第21話 「アンタも死ぬのよ! 離しなさいよォッ!」

「遅いな、エリス」


「そうね」



 アレから一時間も経つ。俺が探しにいこうとすると、アーシェはなぜか力ずくで止めに――。



「ねぇ、零司」


「ん?」



 おもむろに話し掛けてきたアーシェの瞳はあの時と、共同墓地でみせた瞳と同じだった。



「零司はさ、鬼とか悪魔とか……なれると思う?」


「なんだそりゃ?」



 ――鬼とか悪魔?



「何かを守るために、何かを冷静に、何も感じずに捨てることってできる?」


「……なんだよ突然」



 アーシェの真剣な目に、零司は耐えきれなくなり瞳をそらす。



「無理……だよねぇ」



 呟くと、アーシェは再びテレビのブラウン管へと視線を戻した。


 それを見た俺は、



 ……知ったのかもしれない。


 ……感じたのかもしれない。



 来るべき時のことを。



 でも俺は、気がつかないふりをして窓の外を見た。


 それは、あってはならない事だから。




 ℱ




「なにをする気なのか知らないけど、その子一人で私を足止めできる?」


「馬鹿にしないで……ください、全力でいきます」



 再び輝きだす右手の紋様。光が全身を包み込み、美紗の身体より発せられるその光のみで夜の暗闇を照す。



「いきます」



 どちらの反応が早かったか、美紗は瞬間よりも短い間にクレアとの間合いを積めナイフを突き出した。


 驚く間も無く防御態勢をとらされ爪で美紗のナイフを受け流すが、反撃しようと振り向いたときにはもう美紗の姿はない。



「教会が新たに開発した移植型術式“光印白十字”――試作型とはいえ、私の全能力は三十%増加している……と理解してください」


「――ッ」



 美紗の声が聞こえた次の瞬間、背中を押されたようにクレアの上半身が軽く前のめる。


 背中に感じた鈍い感触。それは美紗のナイフが背中へと突き立てられたそれだった。



「早いじゃない」



 しかしクレアに苦悶の表情はなく、また先程のような笑みもない。



「――でもアンタ、調子に乗りすぎかもね」


「――なッ!!!」



 放たれた凶悪な殺気に悪寒が走り、美紗はクレアとの間合いをとる、が。



「全力なのかしらん?」



 美紗の視界に、クレアは存在しない。



「あなたは、本当に化け物ですか」


「鈍くて、非力で、脆くて――」



 超人の域に至った動態視力ですら捉えられることが困難な美紗の動きを、さらに上回る速さで後ろをとり落胆したかのような声をもらすクレア。



「伏せろネモス!」



 クレアが美紗の背中へと手刀を突き立てようと手を振り上げた瞬間、エリスが叫び倭刀をクレアへと一直線に突き出す。



「ただのママゴト程度の能力で魔術師を狩る――」



 が、本気になったクレアに一切の攻撃は届かない。圧倒的な速度差、失われる死角。


 エリスの倭刀はわずかクレアの人差し指と薬指で難なく受けとめられた。



「アナタ達教会の力で相手のできるのは精々C級までよ」



 クレアはあいていた左手でエリスの首を掴み、その力を徐々に増しながら身体を持ち上げていく。



「エリス!」



 美紗の閃光のような動きも、本気を出した今のクレアには通用せず、軽く足げにされ美紗は身体を強く地面に叩きつけられる結果と終った。



「こんなに弱いのに、一体どこに勝機があるのかしら?」


「アステロ…ペテス……」



 エリスのかつての名を呼び、美紗の意識は暗い闇の中へと沈んでいった。



「私とオネェチャンの力があれば、この世界をぶっ壊して新しい、魔術師達による迫害の無い世界を作れる」


「……フフ」



 苦悶の表情だったエリスの口元が小さく笑む。



「何笑ってんのよ」


「……面白い…可笑しいな……貴女の支離滅裂さ」



 首を掴むクレアの腕を、エリスが倭刀を手放し、両手で強く握る。



「“魔術師の支配する”“迫害の無い世界”? ……そんな事はありえない…世界を壊し……新たな統治制度を望み…共存も考えない貴女達ほど人間に憎しみを持つ者に……屍の上に平和を望む貴女達に……平和など…作れない」


「ほざかないで、教会だって同じじゃない。私たちを狩る教会にだって平和を作ることなんてできない!」


「……そう…平和を紡ぐのは……霧谷零司のような、アーシェのような……自分と違う者を受け入れられる……一人一人の“人間”!」


「なッ!」



 一気に流れ込みだすエリスの残存魔力。クレアが彼女のやろうとしている事に気が付いたときにはもう時は遅く、閉じられた貝の口のようにエリスの手は振りほどけない。



「第三種……千具と呼ばれる物の魔力を応用した洗礼武器と、貴女達魔術師の魔力は異質」


「は、離して!」


「異質な魔力が交わることにより起こるのは…死に至る拒絶反応」



 死に物狂いでエリスを突き放そうと暴れるクレア。


 術式をメチャクチャに放ち、その数発がエリスの身体にたたき込まれるが、彼女は口を堅く結び離そうとしない。



「アンタも死ぬのよ! 離しなさいよォッ!」


「――死、か。……私の姿がこの世から消えても、零司やアーシェ、ネモスの誰かの記憶の中に残れば死とは思わない」


「あ、ぁあぁぁぁぁッ!」



 体内の痛みに表情を歪め、悲痛な叫び声をあげるクレア。


 エリスは笑った。


 安らかに。


 最後に――本当に、誰かの命を救うことに、誰かの生活を守ることに貢献することができた彼女は初めて――初めて、宿された忌まわしき自分の力に感謝した。



 ――さようなら、霧谷零司。




 ℱ




 やさしい風。景色の良い丘のうえ、彼女は仰向けに横たわっていた。



「う……」



 美紗が目覚めたのは、全てが終ってしばらくしてからだった。


 ぼやける視界に映る、白銀の長髪。


 見覚えのあるその人物は、美紗の目覚めに気が付き振り向いた。



「ご苦労だった、エウア=ネモス」


「……ラオディキア…様」



 美紗はラオディキアの後ろへと視線を移す。


 小さな、即席の石積みの山。美紗はそれがなんなのか、容易に理解することができた。


 土に汚れたラオディキアの両手、どこを見てもない彼女の姿。



「立派だったな。教会を抜けてなお、残された脆弱な力で“あの”姉妹魔術師の片割れを道連れにするとは……その忠誠心には頭が下がる」



 ――ちがう。



「しかし、哀れなものだ……一人淋しく逝ってしまうとは。サルディスが兄であることも知らぬまま、逝ってしまうとは」



 ――ちがう。



「アステロペテスの死は、報告したほうが――」


「違います」



 回復しつつある体力を振り絞りながら、美紗は声を発した。



「“エリス”は孤独じゃなかった。家族が……少しの間だけだけど家族が…いました。彼女は教会の為じゃない――霧谷零司の為に、その命を使った……」


「……霧谷零司、か」



 誰かの為に、その考えがラオディキアに通じたのかどうか……少なくとも彼は、美紗を咎めることはなかった。



「今回の貴様の行動は教会の意志に反し、それは今回で複数回目だ」


「……理解しています」



 教会の意志に反する……それは“反逆”“死罪”に繋がる……しかし、



「が、私がコイツを弔ってしまったことや、この場に居ることもまた意志に反することでな……佐野美紗、口をつぐめ――堅く、堅くな。私は何も見ていない……貴様もだ」


「……え?」



 信じられない一言…もっとも残虐だと思っていたラオディキアの意外な一言に、美紗は目を丸くした。



「引き続き、霧谷零司の監視を続けろ……私は、一度戻るとするか…」



 身を翻し、歩き始めるラオディキア。


 二三歩進と彼は、何かを思い出したかのように立ち止まる。



「奴が、逝く前に私へと遺言を残した……愛用していた倭刀、霧谷零司に渡してほしいそうだ」



 言い終わると、今度は本当に、ラオディキアはその身を闇へと消した。



「……ぅう…」



 辛かった。初めて人を殺したあの日よりも……。


 もう彼女をその目で見ることはできない。


 もう彼女の声を聞くことができない。


 失うことは、なんと辛いのか……。


 今まで自分はなんて事をしてきてしまったのか……奪われて初めて、美紗は“殺す”という自分の愚行を悔いた。



「うぅぅ…」



 泣くことしか出来ない。刀を抱き締め、声を押し殺し……。


 一晩、美紗はその場で嘆き続けた。




 ℱ




「……馬鹿な」



 教会のとある一室で、ラオディキアより報せを受けたサルディスは絶望に力を奪われ椅子へと座り込んだ。



 ――アステロペテスが、妹が……死んだ。



 あの日――妹を戦いから遠ざけられると、やっと人間らしく人生を歩ませることが出来ると……喜んだのに。


 その矢先……しかも、まさか妹自身が自らの意志で戦い死んだ……。



「……ならば、洗礼武器を破壊した私の行いは、間違いだったというのか」



 サルディスが後悔に両手で顔を覆い隠し頭を垂らす。



「悔いても過去は戻らん」


「……ラオディキア」



 ぼやけた視界に映るラオディキアの姿。


 彼は、今の私の気分を理解できないと、そのまま部屋を出た。



「全て、私が悪いのだな……父を殺した私が、母を焼いた私が……お前に望まぬ力を与え、奪ってしまった私が」



 サルディスはポケットの中から小さな金色のロケットを取出し、それを開いた。



「ほとんど人となったその身で……わずか一週間……たったそれだけで、十数年の不幸を埋める事が出来たのだな……‥サリア」



 ロケットの中には、サルディスを兄とも知らぬまま死んでしまった、無防備に寝顔をさらした妹の顔が幸せそうな表情でそこにあった。



「兄として、最後に私が出来ること……」



 サルディスはロケットを首に下げ、決意したように立ち上がり部屋を出た。

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