第142話 ふたりきり
宿に戻ったのはいいが、だいぶ時間が掛かってしまった。みんな口には出さないが、トイレで長い大のほうをしていたと思っているんだろうな。……少しだけ恥ずかしい。
バーベキューが終わるとみんなで花火をした。こんなに大勢で花火をするなんて初めてかもしれない。ビーチバレーの賞品もあったから少し高めの花火セットを買ったのだが、最近の花火はいろいろとすごいんだな。
煙が出ない花火や、小さいナイアガラ花火、長くて長時間できる花火、果物の香りがする花火などなど、面白い花火がいっぱいあった。
大勢で花火をするんならこういう面白い花火もいいな。もちろん昔ながらの花火も楽しいものである。最後は伝統の線香花火で俺達の花火大会は終わった。派手派手しい花火もいいが、小さいながらも美しい火花を散らしてから消えていく線香花火もこれまた美しかった。
「いやあ〜海も花火も最高だったな!」
「うん! いい夏の思い出ができたよ!」
そうだな、俺も今まで生きてきた中で一番楽しい夏の思い出だった。
「ふふ、私も楽しかったなあ。でも失敗したわね、アイス買ってくるのを忘れちゃったみたいだわ」
そう、バーベキューの食材や花火を買った時にアイスを買うのを忘れてしまったのだ。あの時はアイスくらい別にいいかとも思っていたが、確かに今は俺もアイスが食べたくなってきた。
「おお、アイスとかいいっすね!」
「そうね、なんだか私もアイスが食べたくなっちゃった。確か5分くらい歩いた場所にコンビニがあったよね。ちょっと人数分買ってくるわね」
「それなら俺も行くよ」
川端さんが立候補するが、もう辺りは真っ暗だ。ただでさえこの辺りはヤンキーが多いみたいだし、女の子ひとりで夜道を歩かすわけにはいかない。
「それじゃあ俺も兄貴と……」
「アイスを買いに行くのに3人もいらなそうだな。アイスは川端さんと立原に任せて、俺達は先にバーベキューと花火の片付けをしてようぜ」
「了解っす……」
「適当に人数分買ってきてくれればいいからね」
なにやら安倍と渡辺が気を遣ってくれたみたいだ。……あれ、何気なくコンビニに行くのに立候補したけど、川端さんと2人きりか。少しドキドキしてきたな。
「ありがとうございました〜」
コンビニでの買い物が無事に終わった。さすがにもう今日は変なやつらに絡まれるということはなかったようだ。
川端さんとは特に当たり障りのない話しかしていないが、女の子と2人きりで話すのはやっぱり緊張する。
「……そういえば今のクラスになってすぐの時にも、2人で一緒に教科書を運んだのを覚えてる?」
「……ああ、そういえばそんなこともあったね」
記憶を探ってそんなこともあったな、みたいな感じで話しているのは嘘である。その時のことは今でもはっきりと覚えている。
他の人にとってはよくあるような学校の場面であっても、俺にとっては学校の女子との貴重なシーンだったから、忘れろと言われても忘れるほうが難しい。でも川端さんがその時のことを覚えているというのは驚きだ。それだけでも嬉しくなってしまう。
「確か担任がたまたまそこにいた俺達に教科書を運ぶのを手伝ってくれって、いきなり声をかけてきたんだよね」
あのクソ担任が俺にしてくれた唯一のいい出来事だ。普通なら教科書を運ぶ作業なんて面倒なだけだが、川端さんみたいな可愛い女の子と一緒の作業なら喜んで引き受ける作業である。
そして、あのころの太っていた俺にも初対面の川端さんは嫌な顔ひとつせずに一緒に作業をしてくれたから、その出来事についてはよく覚えている。
あのころの太っていた俺に大抵の女子は目も合わそうとしてくれなかったからな。ひどい女子だと俺の目の前なのにため息をついたり、俺が触れたところを露骨に避けてくる。太っている人はそのあたりの視線について普通の人よりも敏感だから嫌でも気がついてしまう。
「ええ、そういえばあの時から今と変わらず立原くんは優しかったね。重くないかとか、もう少し持とうかとかすごく私に気を使ってくれていたのを覚えているわ」
「いや、そんなのは男として当然だよ」
「ふふ。それに深元くんがいじめられていた時も、みんなが言えない中で声をあげられたのはとても優しくて勇気があることだよ。……ずっと尊敬していたよ。私も立原くんみたいに優しくて勇気のある人になりたいって思っていたわ」
「………………」
大魔導士の力を継承して、スキルの力で一気に痩せてから、カッコいいや強いと褒めてくれる人は大勢いた。でも川端さんはそれより前の俺のことを、優しく勇気があると認めてくれている。
「実はね、私……」
ドクン、ドクン
尋常ではないスピードで俺の鼓動が飛び跳ねる。以前にも似たようなことがあったけど、さすがに今回は間違いないはずだ!
「えっとね……」
ドクドクドク
ヤバい、これ以上は俺の心臓が持たない……
パアアアアアン!
「きゃ!?」
「うわっ!?」
別に道路側に寄っていたわけでもないのに、一台の車が大きなクラクションを鳴らして通り過ぎていった。派手な車だったから地元のヤンキー達が、男女2人で歩いていた俺達に冷やかしでクラクションを鳴らしたのかもしれない。
「「………………」」
車が通り過ぎて静寂が訪れる。
「え、ええっと、も、もう宿だね! それじゃあアイスが溶けちゃうから急いで戻りましょう!」
「う、うん。そうだね……」
……どうやらさっきの話の続きをする気はないらしい。さすがに俺からも聞き返せる雰囲気ではなかった。そのまま大人しく宿に戻ってアイスをみんなで楽しんだ。
やっぱりこの街は嫌いだよ、チクショウ!
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