第19話 「そう――じゃあ私は今日彼の部屋で寝るとするかな」
昼も夜も識別できない画一的な室内。
壁に掛けられた松明の光の下、テレサはいつものようにお気に入りの紅茶を啜り悠々と読書をしていた。
揺ったりとした手つきに流れる瞳。それはまるで流々舞的に、一つ一つを確認しながらのような緩やかな動き。
それは全て一字一句見逃さず、二度三度と読み直さぬ為。
彼女は無駄を一切嫌う。
故に彼女は、妹の行動に僅かながら苛立っていた。
円滑に計画を立て、円滑に物事を運んでいても、組み込まれていない行動は余計な状況と結果を作り出す。
テレサは、妹の余計な手出しによりアーシェ、零司の繋がりが強くなることを危惧していた。
――――。
「……ふぅ」
本のページも中程に差し掛かったとき、異様な気配にテレサはため息を一つ。飲んでいた紅茶を机へと置き、読みかけの本にしおりを挟み静かに閉じる。
「何の用事ですか?」
いっぱいに嫌悪を込めたテレサの一言に、寝袋の影から現われた一人の男。黒いロングコートに身を包み、両腕万遍無く巻かれた包帯。白銀の長髪を腰まで流し、妖しく輝くラピスの瞳はテレサを微笑と共に見つめている。
「苛立つと読書で思考を落ち着ける……昔からまったく変わっていないな」
「アナタに昔、と言われると気持ちが悪いですね。いつから過去を重んじるようになったのです?」
「重んじる? そんなつもりはない」
後ろ手に、男は靴を軽快にならしてテレサへと歩み寄る。
印を切るにあたって重要な両手を後ろで組み、無防備なまま近づくのは己の力への自身の表れか、それとも襲われぬという確信があるのか。
男は音を立てぬよう両手でゆっくりと椅子を引くと、貴族のごとく恭しくそこへと腰掛けた。
「ラオディキア、でしたか? 教会の人間が魔女に会いにくるなんて、本当にアナタは裏切りがお好きなようで」
「皮肉か? それに、私は過去に裏切りなどした覚えは無いが?」
「戯言も相変わらず。集落を裏切り、我らを裏切り教会の一員と成り下がり……よく私の前に顔を出せたものですねカルロ」
ラオディキア――いや、“魔術師カルロ”はテレサの言葉に気取った笑みを浮かべ返答をする。
「裏切りとは、味方にそむき、敵につくこと。――ならば、元から仲間でなければ“裏切り”という言葉は適用されないのではないか?」
「……時が時ならば、今この瞬間にアナタのその虫酸の走る頭を吹き飛ばしているところです」
「敵を見誤るな。今の敵はアーシェだろう?」
チッチッ、とカルロが舌を鳴らす。包帯で隙間無く巻かれた右手をテレサに見せ付け、人差し指を左右に振ってみせた。
「随分と大げさな巻き方ですね」
「あぁ、先日教会に単身乗り込んできた馬鹿者がいてね。私の両腕と教会の人間の半分を持っていかれたよ」
「単身で? 魔術師ですか?」
「さぁな。一応捕縛して検査をしてみたが、どうやら違うらしい。第三種かもしれん……まぁ、私には興味の無いことだが」
「興味が無い? 第三種は洗礼武器のオリジナルなのではないのですか?」
第三種――魔術師や教会のどちらにも属さず、古の器具を扱いこなす“勢力”。
彼らの扱う器具こそ、今教会の扱っている洗礼武器のベースだというのにも関わらず、その第三種に興味が無いと言ってのけるカルロ。
「黒い瞳を持つ器……彼は実に興味深い。なにせ彼は“二つの魂”と“一つの自我”。さらには黙示録の力を持つ者すらを破壊できる、メソテスの開発した“術式の知識”を所持している……これら全てを説き明かせば、私は最強の魔術師になれると思わないか?」
「思わないですね」
さらりと言って除けたテレサに対し、カルロが「何故?」と問い掛ける。
「黙示録の力は生半可な術式の力で破壊することは不可能。彼の黒眼の威力とて黙示録からすれば、小石が要塞に当たった程度ですよ」
「彼? 誰の事を言っているのだ?」
おちょくっているかのようなカルロの口調に、テレサの眉間に軽くシワができる。
「アナタ、なにを――」
喋ろうとしたテレサの口を手で押さえ、カルロが耳元で何かを囁く。
「――ッ!」
カルロの囁いた“何か”を聞いた瞬間、テレサは瞳を大きく開き顔色を変えた。
「理解できたかな?」
カルロの手が離れても、まだ言われた事の衝撃に硬直し続けるテレサ。
カルロの口から聞いたその一言は、それだけテレサにとっては信じがたい言葉。
「なにを驚く、お前らしくもない。簡単なことじゃないか……霧谷零司は“存在しない”。彼は、貴様がかつて最も尊敬していた“魔術師其の物”なんだよ」
「彼は…アナタが……いえ。“私達が”確かに殺した筈じゃなかったのですか?」
カルロは、首を横に振り席を立った。
「私が会いに来たのはこれを伝えるため。まぁ、精々油断なく彼の――いや、彼らの相手をすることだな」
「待ってください、カルロ!」
取り乱しながら立ち上がり、自分を呼び止めるテレサの姿を嘲笑いながら、カルロは暗黒へと身をフェードアウトさせていった。
ℱ
「……ふぅ」
食卓に並ぶ料理に、思わず零司の口からため息が漏れた。
この日の食事はエリス。並んでいる料理には何の問題もないが――味は。
「どうした零司、食べないのか?」
「いや、食べるは食べるけど……」
並ぶ料理は豪華絢爛。何も知らずに家に泊まった人間は「あれ、君もしかし金持ち?」とか聞いてくるだろう。
エリスが家にきてから約一週間。彼女が食事当番の日は、必ず冷蔵庫内の食料達は壊滅してしまう。
その金額、約壱万円前後相当。
まるで技名のような金額だ。まぁ、ずっと教会とかいう怪しげな秘密結社的なところに居たのなら金銭感覚がマヒしても仕方がないのだろうが。
「食べないとガス欠しちゃうぞー。魔力だってタダじゃないんだから」
「…まぁ、食べるけど」
零司は、ため息混じりに箸を進める。
自分のせいだとは気が付かず、エリスはなぜ零司に元気が無いのか分からず首を傾げた。
「……それにしても、不思議だな」
「なにが?」
「ついこの間殺し合った相手が、今同じ食卓で飯を食ってるなんて」
「……? 不満なら出ていくけど?」
零司の一言でエリスが箸を置いて立ち上がる。
「違う違う! ただ単純に不思議に思っただけだって!」
零司は慌てて立ち上がりエリスを強引に椅子に座らせる。
零司の慌てようが面白かったのか、アーシェはそれを見てくすくすと笑っていた。
「敵って言っても、エリスの場合はタダの人形さんだったからねぇ。その教会に見捨てられたらもう零司しか頼る相手が居なかった、だよね?」
「そうなのか?」
「……基本的には」
顔を赤らめながらポツリと呟く。
――こいつ、顔を赤らめることもあるんだな…。
「なんだ霧谷零司、その私に対して向ける意外的な瞳は」
「いやぁ、別に何でも……」
「そりゃ意外よ、アンタみたいな奴が顔を赤らめるなんて、まさに天変地異の予兆だわ」
止せば良いのに、相変わらずエリスに対して挑発を仕掛けるアーシェ。
「あら、私が零司の気をひいてしまって嫉妬しているのか?」
「あぁ? 何言ってんのよアンタ、頭沸いてんじゃないの!」
――アーシェの挑発を物ともせず逆に挑発し返すとは…さすがだ。
「そう――じゃあ私は今日彼の部屋で一緒に寝るとするかな」
「「え?」」
突拍子もないその一言に、俺とアーシェは思わず声を揃え驚愕し、箸を落としてしまった。
「だ、ダメに決まってるでしょ!」
「何故?」
「な、何故って、それは……」
アーシェはテーブルを叩いて立ち上がり「ダメ!」と否定したのは良いがエリスの「何故?」の一言に口籠もる。
「お、お泊りは二十歳からよ」
「「……」」
――なんだそのスーパー過保護な母親的台詞は。
「体温の軽い上昇と顔色の多少の変化。何かに動揺しているのか……貴女らしくもない」
「うるさい! この電撃玉砕女!」
アーシェはガターンとかいう効果音がリビング中に響き渡るほど椅子を勢い良く倒し立ち上がり、その効果音をさらに上回るデシベルでエリスへと怒鳴った。
「なんだ、それは挑発? 今の私なら容易く勝てると思っているの?」
アーシェに負けじと……なのかどうかは定かではないが、エリスも椅子から立ち上がりアーシェを睨み付ける。
椅子を引っ繰り返して立ち上がるアーシェと椅子を引いて立ち上がるエリス……性格の違いって結構細かいところで出るんだなぁ――とか考えていた零司を尻目に、二人の状態はさらに悪化し今にもこの場で世界異種格闘技戦よりヒドイ血みどろ合戦が始まりそうになっている。
「ちょうど良いわ、私の魔力も戻り始めたし、アンタを肩ならしの相手にしてあげる」
「私が肩ならしの相手? おもしろい、貴女なんて以前程の力が無くても斬り伏せてみせるさ」
と、エリスが先程まで包丁代わりに使っていた倭刀を手に取り、手入れの行き届いた白刃を露にする。
「馬鹿、まてまてまてッ!」
度を超えたエリスの行動に、零司は驚き後ろから押さえるが、それは状況をさらに悪くする結果となった。
「あ! ちょっと零司、アンタ何エリスに抱きついてんのよ!」
「はぁぁ?!」
――アーシェの妄想力にはまったくもって感服だ……じゃねぇ!
「何言ってんだオマエ!」
エリスを慌てて放し、二三歩後ろへ下がり顔を真っ赤にアーシェへと抗議するが……、
「どさくさに紛れて女に抱き付くなんて変態よ変態! まぁ、アンタは変体でもあるけど概ね変態の方だと思うわ! あ、ちなみに編隊だと別に馬鹿にした言葉にはならないから」
「いや、オマエもどさくさに紛れて意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ」
零司の言葉はアーシェの耳を右から左、左から右へと何一つ脳みそまで伝わる様子はない。
「大体なに零司、敵を簡単に家に居候させちゃって! あ、もしかしてエリス……もといアステロペテスの体が目的なわけ?」
「んなわけあるか!」
「じゃあなによ、お金? 教会が身の代金を払うと思ってるわけ?」
「そうじゃなくて俺は――」
と、延々続けられるそうになった口論を止めたのは倭刀の鞘で床をドンと強く叩いたエリスだった。
「不愉快になった。私は少し散歩に行ってくる」
言って、エリスは勇み足で玄関へと歩いていく。
「お、おいエリ――」
「あ、そう勝手にすれば。まぁ外にはミディアンが居るかも、せいぜい気を付けて散歩することね!」
零司の制止の言葉も虚しく後に残ったのは強くドアを閉められた音だけだった。
「ふん」
倒れた椅子を戻し、座りなおすと、アーシェは再びエリスの作った料理を口に運びはじめる。
「少し言いすぎなんじゃないのか? 本当にエリスが外の奴らに襲われたらどうするんだ」
「負けるわけ無いでしょ。弱っていたとはいえ、私を一度殺した奴なのよ」
いつもの事だ――そう思い、零司は左右に首を振り椅子へと座りなおした。
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