第32話 「あんなに苦しそうなのよ! 速く取り出してあげてよ!!」
サイスは小さくなっていくアーシェの背中を、見えなくなるまで黙って見送っていた。
「黙示録の力。イデア……それは君の“代行者”としての意志なのかい?」
呟き、身を翻すサイス。
その先には、頬笑み一つない真顔のイデアが立っていた。
「もうすでに“母”の定めた期日は過ぎ、四冊全ての黙示録は誰かの手に渡っていなければならないはずなのに……私は“姉”として情けないわサイス」
「僕は君を姉と思ったことはない」
そうね、と笑みをもらすイデア。
「私たちは“母の代行者”……繋がりはそれで十分ね」
「なぜ…なんで君はアーシェちゃんを選んだんだ? 他にも適性者は居たはずなのに」
「彼女でなければならなかった……それが母の定めた“道”。それが世界の運命…わかっているはずよ」
「君は……そうやって母の望む“旧人類の駆逐”という道をただ従順に辿って本望なのかい?」
サイスの台詞にイデアの笑みは消え、代わりに怒りの表情が浮かび上がる。
「それが私とアナタ、“代行者”の存在意義でしょう……アナタの忌々しい眼、まるで勇者気取り」
「僕は勇者を望んでいるわけじゃない……ただ、君がすぐにでも母の意志を遂行しようというのなら、僕は剣を取らざるおえない」
「私と闘うと? 愚の骨頂……同じ代行者とて、私とアナタとでは絶対値が段違いよ」
ふっ、と赤く染まるイデアの瞳。
それに合わせ、サイスの瞳も赤く染まる。
「僕が息絶えても、君を道連れにできればそれで良い」
「死の美学? 愚かしい……よもや私の力、忘れたわけじゃないわよね?」
「あぁ、けど僕は臆しない……けれどイデア、君はそれが本望なのかい? 君がアーシェちゃんをからかっているとき、楽しそうに見えた……本当に母の定めた道が君の望みなのかい?」
「アーシェの事は好きよ…人類のなかでは誰よりも――そう、妹みたいにね。でも、私は代行者……私情に流されずただ従順に母の意志を実行せし滅亡の使者」
イデアは召喚せし白の鎌をサイスへと振り下ろし、サイスはそれを白き槍にて受けとめた。
「母に継ぐ力、あらがうだけの力を持てるはずなのに……僕には君の真意が分からない」
「私もよ」
「ならば、なんで君は闘う…」
加速する閃光、双方押しつ押されずの攻防。
サイスが問うても問うてもイデアの意志は揺るがず、手数は増えるばかり。
「殺すことで解決するのか? 繰り返すだけだ、何度も何度も……イデア、君も母の間違ってる。殺戮の先の平和なんてそんな論理は間違ってる!」
「人に未来は無いのよ。無駄に知識を与えられたばかりに傲慢になり、己を頂点と錯覚して……教会がいい例じゃない。人だけが自然とは、この世界とは共存できないのよ」
「だからと言って目を完全に伏せて何も見ないのか! 人だってそれが全てじゃないのに」
「なッ!?」
イデアの頬を霞めるサイスの白槍。
イデアの頬から赤き液体がつたう。
「少しは成長できたみたいね」
イデアが指で傷口を撫でると、それは何事もなかったかのように瞬く間に塞がった。
「イデア、僕は守りたい…信じたい…救いたい…諦めたくないんだ。母が作り出してくれたこの大地全ての生命を……」
「母は既にその生命に絶望してしまったのよ――母だけじゃない、他の神々すらね」
ふと消えたイデアの鎌。
それと入れ代わりにイデアの魔力が跳ね上がる。
振動する空気……崩れる周囲。
「我と対峙せし愚者の能のすべてを流しだせ……完全消術式“オーラム・アツィルト”」
「やっぱりやる気なんだね、イデア……我が想いと力を具として表せ…無限具象術式“オーラム・イェツィーラ”」
互いに最大の魔力を発し、その姿を変貌させ二人の姿はふと空中へ浮かびあがる。
「母の願いを妨げるのなら、私は躊躇い無く誰であろうと全てを殺す……それが弟のアナタでもね」
はためく漆黒の双翼…洗礼されたその風貌に生えるそれは、まるで彼女、イデアを堕天使と錯覚させられる。
「生きようとする生命を奪うのなら、僕は容赦しない……イデア、やはり君と僕とでは相違点が多すぎるみたいだ」
相対しはためくサイスの六枚の白羽……その姿はまさに天使。
二人はしばし対峙し、互いを見つめ……武器を召喚した。
ℱ
――同時刻
「ッ! なに、この魔力……普通の魔圧じゃ無い?!」
社にて傍らに一冊の本を抱え、アーシェは集落より発せられる恐るべき魔圧を体に受け金縛りのように全身が硬直する。
「まさか教会が集落の場所を……もしこれがベルナールかエフェソだったら……クッ」
言い様の無い不安に駆られ、アーシェは本をその場に捨て全力で来た道を疾走していく。
――でもなんで? 集落にはサイスとメソテスの結界が……まさか、どっちかが!?
「なんなのよッ!」
一歩ごとに這い寄る不安……再び居場所を、家族を奪われてしまうかもしれないという不安。
そして、愛するべき者を――。
「もっと速く――何でもっと速く走れないのよ!!!」
焦りが体の感覚を麻痺させる。全力で駆け抜けているのに、まるで進んでいないかのような感覚。
「速く速く速く速く――もっと速く!」
見える森の出口……しかし、アーシェはその手前で止まった――いや、止まらざるおえなかった。
「クレア?」
見てしまったその光景……焼け落ちる集落と、大量の死体の中央でおびただしい返り血を浴びたクレアの姿。
「アーシェ……助けて…なんか変なの…気が付いたら集落の人アタシが……」
涙を流し、かたかたと小刻みに震えるクレア。
その瞳は恐怖に染まりクレアはただ血に染まった己の手を見つめる。
「なにがあったの!?」
クレアへと駆け寄り彼女の肩を揺さ振るアーシェ。
「お姉ちゃんが……アタシに何か…何かを入れたの…そしたら、急に意識が無くなって」
「テレサがクレアに何かを、入れた?」
「うぅ、あぁぁぁぁぁっ!」
「クレア!?」
頭を押さえ、身を捩り、急に悶え苦しみだすクレア。全身から汗が噴き出し、彼女は地面へと倒れこみそれでもなお苦しみ続ける。
「順調のようですね」
「テレサ……」
不意に出現したテレサの姿。そして彼女は苦しむクレアを、感情の無い瞳で見下ろした。
「何をしたのよ……クレアに何をしたの!?」
テレサの胸ぐらをつかむアーシェ。
しかしテレサは怯むこと無く答える。
「魔を植え込んだのです…吸血鬼を。クレアは優しすぎた――だから彼女にも魔を植え込まなければならなかったのです」
「魔を…植え込んだ?」
視線をクレアへと移すアーシェ。そこには未だ苦しそうに悶えるクレアの姿。
「くっ……とってよ――クレアから魔を取り出してよ!」
「無理です」
「あんなに苦しそうなのよ! 速く取り出してあげてよ!!」
「一度根付いた魔は二度と離れない……それに、苦しいのは今だけです」
テレサのその台詞を聞くと、アーシェは胸ぐらを離し後ろへと下がった。
「……最低よ。自分の妹なのに…私は――私はアナタを許さない!!」
身構えるアーシェ。
両腕に纏われた炎…限界を超え上昇する魔力。
それは新しい家族と信じた者との、決別の瞬間だった。
「テレサ、なんでこんな事を!」
「七つの教会を滅ぼし、滅びゆく我ら術師に希望の燈に火を灯すためです」
「その為になぜ集落の人間を殺す必要があったというのよ!!」
「儀式ですよ…あの人に力を、負念を吸収させより高みへと昇らせるための」
テレサが視線を向けた先は漆黒の翼のイデア。
「わかりますか? アレはイデアです…そして、もう一人はサイス」
「え?」
空中で人外の者同士で繰り広げられている凄まじい術式の攻防…よもやそれが自分の知る人物などと、アーシェは目と耳を疑った。
「黙示録の力、強き負念をその身に取り込めば、その力は神の領域まで踏み入れるでしょう。そうなったイデアの力があれば、エフェソといえどベルナールと言えど赤子同然……」
「何を考えてるのよ……集落の人を犠牲にしてまで、そんなの絶対におかしいよ! テレサ、目を覚ましてよ……」
「違いますアーシェ。これが目が覚めた結果なのですよ……なにを犠牲にしてでも、私たちは闘い勝つしかない。教会に――いえ、人類そのものに」
「……何言ってるのテレサ……それじゃまるで…」
――まるで戦争でもするみたいな…。
「その通りです…こちらへ来るのですアーシェ――アナタも私達と共に、教会を、古き人類をこの世界から排除しましょう」
「私、達?」
「えぇ、アナタとサイスを除くこの集落の術師全てが、今では私達の同士なのですよ」
――嘘だ。
「メソテスは……メソテスもアナタ達の仲間になったっていうの!?」
「えぇ、そのようですよ」
「……そんな」
メソテスが、サイスを裏切った? メソテスだってサイスと同じように共存を望んで……嘘…だったの?
――嘘だったのメソテス?
「テレサ!」
転移術式により、テレサの後方へと姿を表したカルロ。
術式により乱れた髪をそのままに、カルロはテレサに耳打ちをする。
(メソテスが集落へ戻ってくる。我らだけでは足止めができない)
(まさか全員で? でも、まだアーシェが――)
舌打ちをしてアーシェへと目を移すカルロ。
(あきらめろ……いまイデアを失うわけにはいかない。その為にも、我らが全力でメソテスを止めねば)
(仕方ない、ですね)
テレサが頷くと、カルロは地面で呻くクレアを担ぎ再び転移術式でその身を移動させた。
「私達と来る気は、無いのですか?」
「行かない。サイスは平和を望んで…それでアナタ達の考えが間違ってると思ったから今イデアと闘ってる……だから」
アーシェは纏っていた炎をテレサへと浴びせかける。
「私もサイスと一緒に闘う」
幾千度にも達する超高温の炎をわずか片手で振り払うテレサ。
「残念ですね」
そう言うと、テレサの全身にヒビが入る。
「次に会うときは…どちらかが死ぬときです」
「テレサ!」
パンッ、と軽快な音を立て消え去るテレサの姿。
始めからテレサにはアーシェと闘う気などなかった。願わくば仲間にと思っていたのだろう……もしくは、覚悟が出来ていなかったのか。
いずれにせよ、テレサがその場から完全に身を消したことは確かだった。
「サイス!」
上空を見上げるアーシェ、そこには未だ争い続ける二人の姿があった。
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