかれるようじゃ、敵と戦ったら瞬殺されるな。よく分かったよ」

「理解したならよろしい。もう日も上がるから、体に戻って魂を少しでも休ませてあげて」

 話しながら神社へ向けて歩き出す。

「こんだけ動いて、ちゃんと起きられるかなぁ」

 さすがに心配になってくる。ハナは笑い飛ばしていた。

「今のお姉ちゃんは魂だけでしょ? 生身の体はしっかり寝てるんだから、すっきり起きられるよ。これくらいの運動量なら、すぐに疲労も回復するし」

「強い妖怪と戦ったら、やっぱり回復に時間かかる?」

「まぁね。でも、一晩中全力で戦い続けるとかしなければ、大丈夫よ」

(そんな時が来ないように、祈るわ……)

 タエは苦笑していた。神社の鳥居が見える。戻って来たのだ。


「お疲れさん。ずいぶん騒がしかったな」

 高龗神タカオカミノカミも気付いていたようだ。タエは、あはは、と笑うしかなかった。

「明るくなってきたぞ。体に戻る時間じゃ」

「はい。それでは、また夜に」

「ああ」

「またね、お姉ちゃん」

「うん!」

 タエはハナと高龗神に手を振り、本堂の奥にある鏡の前に立つ。手を伸ばすと吸い込まれて消えた。彼女の家、彼女の部屋に戻ったのだ。

 高龗神がハナを見た。

「どうじゃ?」

「代行者の能力に慣れてきています。でもまだ恐怖心がぬぐいきれないみたいです。私の指導も、これでいいのか、少し不安で……」

 自信がないように眉を寄せるハナを横目に、高龗神は腕組みをする。しかし、悩む様子はない。

「誰しも最初は恐れ、不安がつのるものじゃ。きっかけ一つで化ける事もある。タエは心配いらん。ハナの思う通りやってみろ」

「……」

 ハナは驚いていた。高龗神が勧誘したので、タエが代行者として多少なりとも使えると思っている事は分かる。しかし、今の彼女の眼差しは迷いが一つもない。タエを信頼していると言っても過言ではないだろう。

「まだ実力が伴ってないのに、すごい自信ですね」

「当たり前じゃ。わしが見込んだ者じゃぞ? タエだけではない。ハナ、お前にも全幅の信頼を寄せておる」

「へ……」

 目を丸くするハナに、優しく笑った。そして、そっと頭をなでる。

「そなたがタエを強くする。そして、二人が揃えば最強になれる。間違いなど、あるものか」

「よ、予言ですか? タカ様にそんな力、ありましたっけ?」

 ハナが珍しく照れている。上司によしよしされて褒められる事は、姉に褒められる事とまた違うむずがゆさがあった。

「予言ではないぞ。わしはそれを知っておるだけじゃ」

「知ってる? どういう……」

「そなた達の成した事が、今を作っておる。不安など無用の長物。余計な事は考えるな」

「……はい!」


 うまくはぐらかされたような気がしたが、上司が心配いらないと太鼓判たいこばんを押してくれたので、ハナも元気に返事ができた。


 また明日も、思いっきり鍛錬が出来そうだ。


「どういうトレーニングメニューにしようかな。考えなくちゃ♪」





「うぅ……い、いちまんかいは……」

 花村家にて。寝ているタエは、うなされていた。

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