それから


 成人式の日は、快晴だった。

「…………」

 外はそこそこ寒かった。まあ雪が降っていないだけ良いか。塾で仲の良かった子と写真を撮ったり、昔ながらの友達と社交辞令的な会話をしたりして過ごした。市の中心にあるアリーナで、市長やら元生徒会長やら、偉そうな人間たちが大したことのない話を冗長にする様を見て、学生時代に戻ったような気分になった。大庭を探してみたけれど、姿は見えなかった。当時の担任に話を聞くと、引っ越した先で亡くなったことを知った。死因には口を濁していたが、おそらく自殺だろうと思った。

 まあ、このイベントは私にとっては余談に過ぎない。適当に挨拶を済ませ、当時の担任のグループと共に、私は小学校へと向かった。一月の寒空である。年末年始は大雪だった、その名残がちらほらとあった。

 アリーナから小学校までは、徒歩で五分ほど。その途中で、久しぶりに見る地元の景色を懐かしんだ。

 なんだかんだ言いつつ、私は生きていた。

 高校に入って両親が離婚し、母方に引き取られてから、家にいることが苦痛ではなくなった。大変ではあったけれど、推薦で大学に入って、親元を離れた。母から勧められたことだ。自分の近くにいると娘を駄目にしてしまうのではないかと、ずっと不安だったのだという。その時に、生まれて初めて心の底から話したけれど、それはまた別の話である。

 では何の話か、と言えば、私の心の話である。

 あれからおよそ十年経ったけれど、死にたいという気持ちがなくなることはなかった。

 そんな都合の良い物語はない。誰かの言葉や行動一つで全てが救われるのなら、世の中はもっと平和になるし、ここまで宗教は連立してはいないだろう。辛いときや気圧の低いときに簡単に死にたいと思ったし、逃げたいとも思った、生き続けてきたことを誇りには思わなかったし、なんであの時死ななかったのかと後悔したこともあった。

 でも、生きている。

 何故か?

 いや、なんでだろうね、マジで。

 それは私にも、説明ができない。

 死ぬ機会を逃したとか、死ぬ勇気がなかった、怖気づいたとか、弱気になったとか、好きに解釈していただいて構わない。

 何かの間違いで――生き続けてしまった。

 ただ、タイムカプセルの中身、手紙を書いたあの日にあった出来事が、何か私を変えたのだろう。そう思う、そういう解釈で、きっと良いと思う。何でもいい。

 学校について、校庭の横にあるタイムカプセルを掘り起こした。ほとんどは力の強い男子たちが率先してやっていた。スーツだというのによくやるものである。幸いあまりぬかるんでいなかったので、乾いた土を退けるだけで済んだ。

 我先にと、皆が自分への手紙に食いつく中、私は皆が退くのを待った。そして減った時にそっと近づいて取った。私の手紙には、「死んでいてほしい」と書いている。開けなくとも、そんなことは分かっている――ただ。

 少しだけ、悩んだ。

 時間にして一秒にも満たないだろうが、体感時間は三十分をゆうに超えていた。

 そして――そのまま、もう一つの手紙を手に取った。そこには大庭という名前が書かれている。幸い皆は、自分の手紙に夢中で気付いていなかった。

 盗みを働いた昂揚感はなかった。ただ何となく、そうするべきだと思ったから、手が動いた。

 皆から少し離れた場所で、私は手紙を破かぬよう、丁寧に開いた。

 この手紙を見ることなく死にたい。

 彼の素朴な字で書かれたその文字が、やはり目の前に広がった。あの日、あの時間に、彼に見せてもらったあの文字と、微塵も変わらない。

「……叶えてんじゃん」

 溜息を吐いて、幸せが一つ減ってしまった。いや、何を期待していたのだろう。箱を開くまでは何か分からないなんて――それで彼にまた会えるなんて、思っていたのだろうか。あの風変りな彼の真意を知りたいとか、そう思っていたのだろうか。結局二十歳までずるずる生きてしまった私が、一体何を言える? 何かが変わるなんて、思っていたのだろうか。

 君の言ったように、世の中は醜く、汚く、傷だらけだった。

 何も、変わらなかったよ。

 そう思って、手紙を仕舞おうとして――ふと。

 裏面の文字を、私は見た。

 いや、裏に何か書いてあったことを、私は知らなかったのだ。

 驚きや焦りのような些末な感情は追いつかない。私の脳は――、とてもか細く、ともすれば見逃してしまいそうな、その言葉を認識した。



 生きたかった。



 私がどう思ったかは、ご想像にお任せしよう。

 タイムカプセルを見に行く振りをして、大庭の手紙をその中へと戻した。

 そのまま持ち帰ってしまおうかとも思ったが、やはりこれは、私が持つには――受け止めるには、あまりに重すぎた。

 たった六文字と句点の言葉なのに。

 あの日見た彼の傷痕よりもずっと悲痛で悲惨で、見ていられない。

 叶わなかった、んだな。

 成人式に来なかった面々の分は元担任が保管し、いつでも渡せるようにしておくのだという。

 律儀な先生なので、勝手に覗き見ることはないだろう。

 彼がそれを取りに来ることは二度とないし、彼の心は誰にも届かないけれど――せめて時の止まった箱の中で、静かに生きていてほしいと、私は思った。


(了)

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シュレディンガーのタイムカプセル 小狸 @segen_gen

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