第1話: だって、伊都は真面目な学生なので
――タイミングが、良かった。
何故なら、タマ子より依頼された『歩道橋』がある場所は、電車やバスやタクシーを駆使しても2時間以上は掛かる場所だったからだ。
つまり、往復で4時間以上だ。朝に出発したとしても、到着には昼ごろになってしまう時間を移動だけに使ってしまうわけだ。
学生の身分である伊都たちは、平日は学校に通っている。当然ながら、そこまで遠出するとしたら土日しか使えない。
仕事として契約を結んでいるならともかく、困っているとはいえ部活動の為に何日も学校を休むなんて馬鹿げた事をするわけもない。
当然ながら、仮に今が夏休みではなかったら、伊都は断っていた。たとえ、舞香からお願いされたとしても、だ。
加えて、学生である伊都……は別として、舞香の方だって、本来は外泊など早々出来るはずがない。舞香自身の振る舞いは気安くとも、生粋の御嬢様なのだ。
実際、伊都が同伴するという話が出なければ、舞香は参加不可になっていたのだから、如何にタイミングがシビアであったかが伺い知れるだろう。
……さて、と。
あの後に教えてもらったのだが、タマ子は、どうやら民宿を経営しているらしい。とはいっても、今は裏方みたいなもので、現在は娘夫婦が中心になって宿を回しているのだとか。
――で、調査の間、そこをホテル代わりに使ってほしい(当たり前だが、無料で)……とのこと。
理由としては、調査の度に片道2時間も掛けて移動してくるのは大変だし、交通費だって掛かる。かといって、一番近い有名所のホテルでは、この時期になるともう空いている部屋が無い。
結果、それなら安く済むし移動の手間が減るうちで寝泊まりしたら……という流れとなった。
ちゃっかりしているというか、店を経営していただけあってシビアというか……幸いにも、『民宿に泊まるのって初めて!』舞香の方が嬉しそうだったので、特に揉める事もなく話は進んだ。
……そんなこんなで、話を詰めてから二日後。
季節外れの寒波も過ぎ去り、再び夏の熱波が顔を覗かせ始めたその日……伊都と舞香は、タマ子さんが暮らす『おざぶ町』へと到着した。
『おざぶ町』は、はっきり言えば長閑な田舎であった。伊都が住まう場所よりも、いくらか田舎である。
それほど広くはない駅より改札を出た伊都たちの前に広がる、人の行き交いが少ない道路。バスやタクシーが入れるよう広い作りになっているのだろう。
曰く、『おざぶ町』は田舎ではあるが、観光客は年間を通してそれなりに居るらしい。
希少な品種の植物や昆虫などが生息している事から、学者が年間を通してやってくる。他にも、駅より離れているが、冬になるとスキー客でそれなりに人が集まるらしい。
また、夏は夏で、ここでは鮎が一部では有名らしく、この鮎を食べるためだけに遠方から来る者もいるのだとか。
……そんな中。
徐々に熱気を増し始めているのを尻目に、駅前にてタクシーを待っている伊都と舞香は、ちょっとばかし周囲の注目を集めていた。
そうなるのも、致し方ない。何せ、2人ともが中々お目に掛かれない容姿をしていたからだ。
まず、目立つのは舞香だ。キャリーバッグに軽く体重を預けている様は、何と言っても、見た目が良い。
さすがは、本人にその気が欠片も無いのに男女を引き寄せ、愛好会を壊滅させてしまった女だ。
ラインに沿ってピッタリしたサイズのシャツに、ロングスカート。ブランド物のそれは彼女に良く似合っており、スタイルの良さも相まって、男女問わず視線を集めていた。
そして、舞香ほどではないが……伊都もまた、中々に注目を集めていた。
こちらは、舞香とは違い注目を集める理由は美しさではない。いや、まあ、負けず劣らずの美貌なのだが、それよりも目立つのは……恰好である。
率直に言えば、風呂敷を担いだ着物姿だ。まるで、時代劇から抜け出て来たような格好で……加えて、その両足にはまっているのは……一本歯。
そう、天狗や修験者などでおなじみの、歯が一本だけの下駄である。俗に、一本下駄とも呼ばれているやつだ。
何故かは分からないが、素人目にも着慣れているのが一目で分かるぐらいに、似合っている。そう、不思議なぐらいに、違和感がなかった。
加えて、伊都は背が低い。平均身長よりも、けっこう下だ。女性にしては背の高いモデル体型の舞香が隣に立っているせいで、余計にそう見える。
黒髪のおかっぱ頭と、今では中々見掛けなくなった着物姿。落ち着いた雰囲気も相まって、まるで等身大の市松人形のようにも見える。
どちらも意図したわけではなかったが、互いの比較対象が居るおかげで、大人と子供と思ってしまうぐらいには異なる印象を周囲に与えていた。
「……暑いねえ、伊都ちゃん」
乗り場にて併設された日除けにて作られた日陰にて、ぱたぱたと舞香は力無くハンカチで汗を拭っている。
「そうですね、舞香さん。ちゃんと、お茶を飲んで熱中症に気を付けてくださいね」
対して、伊都の方は平気な顔をしていた。
よくよく見ればうっすらと汗を掻いてはいるが、目と鼻の先まで顔を近づけてようやく分かるぐらいにしか汗を掻いていない。
明らかに伊都の方が暑苦しい恰好だというのに、この違いはいったい……疑問に思った舞香は、小首を傾げた。
「伊都ちゃんは平気なの?」
「何がですか?」
「暑くないのかなって」
「暑いですよ。ただ、修行を重ねた事で、耐えられるようになっただけです」
「……修行って、何をしたの?」
「まずは、近場の山を登り、山頂にて座禅を組み、瞑想を2時間ほど。その後、滝を1時間浴びた後、炎の中で精神統一です」
「伊都ちゃん、本当にストイック過ぎるよ……」
苦笑する舞香に対して、伊都は「すとい……?」小首を傾げた。
英語の勉強は他の学生と同じく行っているが、いまいち成績に直結していない伊都には、少しばかり難しかったようだ。
……そうして、タクシーが来るまで10分程。
伊都と舞香の二人は、日陰の下で……雑談をして、時間を潰したのであった。
……ちょっと視線を上げれば、立ち並ぶ山々が見える。
タクシーより降りた伊都は、彼方にて広がっている緑色の山頂に視線が止まる。
都会の者たちが思い浮かべる田舎よりは都会ではあるが、都会に比べたら明らかに田舎としか言い様が無い……そんな風景が広がっている。
良い所、なのだろう。少なくとも、空気が澄んでいて、ここには自然の気配が残っているのを伊都は感じ取っていた。
時刻は、お昼前。
隣に立つ舞香が、「ちょっとお腹が空いたね」と囁くように零していた……まあ、確かにちょっと小腹は空いている。
タクシーの人にチャチャッと料金の支払い云々を済ませている舞香を尻目に、伊都は……眼前にて佇む、小さな民宿へと視線を戻した。
――民宿『
それは、タマ子が数年前に無くなった夫と共に切り盛りしていた、今で言う観光客向けの個人経営ホテルであった。
まあ、ホテルとは言ってもその外観は昔ながらの……はっきり言えば、年期の入った家族経営の個人宿といったところだ。
だからこそ良いという者と、古くて汚らしいと思う者と、あるいは、雨風防げれば何の問題もないと思う者で別れそうだが……この場合は、だ。
「思っていたよりもずっと綺麗ですね。必要とあらば野宿する事も考えておりましたが、これなら心地良く安眠出来そうです」
「……伊都ちゃん、どういう場所を想像していたの?」
「女2人ですからね、用心に越したことはございません」
「伊都ちゃん……私の事を気遣ってくれるのは嬉しいけれど、そこまで気を張らなくても大丈夫だよ、ここは日本だからね」
皆まで言う必要はないが、伊都と舞香との間には、盛大に認識のズレが生じていた。
まあ、そうなるのも致し方ない部分はある。
何せ、現代に転生して十数年が経過しているとはいえ、その期間の大半は転生前と同じく修行漬けの日々。
今でこそある程度自分がズレていると自覚出来るようにはなったが、その自覚が薄かった幼少期は本当に酷かった。
言い方は悪いが、お前そのまま阿闍梨(あじゃり)にでもなるのかと言わんばかりの、常軌を逸した修行の数々を日常的に行っていたのだ。
しかも、伊都は一切弱音を吐かない。いや、それどころか、だ。
誰かに言われたわけでもなく、誰かに強制されたわけでもなく、自ら進んでそれらを行うわけである。実に誇らしげに、実に満足気に。
そりゃあ、ズレを自覚出来るわけがない。他の子供たちと同じく学校に通ってこそいたが、そんな子供と話が合う子供なんぞ、いるわけがない。
故に、伊都は時々ふとした拍子に、転生前の基準で考える癖というか、無意識にそうしてしまうわけであった。
……ちなみに、その時の伊都の基準は、現在より最低でも300年以上前……農民or山賊が日本の至る所に出没していた時期だと考えれば、まあ……伊都の発言も納得が……うん。
「とりあえず、暑いから中に入ってエアコンの風に当たりたい……」
「舞香さん、修行が足りませんよ」
「私はか弱い女の子だもん。伊都ちゃんみたいに可愛くて強くて可愛い女の子じゃないもーん……」
――わざわざ可愛いを2回言うとは……疲れているのでしょうね。
そんな事を思いつつ、2人は民宿『菊花』の出入り口へ。『準備中』と書かれた札を他所に、「――ごめんください」伊都はさっさと中へと入った。
中は……強いて言葉を選ぶなら、昔ながらの民宿といった感じだろうか。
広い玄関と受付が正面にあり、一階は浴室や広間といった感じだ。カーペットではない、剥き出しの板の間、設置された2台の自販機が、ちぐはぐな現代感が出ている。
パッと見た限り、客が寝泊まりするのは2階より上のようだ。
全体的にちゃんと掃除は成されているが、時の流れを感じさせる。リフォームされているかどうかは別として、なるほど、好みが別れそうな雰囲気をしていた。
「――すみません、まだ準備中でして……何か御用でしょうか?」
すると、店の奥より姿を見せたのは、タマ子……ではなく、その面影を何処となく感じさせる、50代ぐらいの男であった。
中々に、人が出来た人物のようだ。
何故なら、明らかに学生……それも未成年であるのが一目で分かる風貌の伊都と舞香を見ても、子供だからと雑にあしらったりはしない。
あくまでも対等に、1人の人間として。
準備中の札に気付かず入って来た客として、対応しているのが分かる。そして、それは感情という面から見ても、本心からの行動であるのが伊都には分かった。
白い割烹着を着ている辺り、この宿の料理人(従業員である事は確実)だと思われる……が、すぐに伊都はその正体に勘付いた。
(血は繋がってはおりませんが……強い縁を感じます。おそらく、入り婿か……良くしてくれたのでしょうね)
しばし、見つめていると、「あの……」割烹着のその男は困ったように首を傾げた。
「あの、町田タマ子さんはいらっしゃいますか? タマ子さんの依頼で来たのですが……」
それを見て、舞香がフォローした。
「え、君たちが……」
途端、男の反応が明らかに変わった。いちおう、話がちゃんと通っているのが、この反応によって一発で分かった。
しかし、相手が年若い女だとまでは聞いていなかったのだろう。
あるいは、問答が起こる可能性を嫌って、タマ子があえて話さなかったか……それとも、単純に忘れていたからか。
まあ、何であれ今更の話であり、一見するばかりでは困惑しているだけ……のように見えるのだが。
(……あ~、この感じは、アレですね。初対面の時の舞香さんと同じですね)
感情を読み取れる伊都の前では、筒抜けであった。
おそらくの話だが、過去にタマ子は『歩道橋』関係で色々とトラブルを引き起こしたのだろう。
致命的にまでは行かなかったのだろうが、苦々しい経験となっているのは、噴き出した感情より読み取れる。
幸いにも、舞香の時ほどに強烈ではない。まあ、あれは必死に隠そうとしていた部分へ不用意に触れてしまった伊都にも非がある。
今回は相手が女学生である事から、タマ子があの手この手で連れて来てしまった、ある種の被害者では……とでも思っているのだろう。
そして……同時に、男より読み取れるのは、僅かな期待と憐れみ。
タマ子の心残りが解決する事を期待していると同時に、今回も徒労に終わるのだろうという諦観……なるほど、中々に根が深いというか、複雑というか。
「あなた、どうしたの?」
「いや、それが……」
そうこうしている内に、奥から妻と思わしき女性が出てきた。妻と伊都が判断した理由は、2人の間に繋がっている『縁』からである。
(……ふむ、タマ子さんと血が繋がっているのは女性の方ですか。男性の方は、入り婿ですかね)
黙って成り行きを見守っていると、どうやら相談は終わったようだ。
男女共に困惑してはいたが、「遠方より来てくださって、ありがとうございます」とりあえずはタマ子の意思を尊重するようで、2人は深々と伊都たちに頭を下げた。
ついでに、2人から自己紹介された。
伊都が感情より推測した通り、2人は夫婦であった。
流れから、タマ子は女の方の母親に当たるようで、明言はしていなかったが、男の方は入り婿のようだ。
……やれやれ、最低限は受け入れられたようだ。
伊都としては、とんぼ返りする結果になろうとも、それはそれで仕方ないという考えではある。
けれども、徒労に終わらなければ、その方が良いとも思って……あっ。
「……あの、タマ子さんはどうされましたか? 事前の話では、出迎えると聞いていたのですが……」
ふと、思い出した事を尋ねた。隣で、「そういえば、そうだった」と同じく思い出している舞香の姿があった。
そう、事前の話では、タマ子が直接出迎える手筈になっていた。
これは、年齢的にも駅にまで迎えに行くのは重労働だろうという気遣いで……というか、どちらかと言えば伊都がそう強く主張したからである。
だって、とてもではないがタマ子は遠出出来るような状態ではないからだ。むしろ、よくもまあ無茶をしたものだなというのが伊都の意見である。
それに、気持ちの問題を除けば、タマ子はただ家から駅を往復するだけ。舞香の方からも、そんな非効率な事はしなくていいという意見が出た事で、そのような運びとなった。
「それは……すみません。実は昨日より具合を悪くしたみたいで、上の部屋で休んでいるのです」
「え、大丈夫なのですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。歳の関係からか、季節の変わり目に一日二日ぐらい体調を崩すだけで、何時ものことですから」
すると、思いもよらぬ言葉が2人よりなされた。
曰く、何時もなら別宅(この場合、自宅)で回復するまで休んでいるが、今日に限ってココ(玄関前)で人を待つといって聞かなかったらしい。
さすがに、普段ならともかく具合を悪くしている時にそんな事はさせたくない。
一階は諸々の搬入やら何やらで騒がしくて休めないので、二階の空いている部屋にて無理やり休ませている……と、教えてくれた。
なので、仮に何かをするにしても、今日の所は本人を連れ出すような事はしないように……と、2人よりお願いされた。
この発言……やはり、過去にも似たような事があったのだろう。
それでも、老いらくの事だからと静観しているのか……少なくとも、2人とはいえ滞在する間は無料で宿泊させるのを了承する
あたり、良い関係を築けているのは間違いない。
そう判断した伊都は、同じく似たような結論を思い浮かべている舞香と一緒に、二階に居るタマ子の下へと――
「あ、ごめんなさい、先に宿泊名簿に記入と、緊急連絡先も出来たらここへ……」
「あ、はい」
――向かおうとしたのだが、軽く出足を挫かれてしまった。
その際、スマホの操作方法を全く理解していない伊都と、代わりに操作して番号を記入する舞香の姿に、夫婦は困惑して首を傾げる一幕があったが……まあ、お約束である。
……。
……。
…………で、だ。
当たり前と言えば当たり前な話だが、言われた通り、タマ子は突き当りの部屋にて横になっていた。
その部屋は、言うなれば1人部屋というやつなのだろう。六畳一間の畳部屋で、小さなテーブルとテレビに冷蔵庫といった、とりあえず必要な物が用意されている程度の内装であった。
その部屋の中央に敷かれた布団にて、タマ子は横になっていた。しかし、居るのはタマ子だけではない。
おそらく、うっかり伝え忘れていたのだろう。
室内には、舞香と同年……いや、顔立ちや雰囲気から見て、20代と思われる三つ編みの女性が居た。
(……タマ子さんの姉のキョウコさんが、いない?)
だが……入室してすぐに、伊都は違和感を覚えた。
それは、守護霊なのか憑依霊なのかよく分からない状態になっている、姉のキョウコの霊がこの場にいないということ。
通常、守護霊にしろ憑依霊にしろ、対象となった者の傍を離れない。当然の話だが、離れていると何かあった時に反応出来ないからだ。
成り立ての守護霊や憑依霊ならともかく、だ。
相応の『力』はなくとも、長い時を霊体として過ごしていたのであれば、それぐらいは嫌でも理解しているはずだが……では、何処へ?
(……駄目ですね、気配は感じ取れるのですが……何処にいるかまでは分かりません)
しばし探ってみたが、元々気配が希薄というか、『力』が足りていないのに現世に留まり続けている影響からか、伊都を持ってしても、その位置を探り当てるのは至難の業であった。
『……どうしたの?』
伊都の様子から何かを察した舞香が、声を潜ませて尋ねる。特に隠す必要もないが、伊都は舞香に倣って声を潜ませた。
『タマ子さんのお姉さんが見当たりません』
『お姉さん、たしかタマ子さんのお姉さんの、キョウコさん?』
『はい』
『そういうのって、よく起こる事なの?』
『霊自身が、よほど離れたがっている場合などは……しかし、前に見た時は、そんな気配は全く無かったのですが……』
コソコソ、と。
眼前の女性に聞こえないように、声を潜めて説明する。
そんな二人の様子(傍から見れば、コソコソと密談をしているように見える)を見て、困惑していると思ったのか……三つ編みの女性が話し掛けてきた。
「……もしかして、貴方がお婆ちゃんの言っていた人たち?」
さすがに、話し掛けられたら無視するわけにもいかない。パッと距離を取った伊都と舞香は、素直に首を縦に振る。
すると、女性はやっぱりと言わんばかりに頷き……次いで、寝入っているタマ子を見やり、静かに首を横に振った。
「ごめんなさい、昨日はうまく眠れなかったみたいで、さっき眠ったところなの。出来るなら、用事は起きてからでいいかな?」
「構いませんよ。そこまで急ぐ事ではありませんし、無理をさせるわけにはいきません」
「ありがとう、そう言って貰えると、こっちとしても助かる……あ、私は
「そうですか、私は古都葉伊都です」
「崎守舞香です。心霊対策相談部の、主にマネージメントをしています。実務は、こっちの伊都ちゃんが全部やります」
これまた簡潔な伊都の言葉を付け足すように、舞香がフォローに回る。もしかしなくとも、伊都は少しコミュ障の気があるのかもしれない。
「ああ……そっち系の人なんだ」
今の一瞬の対応に、軽く目を瞬かせた女……涼風は、苦笑した。「……そっち系?」首を傾げる伊都を他所に、ここで話すのも……という流れで、一同は部屋の外に出た。
「いちおう、お婆ちゃんから自分が寝入っている時に来たら渡してくれって……コレを」
そうしてすぐ、涼風より差し出されたのは、折り畳まれた2枚の紙と、相当に年期を感じさせる『色あせた帽子』であった。
いや、色あせた、なんてものではない。元はおそらく明るい色だったのだろうが、積み重なった月日の影響だろう。
今ではくすみのある灰色となっており、おそらくはリボンが括りつけられていた場所には、辛うじて名残が見られるぐらいであった。
……とりあえず、帽子は置いといて、紙を広げてみる。
一枚は、この地域一帯の……2年ほど前に作られ、配布された地図。その中の一点、赤ペンで丸く囲われた場所が有った。
そして、もう一枚は……こちらは、古い地図だ。
紙質そのものが黄ばんでいて、一部の文字が読めなくなっている。これも、新しい方の地図と同じく、赤い丸が記されている。
ただ、古過ぎて、現在の地図と合わせて見ると違う所が多過ぎる。特に目に留まるのは、町中を通っている河川だろうか。
おそらく、地図が作られた後で、開発などで埋め立てられたのだろう。もともと、そこまで大きい河川ではなかったようだ。
「これは?」
「私も詳しくは知らないけれど、『歩道橋』が有った当時の地図と、現在の地図だってさ」
尋ねてみれば、そう返された。改めて見返してみれば……うむ、地図を見比べてみれば、なるほど、似ている点が幾つか見つかる。
……事前に当人が話していたとおり、タマ子は自分なりに、色々と自力で調べていたようだ。
何の変哲もない地図だが、伊都には良く分かる。これは、タマ子にとって……心の奥底に留まり続けていた苦悩の結晶なのだと。
古ぼけている上に年月を経て変色した地図にも、真新しくも折れ目が付いていて皺になっている地図にも、想いが込められているのを伊都は感じ取った。
……しかし、だ。
(こっちは……姉のキョウコさんの、ですか)
気になるのは、古びてボロボロになっている帽子の方だ。
こちらも、二枚の地図と同様に『想い』を感じ取れる。
しかし、どういうわけか……それ以外の気配というか、残り香のような『想い』も感じ取れる。
――物には、想いや記憶が宿るとされている。
それは記憶を呼び起こす材料、あるいは連想させるモノとして間接的にそのように表現する事はあるが……伊都の感覚では、もっと直接的に宿るモノだと考えている。
と、いうか、実際に宿る。少なくとも、伊都は宿った物を何度か目にした事があるし、実際に触れた事もあった。
しかし、それは写真や動画のようなモノではないし、値段の問題でもないし、そもそも、そう簡単に根付くものではない。
多くの人々の想いが、あるいは、1人であっても、強くその者の心に残っている思い出が有れば。
時には、『想い』として記憶されることがある……ひっそりとした奇跡である。
そして、伊都は……その奇跡が、形を成す前の段階である程度把握する事が出来る。もちろん、よほど想いの込められたモノでない限りは、伊都でも無理なのだが……故に、だ。
(……この気配は、あまりよろしくない。いったいどうして……他の誰かの手に渡った? わざわざ、この帽子を?)
どうして、古ぼけてボロボロのこの帽子に、そんな想いがこびり付いているのか……それが、伊都には分からなかった。
「……う~ん、昔の事は知らないけれど、この帽子が誰かの手に渡ったって話は聞いたことがないなあ」
気になって涼風に尋ねてみれば、曖昧な返答をされた。
まあ、無理もない事だ。
帽子そのものはボロボロだし、涼風曰く『普段から大事にしていて、滅多なことでは箱から出さなかったし、それで遊ぶ事だけは強く禁止されていた』とのこと。
つまりは、この帽子が積み重ねてきた歴史は、所持しているタマ子以外には分からないわけだ。
ならば、タマ子に聞けば良いわけだが……眠りが深いのか、いっこうに起きる気配が見られない。寝返り一つせず、仰向けのまま目を瞑っている。
……無理が祟ったのだろう。
ココから伊都たちが通う学校まで、片道2時間以上。土地勘の無い場所を独りで向かうともなれば、不安や緊張や疲労が、相当なモノになるのは想像するまでもない。
元々、無理が効かない身体なのだ。しばらく休まなくては、継は寝込むだけでは済まないだろう……そう判断した伊都は、ひとまずタマ子からの事情聴取は止めることにする。
そうして……ひとまず帽子の事を隅に追いやった伊都は、改めて地図を見比べる。
脱線していた話を整理するために、最初に戻そう。
まず、これからの事だ。
一般人がやるような正攻法では、タマ子が言う『歩道橋』とやらは見付ける事が出来なかったということ。
そう、だから、伊都を……いや、『心霊対策相談部』とかいうモノに縋ったのかもしれない。
だって、単純に調べるだけなら、この地に長く暮らしているタマ子の方がはるかに詳しいに決まっている。実際に、この町の移り変わりすら体験しているのだから。
加えて、地元に友人もいるだろう。情報網一つとっても、圧倒的にタマ子の方が広く深いはずだ。
そして、地域の図書館や役所にも、当然ながら話を聞きに行っているだろう。そうなれば、何年掛かったって、無駄に同じことを調べるだけだ。
と、なれば……タマ子が求めているのは、普通の調査ではない。タマ子ではどう足掻いても出来ない、伊都にしか出来ない方法で調べてほしい……というわけだ。
「……私にはよく分からないけれど、それだけで手掛かりになるの?」
「さあ、現時点では何とも。とりあえず、この赤印に記された場所を見てからになりますね」
「ふ~ん……お婆ちゃんの事だから、私も出来る事なら協力するよ。それで、そこに行くなら案内するけど、どうする?」
言われて、伊都は……隣の舞香を見上げ、次いで、首を傾げると。
「夕方からにしましょう。舞香さんが暑さにまいってしまいますので」
とりあえず、舞香の体力が持たない可能性を考慮し、夕方まで休憩する事にした。
そう、現在の季節は夏。
既に季節外れの冷夏は過ぎ去り、例年通りの猛暑、茹だるような熱気が『おざぶ町』を呑み込んでいたのであった。
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