第2話

 デートの練習が決定したその日の週末、翔斗は件の水族館の最寄り駅前で結二と待ち合わせをしていた。

 早速、今日から『練習デート』が始まるのだ。

 週末を迎える前に学校やチャットアプリで結二と話し合い、まずは沙央とのデートでも行った水族館で復習も兼ねてデートをすることに決まった。『練習デート』という名称もこの時に結二が決めたものだ。

 また、翔斗と結二の自宅の最寄り駅は同じなのだが「今回は復習も兼ねたデートなんだし、どうせなら待ち合わせ場所も川中さんの時と同じにしようよ♪」という結二の提案から、待ち合わせ場所は水族館の最寄り駅前になった。

「果たして、練習デートに意味はあるのだろうか……」

 駅前で結二を待つ翔斗の顔は不安に満ちていた。しかし、そう思ってしまうのも無理のないことだった。

 昨日までは翔斗も、結二との練習デートは最高の案だと思っていた。

 しかし今日、駅前へ向かう途中に思考をめぐらせていると、ある結論へとたどり着いてしまった。

「ん? これただのお出掛けだな!?」

 翔斗と結二は親友だ。二人で何度も出掛けたことがある。

 結二と出掛けることに緊張などしないのだ。

 であれば、今回は練習デートなどと変わった名称がついてはいるものの、普段通り結二と出掛けるだけで、いつまで経ってもデートに慣れることはできないのではないか……。

 それが翔斗のたどり着いてしまった結論だった。

 つまり『練習デートという名目の親友とのお出掛け』になってしまうことを心配していたのだが――

「翔斗、お待たせっ」

「おう、俺も今来たところ――」

 その瞬間、つい先ほどまでの心配事は杞憂だったと翔斗は思い知らされた。

 普段はポニーテールでまとめられたセミロングの明るい茶髪。それが結二のトレードマークのようなものであり、明るい性格と相まって元気っ子な印象を与えていた。しかし今日はそれが下ろされていて、いつもより大人っぽい印象を受ける。

 また、白のVネックのトップスにネイビーのミモレ丈のトレンチスカートという服装は清楚感を演出していて、言うなれば『年上のお姉さん』という印象。

「ちょ、翔斗……あんまりじっくり見られると恥ずかしいんだけど……」

 普段と違う雰囲気の結二を見て思わず見惚れる翔斗。

「ごめん、いつもと全然印象が違くて戸惑っちゃって……」

「あはは、そうだよね。どう? 似合ってる?」

 そう言ってからくるっと回って全体を見せる結二。

 艶やかな髪とトレンチスカートの裾がふわりと舞う。

「……似合ってる……と思う……」

「……あんまり似合ってない?」

 普段の翔斗なら躊躇うことなく『めちゃくちゃ似合ってる、超良い、最高』と言えるが、今の結二を見ると真っ直ぐな感想を言うことに恥ずかしさを感じてしまう。

 しかし、そのせいで結二を不安にさせるわけにはいかない。

「いや、似合ってる、すごく!」

「そう? じゃあ良かった」

 言い直した翔斗の言葉に納得した結二はニコッと笑い、「翔斗もカッコイイね」と言葉を続けた。

 ジーンズに白のTシャツ、黒の七分丈のテーラードジャケットを羽織った翔斗は、結二の予期せぬカウンターに驚きを隠せない。

 普段はお互い適当な服装でとくに感想を言い合ったりはしない。

 約束の場所に二人が着いたら「じゃあ行くか」という流れが二人の常である。

 しかし、今日は練習デートであるため翔斗は服の感想を聞かれるだろうとは思っていた。

 だが、服装は男が褒めるだけのものだとばかり思っていたため、結二から感想を言われるとは思っていなかった。そしてまさか結二から「カッコイイね」と言われるとは全く想像していなかったのだ。

 今日の結二はデートモード、ようやく翔斗がそう認識した瞬間、途端に緊張感が押し寄せてきた。

「それじゃあ行こっか」

 そんな結二の言葉を合図に練習デートが開始した……ように思われたが、その直後に翔斗はまたも口にしてしまうのだった。

「……ごめん、トイレぇぇえええ!!!」


 □□□□□□□□□□


 翔斗がトイレから戻ると練習デートが幕を開けた。

「翔斗、緊張してる?」

 沙央とのデートと同じように水族館へと向かう道すがら、結二がニコニコしながら翔斗に話題を振る。

「お察しの通り」

「なら良かった。ほら、私とだとデートみたいな雰囲気にならないかもって心配だったから」

 結二も翔斗と同じでただのお出掛けになってしまうことを気にしていたようだ。

「それにしても普段と変わりすぎだって」

「そうかな? ポニテにしたらあんまり変わんないよ?」

 そう言いながらセットされた髪を普段のポニテの位置へと持ち上げる結二。

「どう?」

「いや、やっぱりなんか雰囲気からして違うっていうか……」

 確かに髪型が戻るだけでいつもの結二に近づいたのは分かる。しかし、それでも普段より数段落ち着いた印象が残る。

 髪型と服装以外の明確な違いはよく分からなかった翔斗だが、きっと他にも普段とは違う点があるのだろうなと思う。

 しかしその反面、話していると「やっぱり結二だな」と少し安心する部分もあった。

 そんな会話をしているうちに水族館へと到着。二人分のチケットを買って館内に入る。

「はい、これお金」

 そう言ってチケット料金の千五百円を翔斗に渡そうとする結二。二人で出掛ける時のいつもの流れだ。

「今日はいいよ。結二には俺の練習に付き合ってもらってるわけだし」

「いや、でも……」

「そのぶんアドバイスをお願いします」

「……うん、分かった。と言っても、私も恋愛経験ないから、あくまで個人の感想だからね?」

「それで十分だよ」

 翔斗にとってここは譲れないところだった。自分の悩みを一緒に解決しようと付き合ってくれている結二にお金をださせるわけにはいかないのだ。

「それじゃあ早速だけど、館内マップ見よっか」

 そう言って入口付近のマップに近づく結二。

「館内マップなんて見る必要あるの?」

「いつもなら見ないかもだけど、慣れてない人とデートするってなったら、私なら見るかな」

 そう言って、うん、うん、と頷く結二。

「えっと、どうして?」

「川中さんと来た時は館内マップは見た?」

「見てない」

「やっぱり。川中さんとの会話に困ったのは館内マップを見なかったのが理由の一つかもしれないね」

 そこまで言ってから視線で「なんでか分かる?」と問いかけてくる結二。

「館内マップを見れば回り方を話し合えるから、とか?」

「ん~、五点」

「何点満点?」

「百点満点」

「低すぎない!?」

「回り方を話し合うだけじゃ、五分も経たないうちに終わっちゃうよ。館内マップってもっと情報量あるじゃん、この魚が見たい〜とか、こんな展示があるんだね~とか」

 ようするに、館内マップから好きな魚の話や水族館のコーナーの話などに話題を広げていくことができるということだろう。

「なるほど、確かに」

「でしょ? あ、アザラシ館は絶対見たい!」

 結二はつい先ほどまでの話を実践するかのように、キラキラと目を輝かせながら館内マップを見ている。

 アザラシ館というのはゴマフアザラシの展示スペースの名称である。時間帯によってはアザラシショーなども観られるようだ。

「定番のイルカショーも外せないよね~。……げっ、ナマコの触れ合いはちょっと……」

 まだ来たばかりだが、館内マップを見ただけでこれほど魚の好みが分かるとは。あとは翔斗が会話に困った時に、結二が今挙げた好きな魚の話題を振ればいいだけ。「この魚のどんなところが好き?」というような軽い質問でも良いのだ。

 それから二人はようやく館内を回り始めた。

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