第3話
川に生息する魚のコーナーを抜けると道幅が広がり、イワシの群れや色とりどりの魚が泳ぐ巨大水槽が現れる。
「わぁ……!」
優雅に泳ぐ魚のイキイキとした姿やイワシの群れの迫力に、胸の前で両手を握り感動の声をもらす結二。
そんな結二の邪魔をしないようにスッと横に並ぼうとした翔斗だったが、
「――うぉうぉぁああ!!」
何もない歩きやすい館内で膝カックンをくらったかのように盛大に転んだ。
「ちょっと、大丈夫!?」
「う、うん。平気平気」
ジーンズをパシパシとはたきながら立ち上がる翔斗。沙央の時とシチュエーションは違ったがまたも転んだことに全く成長が感じられず落ち込みそうになる。
しかし、結二はそんな翔斗を見てプッと吹き出した。
「あはは、トイレのあとから全然失敗しないから『なんだ、私必要なかったかも』って思ってたけど、今のでちょっと安心しちゃった」
そう言った結二は「転んだのを笑ったわけじゃないからねっ?」と続けて、もう一度巨大水槽へと目を向ける。
「まだ練習初日だもん。いっぱい緊張していっぱい失敗して良いんだよ。大切なのは今日じゃなくて川中さんとの本番だよ。だから前向きに頑張ろ?」
その間、結二はずっと巨大水槽の中を泳ぐ魚たちを見ていた。それはきっと結二なりの気遣いで、翔斗が気持ちを切り替えられる時間を作ってくれているのだろう。
翔斗も結二の言葉に納得して気持ちを切り替え、巨大水槽を眺める。
館内にはゆったりと落ち着いた空気が戻り、二人は練習デートを再開させた。
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それから二人は水族館内をゆっくりと二時間ほど掛けて回った。
結二の見たがっていたゴマフアザラシやイルカショーはもちろん良かったが、アシカやペンギンのショーも観ることができて翔斗も結二も大満足だった。
沙央と来た時はデート自体が初めてで右も左も分からず緊張しっぱなしという感じだった翔斗だが、デート二回目ということもあり、多少は失敗も少なくなった。相手を楽しませようとしてテンパっていた状態から、ようやく一緒にデートを楽しめるようになってきたのだ。
水族館を出た二人は少し遅めの昼食へ。予定通り沙央と翔斗が前回行った喫茶店へと向かう。
「水族館、楽しかったね。私、ゴマフアザラシのキーホルダー買っちゃった♪」
水族館の出口付近には館内で観られる魚のグッズが売られている売店があった。結二が買ったゴマフアザラシのキーホルダーは、小さいぬいぐるみに鍵をつけるフックがついたものだ。
「モフモフしててかわいい」
そう言いながら結二は買ったばかりのキーホルダーを取り出してむにむにと弄って遊んでいる。
翔斗はそれを微笑ましく見ながら車道側を歩き、三分ほどで喫茶店へ着いた。
観葉植物やガラス細工の置物などが飾られていて清潔感のある印象を受ける。翔斗が沙央とデートをする時にネットで調べたお店だ。
「今日はここで最後だよね。食後の紅茶でも飲みながら反省会しよっか」
「そうだね」
ごはんを食べたあと、二人分の紅茶を注文してから結二がそう切り出す。
少しして紅茶が届き、結二はそれを一口啜ってから今日の練習デートを思い出すようにして話し出した。
「開始直後のトイレダッシュ以外は全体的によかったと思う。水族館は楽しかったし、喫茶店のチョイスも良かったよ! 川中さんとのデートの時よりはだいぶそれっぽくなったんじゃないかと思うけど、どうかな?」
「俺もそう思う。最初はいつもと違う結二に緊張したけど、水族館に向かってる時に話してたらいつの間にかそれもなくなってた。館内で転んだ時は結二の邪魔をしないように隣に並ぼうとしたんだけど、デート中はどのくらい間隔開けて並べば良いのかとか、いろいろ考えてテンパっちゃって」
その時の情景を思い出し、苦笑いを浮かべる翔斗。
その後も反省会は続き、最後は「ゴマフアザラシって結構泳ぐの速いんだね!」や「ナマコ……見た目はアレだけど、プニプニしてて面白い感触だったな」など、水族館で見た生き物たちの感想を言い合って今日の練習デートは解散になった。
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週末、母親と映画を観に行き、その流れでお洒落な喫茶店へ入った沙央。
つい最近も訪れたこのカフェの雰囲気を沙央は気に入っていた。
ごはんを食べ終わり、トイレに行くため席を外した母親を待っていると、少し離れたテーブル席の会話が聞こえてきた。
やや距離があるため会話は飛び飛びでしか聞き取れなかったが、その端々から推察するに、今日は二人で水族館へデートに行ったらしい。しかし、デートと言っても本当のデートではなく、男の子は好きな人に告白するために女の子に協力してもらい、デートの練習をして自分を磨いているようだ。その方法はどうなのかとも思うが、好きな人に振り向いてもらえるように努力すること自体は良いなと感じる沙央。
「でも、この声……」
沙央はその声に聞き覚えがあった。しかし、聞き慣れた声というわけではなく、何回か聞いたことがあるというだけで顔や名前は思い出せない。
「気のせいかしら……」
確かに最近どこかで聞いたような声だったが、似た声というだけかもしれないと思い、深くは考えなかった。
「お待たせ。お母さんお会計してくるね」
「分かった。外で待ってるね」
母親が戻ってきて沙央は先に外に出て待つことにする。お昼時をすぎたと言ってもこのお店はなかなかの人気ぶり。少しでも早めに出た方が良いと思ったのだ。
そして出口へと向かう途中、聞き覚えのある声の主は会話に夢中で気付かなかったようだが、沙央はそこにいた人物を切れ長な目の端に捉えてしまった。
どうして彼が……⁉ 沙央はその衝撃に思わず立ち止まりそうになるが、ここで声の主に見られてしまってはいけないような気がして、速足気味に外へと出る。
カフェのテーブル席にいたのは、つい一週間ほど前、一緒に水族館と、このカフェへ来た立山翔斗だった。
翔斗に気づかれていないことを確認してから、やや乱れた呼吸を整える。
落ち着いてきたその瞬間、沙央は少しずつ理解する。今回のデートの練習が沙央とのデートの復習だったこと。デートの練習は一度振られた沙央にもう一度告白するためのものだったこと。沙央に振り向いてもらえるように翔斗が努力していること。
それらすべてを悟った沙央は、今度は別の意味で落ち着かなくなった。
彼女の心には一つの感情が芽生え始めていた。
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