第18話 「泣いて……いるのか?」

『いたぞ、魔女だ!』


『捕まえろ、火炙りだ!』



 後方から聞こえてくる声は、年配から青年までの年令枠の広い幅広い男女の声。


 視点は正面から素早く真後ろへと移動し、その正体を確認する。


 暗やみに揺らめく幾つもの松明の火。



『間違いない、赤髪だぁッ!』



 男の怒号に視点の主は小さく身震いし、声がした反対方向へと駆け出す。


 低い視点で、細やかに素早く周囲の光景が上下し後ろへと流れていく。


 荒々しく、整えることを許されぬ息だけが今聞こえるBGN。段々と膨れ上がる恐怖は、自分の身でなくともひしひしと伝わってくる。



 ――赤髪に、魔女…これは、アーシェの記憶?



「都市で魔女として迫害されて親を殺されて……ひたすら逃げたわ。どこをどう走ったかも覚えてない。ただ生き延びることに必死だった」


「この森で親父と?」


「そう」



 にっこりとアーシェが笑むと、視点は一変し目の前は真っ暗になっていた。


 少女は、幼いアーシェは男たちにより羽交い絞めにされていた。



『てこずらせやがって……おい、誰かベルナール様を連れてこい!』


『おいおい、こんなガキ一人にベルナール様を呼ぶのかよ?』


『馬鹿が、三○○人いた市兵全員を一人で焼き払った魔女の娘だぞ! いったい何があるか分からねぇだろ!』



 怒鳴られ、気が進まないといった面持ちのまま来た道を逆走し走り去っていく男。


 一方アーシェは暴れて抵抗するが、ガタイの良い大人数人に押さえ付けられては小さな子供一人暴れたところでどうこう出来るものではない。



『あ、コラ! テメェ暴れるんじゃぁ――イテッ! 畜生、このガキ噛みやがった!』



 揺れる視界。どうやら手を噛まれた男が憤怒しアーシェの頭を殴り付けたらしい。



『やめろ!』


『ったく、女殴るなんて俺たち魔術師よりテメェら人間の方がよっぽど邪悪じゃねぇか』



 制止と侮蔑の声は、男が二発目をアーシェに叩き込もうとしたその時に聞こえた。


 視線が声の方へと移ると、そこには年端もいかない二人の少年。



『貴様等も魔術師か! 生意気に出てきて…ベルナール様が来られたら貴様等なんぞ――』


『知ってるか? 生意気っていうのは“なまじ意気がる”って事なんだぜ?』



 男の言葉を遮り、おどけた口調で挑発的な台詞を吐く黒髪の少年。



 ――あれ? アイツの台詞、前にアーシェが……。



『君たち…残念だけど、ベルナールは来ないよ』



 もう一方の青髪の少年は、人差し指で男たちへと少女を解放するように促す。



『ベルナール様が来ないだと? ハッ、もっとまともな嘘は付けねぇのか?』



 男の言葉を皮切りに、他の男たちも一斉に笑いだす。


 当然、といえば当然。ベルナールは魔女や魔術師を狩ることを生きがいとしている、最も残忍で最もイカレている審問官として人間の間でも魔術師の間でも有名な人物だった。


 そんな人物が、今横たわる魔女を殺すのを放棄し帰ったというのは考えにくい。



『嘘だぁ? これ見てもそんな事が言えるのかよ?』



 黒髪の少年が嘲り笑い、男たちの前。つまりアーシェの顔前へと投げたのは、ベルナールを呼びに行った男の首。



『ヒ、ヒィッ!』


『あ、悪魔ァッ!』



 転がる首を見て、アーシェを押さえ付けていた男たちは情けない悲鳴と共に一斉に逃げ出した。



『ハン、女みてぇな声出して……情けねぇ。こんなモンでビビるなよ』



 黒髪の少年が、“首だった”泥の固まりを蹴って粉砕する。


 どんな人間でも殺しはしない。それが少年達二人のモットーだった。


 子供ながらに強大な魔力を持ち、上級術式ですら扱える力量を持っていながら誰の味方もせず、フワフワと現われ誰かを助けて帰る。


 それ故に、彼ら二人を知る者は二人を“トリックスター”と呼んでいた。



『僕達が悪魔に見えるなんて、アヘンでもやっているのかな?』


『ヴァカ、比喩だよ比喩。ったくサイス、テメェは本当に頭のカテェ野郎だな』


『メソテス、僕の頭が固いなら君の頭の強度は差し詰め豆腐だね』


『あんだとぉッ!?』



 何やら自分を差し置いて口論をはじめる二人。


 話の内容からいくと、どうやら喚き散らしている黒髪が親父で、冷静沈着を保ち親父の言葉にカウンターを入れている青髪がサイスという人物らしい。


 父親の“人間として”幼い姿を見て、零司は少しガッカリした。



「にしてもこれが出会い? 襲われているところを助けられるなんて、結構ドラマチックな出会いだったんだな」


「……まぁ、ね」



 ――え? なにそのリアクション?



 言葉では否定していないのだが、なぜか彼女の顔は何とも複雑な笑みを浮かべ“んなわけねぇだろ”といった顔をしている。


 記憶へと意識を戻すと、そこでは今だに二人は口論、ましてや互いの胸ぐらを掴み反対の手で頬をつねり合っていた。



『このくひょヤリョウ! 引導わたひてやる!』



 ――ハァ、



 ため息が絶えない。なぜこうも親父はガキなのか? いや、ガキなのだからガキなのは不可抗力?



『こっちですベルナール様!』



 と、聞こえてきたのは先ほど逃げ出した男たちの声。逃げている途中、本人と出会い嘘がバレたのだろう。


 二人はつねり合っていた手を放し、声がしたほうを見据える。



『っと、口論してる場合じゃねぇ。ベルナールのクソ野郎が現われる前に逃げねぇと』


『確かにそうだね。今彼に出会うのは得策じゃぁ無いはやくその子を連れて集落へ戻ろう』



 互いに掴んでいた胸ぐらを放し、こちらへと顔を向けた。



『テメェは先に戻ってな。このガキは俺が連れて帰ってやる』



 めずらしく積極的な親父を訝しげな瞳で見つめるサイス。



『変な事するなよ』


『しねぇよッ! ――っと、ととと』



 ――え?



 反論した際にメソテスが足元の石に躓き、大きくバランスを崩した。



『あ、ヤベ』



 ――なに、なんですかこの流れ? 親父まさか、ロマンチックな助け方しといてそんな馬鹿なことを。



 零司の予想どおり、二歩三歩ほど大きくよろけて迫るメソテス。



 ――おいおいおいお……。



 暗転する視界。


 零司の予想は見事に的中し、大きくよろけたメソテスの体は、アーシェの“頭”を踏み付けることによって見事立ち直った。



『あ、ワリィ踏んだ』



 沈黙する空気。冷静だったサイスですらその光景にポカンと口を開け茫然としている。



 ――あぁ、倒れこまなかったか。残念。……じゃねぇッ!



「や、ややや、やりやがったァッ! しかも女の子の頭踏んどいて「ワリィ」の一言!? 足踏んじゃった程度の謝罪? どんだけ最悪なんだ親父ィッ!」


「ふふふふ、そうなの初対面でいきなり踏みやがったのよアイツ。あの時はプッツンよプッツン。マジで殺してやろうかと思ったもの」



 一本二本とアーシェの額に青筋が浮かび上がる。


 無理もない。親父はうら若き乙女の頭をモロに踏み、ぬかるんだ地面へと顔を押しつけてしまったのだから。



「そういうヤツだったのよ。自分勝手で、デリカシーが無くて、本ッ当に嫌なヤツだったわ」


「むぅ……」



 ――やばい、自分の親を嫌なヤツと言われているのについ共感してしまっている。



「でも……」


「へ?」



 アーシェの怒りに満ちた剣幕が、ふと遠くを見つめるかのような、どこか哀しげな瞳へと変わった。



「嫌なヤツだったけど、悪いヤツじゃなかったわ。誰よりも真っすぐで、迫害を嫌って……時には全身血塗れになって審問官から魔術師を助けたこともあった」


「……ア、アーシェ?」



 ――え? なにこの雰囲気?



「集落に来ても、暗くて、悲観的で、なかなか他の人達と馴染めなかった私を一員として馴染ませてくれたのもメソテスだった」


「うっ…」



 言葉と共に流れてくる断片的な記憶。


 花を一輪片手に持ち、頬笑みかける赤く長い髪の女性。


 喧嘩している親父にサイス。



 大勢の人間が囲み、楽しげに喋りながらパンを回している食卓。


 優しい、集落の光景。


 拳が強く握られ、ふるふると小さくアーシェの腕が震える。



「花畑だって…いつもお母さんのことを思い出して泣いていた私を見兼ねて、メソテスが無理をして術式で作ってくれたものだった」



 感情を抑えきれず、アーシェの声がわなわなと震える。


 過去を掘り返せば掘り返すほど、幸せだった日の情景は鮮明に映し出され、ひどくアーシェの心を締め付ける。


 いたたまれなかった。


 封じてきた過去を、自分の為にアーシェが解き放つのが。



 アーシェが詳しく自分の事を語らなかったのはこの為なのだろう。


 一番好きだった“時”。


 しかし、それはもう戻らない。



「泣いて……いるのか?」



 気のせいだったのかもしれない。只、月の光がそう見せたのかも知れない。


 しかし俺には、アーシェの瞳に、涙の膜が張っているように見えた。



「私が泣くわけ無いでしょ、馬鹿」

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